「あ、これ美味しい」
「だろう!」
もう外も随分冷えてきた。折角綺麗な公園だけど、ずっとここにいて話しているのはそろそろ厳しい季節。
自信作ができたんだ、と炭治郎くんが持ってきてくれたパンを一つ頬張りながら暖かいところに行きたいな、でも会う度毎度どこか入るのは割高だしな、と、そわそわとしていた。
まだ付き合ってからは数回しか会っていないといえばそれまでだけど。
炭治郎くんを横目で見るとばち、と目が合い笑いかけられる。
「……太りそう」
「え、」
「なんか餌付けされてる感じ」
幸せを、と、それは喉奥に留めた。もっと炭治郎くんのことが知りたいなって思うんだけど、隣にいて、こうして温かい笑顔を振り撒いてくれるのを肌で感じていると満足してしまう自分がいた。あくまでも、その時だけは。
「なら、たまににする」
「太った私は嫌なの?」
「そういうわけじゃない!でも、女の子は気にするだろう?そういうの。
は尚更」
外見は、取り繕っていると前に話したから、そう思ってくれているのだろう。気にしていないと言えば嘘になる。できることなら芸能人のような、それこそ華やかな衣装を身に纏ってこの街のステージを歩くモデルのようなスタイルに憧れたりはする。
でも、今のところ炭治郎くんが許してくれるならそれに甘えたいと思っていた。実際体重が増えたら気にするとは思うけど。
「炭治郎くんが私のことをおんぶできるまでは、いいかな」
「わかった、鍛える!」
「いや、どこまで太らせる気なの」
口を尖らせながらそう言えば、彼女を抱えられないなんてみっともないだろうって、さらりと当然だと言わんばかりの面持ちで話される。いつもこうして、私だけ胸を煩くさせてしまう。そういうところがタラシだと言われるのだと思うけど、本人はきっと素だから気付いていないのだろう。
思わず溜息を吐けば炭治郎くんは、あ、と声を上げる。
「だから、溜息吐くと幸せ逃げるぞ」
「……、別にいい」
「……」
「沢山貰えるから」
逃げる幸せもないからと、今はもうすっかり枯れ果てたイチョウ並木を見ていた時、そう言おうとした。言わなかったけど、多分あの時炭治郎くんにはそれなりに私が思っていたことは伝わっていたと思う。
でもあの時とは違って一度少し考え込んだ後、眉を下げて口を閉ざす炭治郎くんへ自然と頬を緩むのを実感しながら伝えた。
「すごく幸せだから、私」
「……うん!俺も幸せだ!」
「っ、!」
私の言葉に炭治郎くんは徐々に目を丸くし顔色を明るくさせた後、私の腕を掴んで顔を寄せ、唇を重ねた。
固まっている私に炭治郎くんは一度離れた後、もう一度してこようとするものだから制止をかける。
「人前、」
今はまだ日も落ちていない公園で、落ち葉を拾って遊んでいる小さい子供だって近くにいる。
パンを持っていない方の手で炭治郎くんの肩を押し返すようにすると、目をパチクリとさせていた。
「ここじゃ誰も気にしない」
「……私が気にする」
確かに炭治郎くんの言う通り、公園の中心の池なんかでは設置された白い椅子に腰掛けながらキスしているカップルをもう五万と見てきている。公園だけではなく地下鉄のホームや学校内でもそうだ。だから周りに人がいることを気にすることなんてないことはわかってる。わかってはいるけれど、私は日本人であって、ここで生まれ育ったわけではない。
呟く私に炭治郎くんはそっと手を放した。……動物のような垂れた耳が見えた。
「炭治郎くんだって日本人でしょう」
「……そうだけど」
あからさまに萎れている炭治郎くんに少しだけ罪悪感が募った。私に向かい合っていた体は元に戻し、足元を見つめている。萎れているというよりは、拗ねている、のかもしれない。
でも私には一つ思うところがあった。炭治郎くんだって日本人のはずなのに、私と違って人前ですることに恥じらいはない。つまりは、前付き合っていた、あのマカロンちゃんとそういうことをしていたわけで。付き合っていたのだからそれは当たり前だけど、それがあったからきっと持っていたはずの恥じらいがなくなったのかと思うと、ぐつぐつと嫉妬心が芽生えてしまった。
「してほしいとは、思ってるよ」
俯いている炭治郎くんの上着の袖をくい、と控えめに摘んで引っ張った。炭治郎くんが顔を上げてこちらを見るような動作が感じ取れたけど、反対に私が俯いているので目は合わない。というか、合わせられない。
「あの、炭治郎くんはさ、」
「……」
「その……、」
顔に熱が溜まっていくのがわかる。
言いたいけど、言い出せない。やっぱり私は生粋の日本人であって、遠回しに伝えることですら恥ずかしいのだ。もごもごと口籠るけれど、炭治郎くんは私を急かさずに待ってくれている。匂いでわからないかな、と甘えそうになってしまう。なんとなくはわかっていると思うの、だけれど。
「炭治郎くんは、どこに住んでるの……?」
なんとか絞り出した声は、蚊の鳴くような声だった。もっとさらりと言えば、普通に捉えられていたかもしれないのに、これではあからさますぎる。寒いから家に行きたいって、深い意味なんて何もなく言えたらよかったのに。芽生えた黒い感情のせいで対抗してしまったのだ。
反応がない。恐る恐る見上げれば、頬を薄っすらと赤く染め上げた炭治郎くんと至近距離で瞳が交わった。焦がれてしまうその瞳から目を逸らせないでいると、我に返ったような素振りを見せてから、眉を下げて笑った。
「今度来るか?」
「……今日がいい」
明日は遅番だと私は聞いている。学校が始まる時間だってベーカリーほどの早朝というわけでもない。だから、ずっとそわそわしていた。でも炭治郎くんはそんなの一切気にしていないような素振りを見せていたから、私ばっかり好きっていう想いが先行しているような気がした。
ポツリと呟いた私に炭治郎くんはうん、と一言返してくれた。美味しかったはずのパンの味が勿体ないことに、わからなくなってしまった。
炭治郎くんが住んでいる場所はベーカリーからもほど近い場所だった。途中、コンビニに寄って買い物を済ませてからパリの下町のような細道を通る。静かで素敵な場所だ。
ここだよ、と着いた場所は見上げると小さいバルコニーに植木や花が飾られた部屋が沢山ある。お洒落な人たちが住んでいそうだった。あの管理人さんも結構派手目というか個性的な人だったから、そういう人が多いのだろうか。
階段を上りながら炭治郎くんは部屋の鍵を出す。扉を開けてお邪魔しますとそのまま入ろうとしたら、止められた。
「靴は脱いで」
「……はい」
どうやら、炭治郎くんの部屋では靴を脱がないといけないらしい。靴を脱がないことが当たり前な習慣がもう二ヶ月以上経っているから全く気にしていなかったし、こっちに住んでいるのであれば郷に従っていると勝手に思っていたけど、どうやら違ったようだった。
言われた通り靴を脱いで炭治郎くんと同じように端に寄せる。唐突だったもので面を食らったけれど、そのお陰で少し緊張していたのが和らいだ。
別に、初めてというわけでもなんでもないのに、その相手が炭治郎くんなだけでこんなにも緊張してしまうとは思ってもみなかった。
「部屋綺麗だね」
「掃除するの好きなんだ」
大きな窓から日が差し込んでいる部屋に入り、上着を脱いだ私へ炭治郎くんはハンガーを持ってきた。私の上着を手に取り壁にかける。座っていいよとソファーに促されたので脇に荷物を置いて緑色のソファーに腰掛けた。
兄妹が多いから、必然と掃除をすることが好きになったのだろうか。部屋が汚いなんて思ってはいなかったけど、男の人の部屋って乱雑なイメージがあった。部屋に招かれたことはないからわからないけど。部屋に、招きたくもないような、その程度の人間だったということだ。
「
」
「!、ん」
過去を思い出して焦点の定まらない視線をどこかへ送っていれば、声をかけた炭治郎くんに我に返る。隣に座った炭治郎くんは私の後頭部に手を回し、私が驚く間も無く唇を奪う。
一度ゆっくりと柔らかいそれが離れてから、さっき公園でさせなかった分か、薄く開いたままの唇に舌が這い、そのまま中に入り込んで絡めとられる。控えめに応えてはいるものの徐々に力が入らなくなってきてしまい、それだけで頭の中が熱に浮かされ、意識が朦朧としてきた。
頭を後ろに引こうにもがっしりと髪の毛に指を絡め固定されてしまっている。トントンと背中を叩けば、漸くそっと離れた唇から糸が伝った。
伏せていた瞼を開けば、揺らぐ瞳に捉えられる。
「苦しい匂いがした」
「……、」
頭を抱えていた手でそのまま私の頬を包み込んだ。やっぱり、炭治郎くんには、色々と筒抜けになってしまうのだと身に沁みた。
「幸せなら、俺が沢山
にあげられるよう努力するから」
「……私ばっかりずるいよ」
そう思ってくれるだけで、私は十分幸せだった。だから私も、炭治郎くんが少しでも私といれることで幸せを感じてほしくて、真っ直ぐ私を見つめる炭治郎くんの唇へ触れた。
しあわせ