まるで映画に出てくるような古くからの歴史を感じさせる佇まいの建物から出ると、ピラミッドのような大きいオブジェが聳える噴水が目に入る。
この美術館の中庭ではファッションショーも開催されるらしくて、気になるけど私たちのような一般人はきっと立ち入ることはできない。あと、炭治郎くんは興味がなさそうだ。ただ、私が今日のように行きたいと言えば美術館だって博物館だってこうして隣を歩いてくれるのだろう。
「夕ご飯どうする?」
「どうしようか。あそこ歩いて決めるか?あの大通り」
「……、」
「?」
目的もなく、街灯がポツポツと灯る川沿いを歩いていた。炭治郎くんが話しているのは有名な坂道の通りのことだと理解できた。世界で一番美しいと言われているところを提案してくれたのは、私がそういうのが好きだと何も言わずともわかってくれているのだと思った。の、だけれど、話の途中で建物の隙間から視界に飛び込んできた動く円形の乗り物に目を奪われる。
「ああ、観覧車」
「こっちにあったっけ?」
反応がなくなった私に炭治郎くんは私の視線の先を追ったらしい。
前に、私が炭治郎くんの記憶から消し去りたい愚行をしてしまった時にこの川沿いを歩いていた時はなかった筈。
「夏と冬で移動するらしいぞ」
「へえ……」
「結構夜遅くまでやってるって」
「……炭治郎くんにしては詳しい」
観光なんてすることがほぼなくて、自分でもあまり詳しくないと話していたはずが、時期はまだしも時間まで把握しているなんて、もしかしてという疑惑が募った。
ジト、と炭治郎くんを見据えるとそれに気付いた炭治郎くんは目を細めて頬を緩ませた。
「
が好きそうだと思って、ちょっと調べてた」
「………」
「乗って行かないか?」
「……うん」
炭治郎くんの元カノのことが頭に浮かんでいた自分の頬を叩きたくなった。聞き方だって、炭治郎くんが誘ってくれているようで、気の使い方が私よりもずっと上手で、さながら自分のことが子供だと痛感する。
「子供だと思ってない?私のこと」
「思ってない。ほら」
折角炭治郎くんが風邪を引いていた時は甘えた素振りを見せてくれていたのに、いつもの炭治郎くんへ戻れば私の手を優しく引いてリードしてくれるのは変わらない。
通り沿いで入ったカジュアルめなレストランでも、好きな食べ物だって把握されているので悩むことなく決めていく。ちょっとしたところでも感じる炭治郎くんの温かさに、心までも満たされてしまうのだ。
「
」
お会計をしている炭治郎くんをガラス張りのレストランの外、枝の先まで丁寧に手入れがされている植木が並ぶ入り口で人に邪魔にならないよう待っていると声をかけられた。
聞いたことのある声に振り向くと、カフェによく来てくれて本を読んでいる男性だった。私がカフェで働くよりもずっと前からの常連さんらしくて、私にもよくしてくれていた。
「こんばんは」
スマートにスーツを着こなしているその人は私の元に片手をひらりと上げながら歩み寄る。方向からして、私たちではまだ足を踏み入れられないような高級なお店から出てきたような気がする。
優しい笑みを浮かべるその人の奥では綺麗な女の人が同じくにこりとしながらこっちを見据えていた。
「今日はいつもより綺麗だね。恋人?」
「あ、はい。ありがとうございます……」
お店に来る度にいつも私のことを褒めてくれるものだから、その度恥ずかしくなってしまう。挨拶のようなものなのだろうけど、よくあるナンパの口説き文句というわけでもないからこそばゆい。
学校やバイト先では化粧も特に気合を入れたりはしないし最低限にしているけど、今日のように炭治郎くんとデートをする、という日は可愛く見られたくてそれなりに鏡の前で時間をかけている。それに炭治郎くんが気付いているのかはわからないけど、ふとした時にじっと見つめてきて、何と聞き返せば『綺麗だなと思って』と言われるやり取りは何度かあった。はっきりと言葉にされたらされたで私が反応に困ってしまうから、嬉しいけど難しい。
ガラス越しにレジの前に立つ炭治郎くんを横目で見ているとその視線を追ってか、ああ、と声を上げた。
「彼だったのか」
「え、」
「もう喧嘩してない?」
目を細めて微笑む表情に、炭治郎くんに会ったことはないはずなのに、と一瞬困惑したけど、喧嘩という言葉に記憶が蘇る。付き合う前にカフェで喧嘩というか、ちょっとした言い合いをしてしまった時だ。確かその時、唯一お店に残っていたお客さん。
見苦しいしはた迷惑なことをしてしまったことに居た堪れなくなる。
「はい。すみませんでした……」
「気にしないで。優しそうな子だね」
「はい、とても。自分のことより、私のことばっかりです」
こんなことを口にしてしまうと、惚気のように聞こえてしまうだろうか。でも、本当のことだし、小さく笑いながら俯きがちに話すとそんな私を見てか、微かに笑う声が聞こえた。
「よかったね。それじゃあまた」
ふわっと爽やかな香水の匂いがして、頬の辺りでリップ音が鳴る。この挨拶には私はいまだに慣れないし、初対面の人に誰でもするというわけでもないものだからされる頻度も多くはない。
綺麗な女の人の元へ歩いていく後ろ姿を呆然と見つめながら、きっと炭治郎くんは私の知らないところで沢山されているのだろうなと、ただの挨拶であるのに悶々としてしまう自分を浅ましく思った。
「
、今の人は?」
レストランの扉が開いて中で流れる音楽が耳に入ってきた。それと同時に炭治郎くんが私を呼ぶ声も聞こえて振り返る。
「カフェの常連さん」
炭治郎くんも会ったことがあるけど、流石に一度、一瞬だけだったから覚えていないか。
一言伝えると、炭治郎くんは眉を下げてその常連さんの後ろ姿を目で追ってから再び私と目を合わせた。神妙な顔を浮かべている。
「どうしたの?ナンパじゃないよ……?」
「いや、うん……」
内容は聞こえずとも、ガラス越しに様子が見えていたのであればナンパでないことはわかっていたとは思うけど、バツが悪そうに私から目を逸らして視線を彷徨わせる。
小さく息を吐いてから、ポツリと呟いた。
「絵になってたから……」
「……それは、あの人に失礼だよ」
「そんなことはない。
は綺麗だから」
それは、有り難いことにフィルターもかかっている気がするけど。あと化粧。頑張った甲斐はあったけど、こういう時はその瞳に私だけを捉えてストレートに気持ちをぶつけてくるものだから、反対に私が恥ずかしさに逸らしてしまいたくなる。
他の人から綺麗だと言われても、嬉しいけどこんなに胸は煩くならない。
「あと……、」
「?」
切なげな表情を浮かべながら、炭治郎くんは私に手を伸ばし頬へ触れた。こんなに人が溢れ返っているところでされてしまうのかと期待と焦りが入り混じったけど、どうやら違うようだった。
言い辛いことなのか、幾らか口をまごつかせている。こんな表情を見せるのは珍しい気がした。首を傾げる私に炭治郎くんはボヤくように呟いた。
「挨拶だとはわかってるけど、やっぱり何も思わずにはいられない」
「……」
「ごめん、その、されないようにしてくれとかそういうわけではないんだ。でも、」
「私も同じだよ」
黙っている私に焦ったのか、弁明のようにつらつらと言葉を重ねる。
私は、炭治郎くんの中でそういうのはあまりない人なのかと思っていた。実際、ナンパのようなものをされていたら嫉妬というよりは助けに入る、という感覚であっただろうし、フランスでの挨拶だって私よりも炭治郎くんは慣れていると思っていたから。でも、普段炭治郎くんは売り場でもなくキッチンにいるわけだし、学校とは違って知り合いというのも限られてしまうし意外とそういう仲の人は少ないのだろうかと今何となく悟った。
「管理人さんにされてたでしょ。あの時とか……」
「……あの時、やっぱり妬いてくれてたんだな!」
自分のことは棚に上げて、というよりは決定的となった事実に素直に喜んでいるだけか、萎れていた表情はすっかり消え去ってしまった。
「行こう、観覧車」
ついさっきまで口を尖らせて不機嫌でいたのはどこへ行ってしまったのか、私の手をとってお店から溢れる光と車のライトに照らされる通り沿いを揚々と歩き始めた。
妬いてくれたことは嬉しいけど、なんだかやっぱり、私の方が好きの度合いは私に軍杯が上がる気がした。
通り沿いを抜けて観覧車が佇む広場へと赴くと、クリスマスの時期はかなり混んでいるらしいけど今はその時期も終え、夜遅いこともあってかあまり人は並んでいなかった。
待ち時間も少なく、広場の中心で光り輝くその大観覧車へと足を踏み入れた。
景色が観れるように向かいに座り、徐々に天辺まで登っていく中で見える街並みに見惚れていた。
「写真撮らないのか?」
「?」
「よく撮ってただろう?」
さっきまで私たちが歩いていた、オレンジの灯りが一直線に伸びている大通りやライトアップされている塔、美術館の眺めを一望していると横から疑問を投げかけられた。
首を傾げる炭治郎くんに私も心の中で疑問を持った。いつから私は、あまり写真を撮らなくなったのだろうと。
こっちへ来てからは、せめて写真フォルダには思い出を沢山残したいと思い付けば携帯を手にして写真を撮っていた。でも、炭治郎くんと付き合いだしてから、それがわかりやすくなくなった気がする。
「…………」
「……?」
煌めく街並みの景色から、私が写真をあまり撮らなくなった所以である炭治郎くんへ視線を移す。
原因は貴方であることは確かなのだけれど、それを本人の前で口にするにはあまりにも恥ずかしい事実であって、羞恥心が声に出すことを邪魔をする。
瞳を逸らし、揺れる観覧車の窓に手を付き俯いた。
ただ、嘘は吐けないし交わせる術も持ち合わせてはいないのだ。後、そう、これはさっき素敵なお店でお酒を飲んでしまったから、恥ずかしさよりも口元が緩んでいる方が勝っているのだ。
「炭治郎くんが隣にいると、写真を撮ることを忘れるの」
「え、それは、すまない……」
「そうじゃなくて」
視線は下へ落としたまま、蚊の鳴くような声で呟いた。けれども意図は理解されず、なぜか私に謝る炭治郎くんへもう一度視線を運ぶ。
炭治郎くんの後ろの景色で、もう頂上まで近いことがわかった。
「写真を撮ることより、炭治郎くんが隣にいるだけで満足しちゃうの」
手短に告げて、ふいと視線を逸らして夜景を眺めた。頂上から見えるその景色に心躍らせていたはずなのに、胸が煩くて頭の中に上手く入ってこない。
勿体無いことをしてしまっている気がするが、私のせいではない。人のせいにしてしまうところもやはり、子供だろうか。
「
」
「綺麗だね、外」
「こっち、座ってくれないか」
もう何もこの話には突っ込まないでいただきたい。遮るように景色を見るよう促してみたけど炭治郎くんは私の話を聞いておらず、窓ガラスに手を付く私の手首を掴んだ。
その手を振り払うことも、断る理由もない私は言われた通りに炭治郎くんの隣へ腰を下ろした。
「そこじゃなくて」
「わっ、!」
私の手を離して、腰に腕を回したかと思えばひょいと持ち上げるようにして膝へ私を座らせた。
唐突な言動に驚いて逸らしていた目を合わせれば、私を見据える赤い瞳の奥が揺れていた。家でもなく、外で並んでいる人から見えてもおかしくない状況に退こうとするけどがっちりと腰に腕が回されているので逃げられない。
「ねえ、見えるよ、外から……」
「だから、誰も気にしないし、そもそも逆光で乗ってる人はよくわからなかったよ」
一度外で、それも見てますよという女の子たちがいる前で私からしてしまったことはあるけど、決して人前でそういうことをするのに慣れたわけではない。
けれども炭治郎くんはそんな私に御構い無しに外でも隙をつくようにこうしてキスを迫るのだ。口を尖らせる私に炭治郎くんは微笑むだけで、優しいのにこれはやめてくれないらしい。
観覧車は、確かに観覧車自体が眩い光を放っていたし、待っている間に乗っている人のことなんて気にしていなかったから大した反論ができないのも狡い。
「いいよな、
は」
「……どういう意味」
私の肩口に顔を埋めながら、炭治郎くんは呟いた。ふわふわとした髪の毛が頬にあたり擽ったい。
視線がぶつかるまま、緩く拒否をしながらも少し期待してしまっていたのに、してくれないのか、そもそも、この流れでそう口にした意味もわからずに眉を顰めた。
「俺、
が隣にいるだけで満足なんてできない」
腰に回された腕の力が少しだけ強くなった気がした。
拗ねたような口振りで発した言葉に、胸の奥底からじわりと熱が込み上げてくる。
もっと、恋人らしいことをしていたい、とか、そういう話なら、それは私も同じなのに。
「
が隣にいてくれて嬉しいことに変わりはないけど……」
「写真を撮らなくなった理由なだけで、私もそう思ってるよ」
見る見るうちに萎れていってしまう様な炭治郎くんに言葉を被せれば、顔をぱっと上げて私を真っ直ぐ見据える。
勿論、人前では恥ずかしいからやめてほしいという考えが変わってはいないけど、よかった、とふわりと笑って顔を寄せた炭治郎くんに瞳を閉じた。
「っん……」
「……、」
柔らかい感触に浸りながら、這った舌に唇を開くと絡みとられ、揺れるゴンドラの中で水音が耳に鳴る。
折角頂上について、一番眺めがよく綺麗な夜景が臨めるところのはずが、気付かない内に私も炭治郎くんの背中へ腕を回し降り注ぐ熱に夢中になっていた。
観覧車