magie
目の前に聳えるのは歴史を感じるような風情あるいつもの景色ではなく、少しだけ夢に溢れた薄くピンクがかった可憐なお城だった。
夢と魔法の国、なんて言葉を象徴するかのようなファンタジーな世界に炭治郎くんといることだけで、足を踏み入れたばかりなのに胸がいっぱいになりそうだった。

「日本と結構違うんだな」

陽気に流れる音楽がこの賑やかな雰囲気を際立たせ、自然と行き交う人たちに笑顔が浮かび上がるような世界だった。飛び交う言語は様々で私たちが日本語で話していたって違和感はまるでない。
そんな辺りを見渡しながら炭治郎くんは隣で口を開いた。

「うん。空いてるね」

日本にはないアトラクションもあって、気になっていたところ。けど、美術館とは違って子供っぽいだろうかと行きたいなんてことは言えなかった。そんなところでテレビを特集しているのを食い入るように見てしまっていたのを気付かれ、行こうか、と一言提案されたのだ。頷かないことはできず、残り数少ない二人でいれる休みの日に電車四十分、ここまで赴いた。
思っていたよりも空いているのはピークの時期も過ぎ、閑散期だからだろうか。

「高校の時、善逸たちと行った時は三月だったからすごく混んでたよ」

懐かしむように目を細めながら、目の前のお城を写真に収めていた。きっと前までは私も自分から普段見ることができない景色を目にしたらカメラを構えていたと思うのに、つられるように鞄から携帯を取り出した。
三月、高校を卒業した年に私も行ったけど確かに人が多かった。でも人混みに苛々しているような人なんて周りには、私の連れくらいしかいなくて、幸せな場所のはずが私だけはその世界観に浸れないのだと俯いていた記憶しかない。

「楽しかった?」
「うん。伊之助が乗り物に酔ったりして大変だったけど」

苦笑いを浮かべているけど、炭治郎くんの中ではきっと特別な思い出の一つなのだろうと穏やかな声色から伝わってくる。
友達も家族も、みんなを大切に思っている時の炭治郎くんが一番優しい表情をしているかもしれない。

「いるよね、たまにベンチでぐったりしてる人」
「伊之助はすぐに復活してたけどな。周りの人もみんな優しくて。近くで水売ってる場所教えてもらったりベンチ空けてくれた人とかもいて」

それは、なんとなくだけど炭治郎くんが優しいから必然とそういう人が集まってくれるような気がした。話してなくても人柄というものは第一印象で植え付けられると思うし、炭治郎くんの場合はなんというか、オーラが滲み出ている。
困っている、助けたい、と意識が向いてしまうような人だ。

「でも楽しかったな」

ほんの少し、寂しくなった。今、炭治郎くんが思い描くその人たちはこの場にはいない。
だから今、私とこうしている時間も、先の未来で楽しかったと思い出してくれるような一日だと嬉しいのだけれど。
カメラモードにした画面の中にはキャラクターモチーフの耳飾りや帽子を被って城の中へ入っていく人たちが映り込む。まばらになったところでシャッターボタンを押して、今日初めて撮った写真がフォルダに保存された。

「ああいう風に、みんなで耳がついた帽子被ったりしてさ」
「えっ」
「ん?」

携帯を鞄にしまった私の手を炭治郎くんが自然にふわりと重ねる。それから画面の中で城の下を歩いていた人たちと同じく私たちも潜っている中で炭治郎くんが数人の学生らしきグループを指差した。
みんなそれぞれ好きなキャラクターモチーフの耳飾りや帽子をつけている。ここでは不思議ではない光景なのだけれど、私の反応に炭治郎くんはほんの少し目を丸くする。
ああやって、童心に返ってここの雰囲気を楽しんだりすることがいいなって思っていた。ただ、男の人はやっぱり少なからず抵抗はあるのだろうと考えて黙ってはいたけど、つけてくれるのだろうか。
嫌ではないだろうか。楽しかった、と口にしているくらいだから、そんなことはないのかな。でもそれは高校の時であって、もう流石に、かな。

「つけようか!」

炭治郎くんから視線を逸らし、口を噤んで悶々と頭の中を回転させていると、明るい声が隣から耳に飛び込んできた。
ちょうど城を潜ったすぐで、太陽の光が炭治郎くんの後ろから降り注いで一段とその笑顔が眩しく見えた。
指を絡ませた手を少しだけ強めて、口を尖らせた。

「なんでそんなに優しいの」
「そうか?」
「そうだよ、炭治郎くんも我儘言ってね」

気温は一桁だろうか、それほど寒い日であるのに心の中はポカポカと温かさが広がっていく。繋がる手から伝わる体温以上に、胸の中に熱がじわじわと溜まって焦がれてしまいそう。
好きな子には優しくありたいって前に話していたけど、それに限度はないのだろうか。何をしても許してくれそうで、それにどこまでも甘えてしまいそうになる。
自慢の恋人だと、自分でも自信が持てるくらいになりたいと思っているのに、ただの優しさに蕩けた人間が形成されている気がする。
我儘を言ってほしいとは口にしたものの、何をつけるか選ぶ時まで炭治郎くんは私の好きにしてくれる。全部可愛いから何を選んでも嫌そうにはしないという理由もあるのだろうけど。

「そういえば、髪、それそのままで大丈夫か?」

選んだ耳飾り、買う時にタグは切ってもらってすぐにつけられるような状態で受け取った。ベンチに座って周りの人たちと同じく装着しようとした時におもむろに炭治郎くんが今日の私の髪型を気にし出した。
まじまじと見られているのは編み込んでいる部分。

「大丈夫だよ。つける角度少しずらせば」
「へえ……」
「……なに?」

何か、変なところがあるのだろうか。跳ねてたりしたら最初に教えて欲しかったのだけれど、今日駅で待ち合わせてた時は可愛いなって言ってくれていたのを思い出す。仮に乱れてたりしたらにこりと笑いながら優しく教えてくれそうだけど、炭治郎くんの表情を見ているとそういうことでもなさそうだった。僅かに首を傾げて編み込んであるはずの部分をじっと見られている。

「それ、どうなってるんだ?」
「編み込んでるんだよ。変?」
「可愛い。でもよく見るとやり方が複雑そうだなって。女の子は器用だよな」

へええ、と角度を変えて真剣に凝視されるものだから、段々と恥ずかしくなってきてカチューシャを装着した。多分、いや、絶対炭治郎くんの方が全般的に器用だとは思うけど。
あと、『可愛い』と即答されたのがこそばゆい。

「炭治郎くん、こういうのできるのかと思ってた」
「美容師じゃないぞ、俺は」
「そうだけど、でもやってあげてたり」

大きい耳を頭につけると、なんとなくしていない時よりもここの雰囲気に溶け込むような気がした。
私が装着したのを見てから炭治郎くんも嫌な顔一つせず大きな耳を頭につける。

「そういうのは母さんがやってたから」
「そうなんだ……」

なんでもできる頼りなお兄ちゃん、なイメージが強くて、私には炭治郎くんは本当になんでもできる人な印象が根付いていた。
また、日本にいた時のことを思い出しているのかどこか遠いところを見つめる優しい眼差しになっている。家族のことも、友達のことも大切で大好きで、そんな炭治郎くんが私も好きだなとほんの少し心細さをを感じながら横目で映していると、バチっと丸い瞳と目が合った。

「似合うな!」
「え、私より炭治郎くんの方が似合ってる」
「それは、複雑だな……」

この寒さに似つかないような笑顔を向けられ、素直に感じたことだった。私は褒め言葉のつもりだったのに、炭治郎くん的にはそうでもないらしい。童顔がどうだとかボヤいている。言われてみればそうかもしれないけど、気にしているのだろうか。
知らなかった事実に思わず口を押さえて笑ってしまえば面白くなさそうな顔をされた。
憧れでもあったし、夢だった。こうして大切に思っている人と普通の恋人のようなことをできることが。

「あ、そうだ。我儘言っていいか?」
「?うん」
「写真を撮ろう。俺と」

手鏡で髪が崩れていないか確認していると、炭治郎くんは携帯を取り出した。口角を上げて嬉々とする炭治郎くんと携帯を交互に視線を配る。
我儘って、それは我儘に分類されるものではない気が私にはするのだけれど、炭治郎くんはそんなことでいいのだろうか。
カメラを起動して内カメにする炭治郎くんに肩を抱き寄せられたことで気付いた。二人で写真を撮ることなんて、今までなかったことに。
元々、景色とか食べ物を撮っていただけで写真を撮るような人間ではなかったし誰かと、なんて以ての外。
ちゃんと笑えるだろうか、顔が引きつりそうだと内心焦っていると、画面越しに炭治郎くんと目が合った。にこりと温かい笑みを向けられてしまい、肩に入っていた力が抜けて自然と私も笑みが溢れてしまったところでカシャ、と音が鳴った。
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