兄妹
赤い絨毯が敷かれたターミナルは、芸術の街の入り口らしいと思った。
手荷物検査口の前で甘露寺さんはほろほろと涙を流してくれている。

「お見送りに来てくれるなんて、私幸せものだわあ」

えぐえぐとまるで一生のお別れのように嗚咽をあげる甘露寺さんへ炭治郎くんは眉を下げながらハンカチを差し出した。
とても感受性が豊かな人だということが改めてわかる。
涙を拭いて甘露寺さんはハンカチを炭治郎くんへ返した後、私に向き直った。

「また一緒にご飯食べましょうね!」
「はい、私でよければ」
「また会えるの楽しみにしてるわ!」

最後に甘露寺さんは、ご飯を食べている時と同じような笑顔を浮かべ、キャリーケースをガラゴロと引きながら手を振って飛び立っていった。
また、会えたらいいけど、会えるだろうか、会ってくれるだろうか。昨日今日でしかちゃんと顔を合わせたことがない、後輩の彼女に。
嬉しさ半分、不安半分といった複雑な心境でいるとふわりと片手が温かく包み込まれた。
炭治郎くんを見ると、何も言わないけど口角を上げていて、匂いで感情が筒抜けになってしまうのも悪くないな、だなんて思ってしまった。

カウントダウンに上がる花火を一緒に見てから、その日はそのまま炭治郎くんの部屋でゆっくり過ごして、お昼頃にのそのそと起き上がった。相変わらず、寝た時間は同じであるはずが隣にいない。起きたのがわかると時間がギリギリの時以外は隣に来てくれるけど。
甘露寺さんのおかげで随分減ったご飯を二人並んで食べる。
学校も仕事も何もなくて、もっとずっとこうして一緒に入れたらいいのにと、欲深くなる。

「そういえば、年末年始帰省しないんだね、炭治郎くん」
「ん、ああ。去年は帰ったけど、今年は春には帰るから」
「……」
「それに、その分ともっと一緒にいたいんだ」

目尻を下げてそう話す炭治郎くんに、私も自然と笑みが溢れた。同じことを思ってくれていたことが嬉しくて身を寄せた。

「何しにパリまで修行しにいったのって言われない?」
「言われないよ。去年帰った時なんか、ここで教わったことを禰豆子たちに見せたらすごく喜んでくれて」
「じゃあ、今度はもっと喜んでくれるね」
「うん、のおかげで!最後まで根こそぎ技術を盗んでいくつもりだ」

まだまだ、炭治郎くんの中には終わりはなくて、向上心の塊だと思った。炭治郎くんのそばにいるからか、それが私へも影響されている気がしている。
日が沈みかけてきた頃、そろそろ一度家に帰る為身支度を整え始める。

「送ってくよ」
「いいよ。今日結構寒いし、いつもいつも悪いから」
「寒いことより、といたい」
「…………」

靴を履いて扉の前で立ち尽くす私に、炭治郎くんはコートを羽織り青いマフラーを首に巻いて一緒に出ようとする。
鍵と携帯だけ持つ炭治郎くんを見て、私はふと頭に思い浮かんだことを口にした。

「よかったらうちに来ない?」
「え?」
「お洒落な家とかじゃないけど……」

閑静な住宅街の、とあるマンションの一室。このマンションも外観はいかにもなアンティークな造りだけど、私が住んでいるのは大昔から建てられているというわけではない。本当に、普通の家。それが居心地がいいのだけれど。
呟いた私に炭治郎くんは嬉々とした表情を見せる。

「いいのか?」
「うん。泊まってって」

一度、彼氏を連れて来ると叔母さんへ連絡をいれてから炭治郎くんの部屋を出て、一緒に家まで向かった。
炭治郎くんのことは、あまり話していない。ただ、今日は彼氏といるから夕ご飯大丈夫です、と事務連絡のようなものをするだけだった。たまにどんな人なの?と聞かれることはあったけど、ベーカリーで働いている優しい人、とだけしか伝えていない。
根掘り葉掘りマリーさんのようには聞かれないことに安堵していたけど、最近ずっと炭治郎くんと一緒にいたから詳しく話さないのも、良くしてもらっているのに失礼だと思った。とても今更ではあるけど。

「おかえりちゃん。いらっしゃい、えーと……」
「こんばんは。竈門炭治郎といいます。突然押しかけてしまってすみません」

名前ですら、教えていなかったことにも今更気付いた。炭治郎くんは私のことを周りに紹介してくれているのに、私は身内にですら話していなかった。まずいと思ったけど炭治郎くんは気にする様子もなく丁寧に挨拶をする。
多分、ピアスと額の痣で少し身構えていたような叔母さんは優しい笑みを浮かばせる炭治郎くんを見て一瞬目を丸くした後、さあ上がって、と穏やかな声色で炭治郎くんを招いた。

ちゃん、最近ずっと炭治郎くんのところばかりだから、どんな人なのかなって気になってたのよ」
「すみません、独り占めみたいになってしまって……」
「ううん、炭治郎くんのような人で安心したわ」

帰って来る前に夕食を用意してくれていたらしく、叔父さん含め四人でテーブルを囲いながら叔母さんは楽しそうに炭治郎くんへ話しかける。多分、気に入ってくれている。

ちゃんのことよろしくね」
「はい!」

あまり私たちのことについては深く聞かれずに、それ以降どこで働いているのだとか、いつからこっちにいるのだとかそういう話が続いていた。
食べ終わった後、お皿洗うの手伝いますと炭治郎くんは動こうとしたけど、ゆっくりしていって、と二人して断った。お風呂も入ってきたから後は寝るだけと、申し訳なさそうにしている炭治郎くんを私の部屋へ案内する。
炭治郎くんの部屋のようにふかふかのソファーはないけど、クッションを渡して隣に座った。

「そうだ」
「?」
「禰豆子がに会いたいって言ってて。ビデオ電話繋げてもいいか?」
「え、今?」

向こうは多分、朝方。年始だからお店はやっていないだろうけど、そんな朝早くにいいのだろうか。炭治郎くんは早起きだけど禰豆子ちゃんは朝が苦手と言っていたし。でも、今、ということは起きているのか。悶々と考えていれば炭治郎くんは私の返事を聞かずして電話をかけ始める。

「あ、お兄ちゃんおはよ~!」
「おはよう。兄ちゃんがいなくても偉いな、朝早く起きてて」
「毎朝パンも捏ねてるよ!」
「偉い偉い」

ちらりと炭治郎くんの持つ画面に映るのは、炭治郎くんが部屋に飾っていた写真よりは大人びた印象の禰豆子ちゃんだった。
このやり取りだけで、炭治郎くんが普段どう下の子たちに接しているのかがわかる。自慢のお兄ちゃんって心から言えそうだと思った。お兄ちゃんでいる時は自分のことを“兄ちゃん”って呼ぶことも、自分が長男でいて下の子たちを本当に大切に思っていることが垣間見える。

さんは?」
「ああ、いるよ」
「えっ」
「きゃ~さん!いつもお兄ちゃんの面倒見てくれてありがとうございます!」

前触れなく炭治郎くんは画面を私へ向けてきて、禰豆子ちゃんと画面越しに対面する。心の準備ができていなかった私はその勢いに圧倒されながらも、目の煌きが炭治郎くんとそっくりだなと頭に浮かんでいた。

「こちらこ、」
「え、お兄ちゃんの彼女?私も挨拶した~い!私花子です!」
「初めまして、」
「お母さーん!お兄ちゃんの彼女!さん!」
「あら、そっちではこんばんは、かしら。炭治郎の母です」
「こんばんは、です……」

怒涛の竈門家ラッシュについていくのが精一杯だったけど、炭治郎くんのお母さん、画面越しでも物腰が柔らかくて穏やかで、お淑やかな綺麗な人だというのが伝わってきた。
とても陽気なこの兄妹は誰に似たのか、お父さんなのか、それとも実はかなりお母さんが陽気な人なのかどうかとか、そんなことをうっすら考えていた。

「あ、……竹雄くん?」

わちゃわちゃと画面がいっぱいになる中で隙間に見えた炭治郎くんと瓜二つな顔。思わず名前を口にしてしまうと、それを拾われてしまい禰豆子ちゃんが大きな声で呼び出した。

「ほらほらお兄ちゃんの彼女!」
「ん、こんばんは」
「こんばんは」

禰豆子ちゃんに連れられてきた竹雄くんは女の子たちよりかは幾らか落ち着いて私に笑顔を見せてくれた。
あまりにも似ていて、思わず画面の中の竹雄くんと隣で楽しそうに様子を見ている炭治郎くんを見比べてしまう。

「そっくり……」
「そうですか?」
「うん。かっこいいね」
「ありがとうございます!」

くしゃりとした笑い方も、炭治郎くんそっくりだ。今高校生だろうか、ほんの少しだけ炭治郎くんを幼くしたような顔立ちに思っていることをそのまま伝えれば、隣からくぐもった声が聞こえてきた。

「それ、俺は言われたことないんだけどな……」
「……え」

画面の向こうにいるみんなも炭治郎くんの声は聞こえたらしく、騒いでいた声がぴしゃりと止んだ。炭治郎くんへ視線を移すと、口を閉ざして眉をほんの僅かに下げていた。

「ないっけ……」
「うん」

いつも思っている。それはもう、会えば必ずといっていいほどに。けれども確かに思い返せばそれを声に出したことはなかったかもしれない。
言った方がいいだろうか、いや、悩むまでもない。そういうのはちゃんと言葉にしないといけない。と、意を固めながらも今は電話が繋がっている事を思い出した。

「あ、あとで言います」
「……うん!」
「ええ今!今言いましょうさん!」
「ほらほら、もう向こう夜中なんだからそろそろ切るわよ」
「あーんまた電話かけてきてね~」
「母さんの言うことちゃんと聞くんだぞ」
「わかってるよ~!」

じゃあおやすみなさい、と炭治郎くんのお母さんが通話を終わらせた。一気に部屋の中が静まり返る。
いつも炭治郎くんはこの賑やかな家で暮らして育ってきたのかと思えば、前に私に、自分は一人だから家族が多かった分寂しいと話していたのが心から理解できた。
部屋の扉がコンコンと鳴る。扉を開けると、叔母さんが炭治郎くん用の布団を持ってきてくれていた。
最初から一緒のベッドで寝るつもりだったその考えに恥ずかしくなりながらも布団を受け取り、テーブルを炭治郎くんに動かしてもらって床に敷いた。私のベッドよりも布団の方が広い。

、さっきの」

着替えも済ませてじゃあそろそろ寝ようと、電気を消そうとする私の手を炭治郎くんは掴んだ。
表情で、待ち望んでいる言葉がわかる。改めて、そうして待っていられると胸が熱くなって言いづらくなってしまう。ゴクリと喉を鳴らしてから、小さく小さく呟いた。

「いつもかっこいいって思ってます」

伏せていた私の顔を炭治郎くんは持ち上げて、唇に触れる。軽く触れるだけと思いきや、啄ばむようなそれに変わり舌を絡めとられ、服の中に手が入り込んできたので慌てて止めた。

「結構聞こえるから、だめ」
「……」
「声抑えられない」

流石に、最後までするつもりはなかっただろうけど、それでも知り尽くされている炭治郎くんの前ではもう声を抑えることなんて私はできずにいたので、申し訳ないけどここではできない。
わかったと頷く炭治郎くんに、もう寝よう、と今度こそ電気を消して布団へ入った。

「寒くない?」
が隣にいれば寒くなくなるんだけどな」
「でも、ベッド狭いよ?」
「こっちは結構広いぞ」

今日は本当に冷える日だった。念の為、意識を手放す前に炭治郎くんへ聞けば、隣に来て欲しいらしく。そんなことを言われてしまっては移動せざるを得ないので、いそいそとベッドから降りて炭治郎くんの布団へ入った。ベッドよりはふかふかではないけど、人肌がある分寒くなくなるというのは間違いではなかった。

「ベッドの方がよかったか?」
「呼んだのにそんなこと言わないで」

後ろから炭治郎くんの腕が腰に回る。包みこまれているようで温かい。そのまま手がどんどん上がり指が沈み込んだ。

「炭治郎くん、私最初そういう気ない人なのかと思ってた」
「……俺をなんだと思ってるんだ」
「僧侶?」
「例え僧侶でもそういう気はあるだろう。抑えてるだけで」

手はそのままに、ずい、と更に引き寄せられた。いつもとは違って、自分の部屋であることに胸がドキドキとする。絶対に伝わっている気がする。

「苦しい」
「寒いんだ、あっためてくれないか」
「いいよ」
「ありがとう」

いつも私が温めてもらっているから、私も炭治郎くんにとってそういう存在になりたいと思った。
兄妹