マフラー
甘露寺さんから教えてもらったチョコレート専門店へ向かうと、見知った顔がいて目を丸くした。そういえば、チョコレート屋で働いていると言っていた。恋バナ大好きクラスメイト。
ショーケース越しにその子は私へチョコレートの説明をする。一粒一粒が宝石のようにキラキラしていて心が踊る。思わず自分用にも買いたくなってしまいそうだった。一粒が高いので諦めるけど。

「ラッピングはどうする?赤とピンクと黒と緑があるよ」

これはオレンジが入ってる、こっちは少しお酒が入ってて一番端のはオーソドックスなミルクチョコレートだよ、と次々と説明されて、正直一度では覚えられなかったけど説明書きもあったので好きそうなのを12粒選んだ。あくまで全てチョコレートだから、見た目で選んだのも少しあるけど。全部美味しそうだったから、きっと大丈夫。手際よく箱に詰めてもらって包装紙をどうするか尋ねられたので、迷わず緑と答えた。

「緑ね、オッケー。炭治郎って緑好きなの?」
「……多分」
「多分?」
「うん」

迷わなかったけど、本人に直接聞いたわけではなかった。ただ、その四色を並べられたら一番緑がしっくりきた。本人は髪も瞳も赤みがかっているけど、思い返せば身に付けるものもなんとなく緑が多いような気がする。マフラーだけは青だったけど。

「仲悪いの?」
「そんなことないよ」
「本当?ラブラブにしてる?」
「ラ、う、うん」

直接そういう言葉を口に出されると気恥ずかしさに吃ってしまう。炭治郎くんとの仲を形容するのであれば、間違ってはいないのだろうけどその言葉を繰り返す度胸はなく頷いた。
目を細めてふうん、と呟き私へ綺麗に包装されたチョコレートを手渡す。

「炭治郎、春に帰るって言ってたよね。そろそろ?」
「うん……」

意識しないように避けていた事実を声に出されると、現実を突きつけられてしまう。春に帰ってしまうことは、付き合う前からわかっていた。だから私は今のような、周りに恋人ですとか、それこそラブラブだなんて思われるような関係にはその時はなろうとはしなかった。
寂しくなることなんてわかっていたのに、差し伸べられる温かさと優しさが混じり合った手を受け取ってしまった。

「遠距離じゃん!」
「……うん」
「アルフィに乗り換えないでね?」
「それはないから安心して……」

気にしていたのはそこだったか、とショーケース越しに忠告する姿を目にして理解した。
季節柄混み合っているので話もそこそこにしてショップを後にした。
寒風に乾いた木々が揺れていて私も身が凍えそう。
炭治郎くんがいなくなったらきっと、もっと寒くなってしまうのだろうなと思うと、胸の内から徐々に降りつもる冷たい雪で覆われてしまうような感覚がした。

バレンタインの翌日、当日は忙しそうで会えなかったから休みの日の今日、炭治郎くんの元へ向かっていた。
電車を降りて駅前に出ると、これまた見知った顔が。ただ、わざわざ挨拶をするような間柄というわけでもなくて声をかけるのを躊躇った。炭治郎くんだったらきっと一回二回しか面識がなかったとしてもきっと意気揚々と話しかけるだろう。ジェラートを食べていたあの日、独り言のようにパン屋のお兄さん、と最初にアクションを起こしたのは私の方だけど、それを差し置いても一度しか会ったことがない私の悩みを聞こうとしてくれたくらいだ。

「……あ」

どうすべきか決まらないままに、進行方向にいるその子へトボトボと近付いていると、建物の壁に背中を預けて携帯を弄っていた視線をこちらへ向けられた。気付かれてしまった。

「……こんにちは」

あ、と声を出されたからにはシカトすることはできずにいたので一応何ヶ月ぶりかに姿を見たマカロンちゃんへ会釈した。
私が持っている荷物を見て怪訝な顔を浮かべる。

「何を炭治郎へプレゼントする気なの?」
「色々と……」
「まあ、どうでもいいけど」

私が炭治郎くんの元へ向かうのは、この駅にいることから想像できたのだろう。クラスメイトの元で買ったチョコレート以外にも、色々とかさ張る荷物を持っていた私にマカロンちゃんは息を吐く。

「日本人はそういうプレゼントでしか感情が表現できないなんて」

話が終わるかと思いきや、マカロンちゃんは私を見てせせら笑うような表情をを浮かべた。
マリーさんが言っていた。商業的なイベントだからやっている人とやっていない人がいる、と。だからこの子はそういうイベントごとにはきっと便乗しない人なのだ。好きそうだから少し意外だなと思った。

「ていうかバレンタインどころでもないんじゃない?今忙しいでしょ」
「今日は休みだよ」
「そんなの知ってるわよ去年と同じなんだから。同じじゃないのは炭治郎。もうすぐ一人減るし、炭治郎が考えたパンだって周りが同じように作れるようにならなくちゃいけないんだから。結構あるのよ、それが」
「……詳しいね」
「この前忙しいからってヘルプが私にかかってきたのよ。断固拒否したけどね」

最近、確かに忙しそうだったけど、バレンタインの時期だから忙しいのかと思っていた。実際はそれとプラス、炭治郎くん自身の問題もあったらしい。私は全く知らなくて、マカロンちゃんが知っていたことに若干の不満を覚えつつ、これ以上そういう話はこの子の口から聞きたくはないと、そうみたいだね、なんてさも知っていたかのように返してその場を後にした。

「ちょっとまだー?はあ?電車遅れてる?早くしてよもー。おかげで会いたくない女に会っちゃったわよ」

私へ聞こえるように大声で電話している相手は彼氏だろうか。その声を背にしながら、ベーカリーで働いていた愛嬌はどこへ行ってしまったのかと、うっすらあの頃を思い浮かべた。けれど、日本にいた時、私も愛想笑いを沢山していたから、なんだか似ているような気がしてしまった。
部屋の前に着いて合鍵を使って扉を開けると、炭治郎くんがすぐに気付いて駆け寄ってきてくれた。

、駅に着きそうになったら連絡してくれって言ったよな?」

開口一番に、眉を下げて口を尖らせる炭治郎くん。ここへ来る前、電話越しにそう伝えられていた。けど、この荷物を炭治郎くんに持ってもらいたくなくて、黙ってきたのだ。
でもマカロンちゃんがいたから、結果的にはどっちにしろ迎えにはきてもらわなくてよかった。

「また風邪引いたら困るでしょ」
「そんなに簡単に引かないぞ」
「嘘。びっくりさせたくて」
「?」
「カフェラテ、作ってもいい?」

チョコレートの他に、私が手にしてきたのはカフェラテを作るための器具セットだった。この部屋にエスプレッソマシンやミルクピッチャーなんてものはないから、全てバイト先から借りてきた。業務用ではなく、正確にはマリーさんの私物を、だけど。
大きな手提げに入っていたミルクピッチャーを出して炭治郎くんに向ければ、目を丸くさせた後に快く頷いてくれた。
何か、私にしかできないことがしたかった。正確に言えばこれはできる人には誰にでもできるけど、ここに来て私が学んだことの一つだったから。
今日だけは炭治郎くんもキッチンにいる私に、手伝うことがあるか?なんて聞いてこない。
クリーム色のラテにミルクを注いで、慣れた手付きで絵を描いた。炭治郎くんが待つソファーの前のローテーブルにどうぞ、とマグカップを静かに置く。描かれた絵を見た炭治郎くんは隣に座る私へ顔を向けた。

「太陽か?これ」
「うん。炭治郎くんっぽいでしょ」

文字ではなく、燦々と照りつける太陽をイメージして絵を描いた。前は本人に本人をイメージしたものを出すなんて考えられなかったけど、今は心の底から素直に描ける。
私がこれを言う度に炭治郎くんはやっぱり困ったような笑顔を見せた。

「俺のこと、知ってもらうほどそのイメージはなくなると思ってたんだけどな」
「変わらないよ。ずっと眩しい」

自分自身のことを太陽だと思ってる人なんて、一握りだと思うから炭治郎くんがそうではないと首を横に振るのは当然のことで。でも私の中では、知れば知るほど炭治郎くんは温かくて優しくて眩しくて、一面が木々と灰色の雪景色に覆われた中にいる私にでさえ、その光が差し込んでくるような人だった。

「飲むのが勿体無いな……」
「美味しいから飲んで」
「そうだ、写真を撮ろう」
「……載せないでね」
「え、でもみんなに見てほしいな。が俺に作ってくれたんだって」

だから、そういうのが私は恥ずかしいと思っているのに炭治郎くんはそうでもないのだろうか。それに、家族とか友達を載せるより、恋人とのあれそれを載せるの、私はもしものことを想像してしまって、億劫だ。私はそういうのを見てるだけの人ではあるけど。
上手く撮れた!と満足げにしている炭治郎くんヘ、この前買ったばかりのチョコレートを差し出した。

「バレンタインだから」
「……ありがとう!」
「いいえ」
「俺もあるんだ!」
「え?」

何を突然言い出すのかと思えば、炭治郎くんはソファーから立ち上がって戸棚の傍に置いてある紙袋を手にして戻ってきた。
私が差し出したチョコレートをもう一度ありがとうとお礼を言ってから受け取って、代わりに私へ持ってきた紙袋を差し出す。

「私に?え、バレンタインだよ?」
「こっちじゃ男性から女性に贈るって聞いていたから。薔薇が一般的とも聞いてはいたけど……、開けてみてくれないか?」

優しい表情で私にそう話す炭治郎くんに、控えめにそれを受け取った。ふわふわとしたものが入っていそうだ。言われた通り、お店のシールで止められた封を開けて中身を取り出してみると、顔を覗かせたのは青いマフラーだった。

「寒いのに、マフラーしてないだろう?」

肌触りがとても滑らかで暖かそうなマフラーだった。炭治郎くんがいつもしているのと似ている。というか、同じような気がする。
折りたたまれたマフラーを手にして広げると、文字が刺繍されているのに気付く。私の名前だ。

「あったかかっただろう?それ」

確かに、ふわりと巻かれた日はとても暖かった。炭治郎くんといると、常にぽかぽかとしてしまうので自分の体温なのか身に纏うもののせいなのかがわからなくなってしまうけど。
お揃いだな!と炭治郎くんは言いながら、チョコレートの包みを開けて目を輝かせる。

「全部美味しそうだな」
「炭治郎くん」
「ん?一緒に食べよう。はどれが食べたい?」

私が炭治郎くんへプレゼントしたものなのに、私が選んだチョコレートは食べないつもりなのだろう。発揮される長男力にいつもは口を尖らせるけど、私は今別のことを考えていた。

「我儘言ってもいい?」
「ああ!好きなの選んでいいぞ」
「じゃあ、それ」

私が指差したのは、炭治郎くんが持っている艶めくチョコレート……ではなく、炭治郎くんの後ろ。ラックにコートと一緒にかけられた、炭治郎くんがいつもしている青いマフラー。
私が指を差した先を追う炭治郎くん。それからまた私へ顔を向け、もう一度マフラーへ、チョコレートへ、と困惑している。

「ん?え?」
「マフラー、交換してほしいな……て」

同じマフラーだけど、刺繍された文字が違う。折角お揃いで持つなら、私は遠く離れてしまう炭治郎くんを傍で感じることができるものが欲しかった。そして、炭治郎くんには私の名前が入ったものを持っていてほしかった。向こうに行ってしまう時は、もうマフラーなんて必要のない季節になって周りの女の子へ牽制、なんて役には立たないけど。
プレゼントしてくれたものを交換してくれだなんて、本当に不粋なことだ。それでも、私が炭治郎くんの温もりに浸っていたかった。
炭治郎くんは数秒固まった後、我に返ったような素振りを見せる。駄目だろうか。流石に聞けない我儘だろうか。

「このプレゼントが嫌なわけじゃないよ、ただ、」
「俺もそうしたい」

怒ってしまっただろうか、だとしたら謝らないと、と口を開いたけど、目の前の炭治郎くんは私の手をとった。
まっすぐ私を見つめて、眉を下げて笑う。

「ただ、あのマフラーは一年以上使ってるからこっちより毛玉が多いけど。がそれでいいなら」
「……うん。あれがいいの」

一生の別れ、というわけでもないのに、折角私のことを好きになってくれた人が、しかも、こんな太陽みたいな人が遠い場所へ行ってしまうことにそれほどの寂しさを感じていた。元々一人だったのに、この人のそばにいることに慣れてしまっている。


「、」
「どれが食べたい?」

チョコレートを開けた時よりも随分と落ち着きのある優しい声で私に尋ねた。匂いで、バレてしまっているのだろう。
差し出された宝石のようなチョコレートを一粒これ、と選ぶと、炭治郎くんはそれを口に運んで箱をテーブルに置く。
てっきり私にくれるのかと思っていたのに、予想外の行動に呆気にとられていると私の頭に手を回して驚く間も無く唇を重ねられた。

「、っ、……ん、!」

器用に流れ込んできたチョコレートが舌で転がされて、あっという間に口の中に溶けて広がっていく。それを舐めとるように口内を侵食されて、いつにも増して甘いキスに熱が昇ってしまう。
名残惜しく糸を引きながら離れた時には息も絶え絶えだった。
決してそれで足りないわけではない。むしろもう身体中は熱くて、火照っているのに、離れたくないと、そればかり気持ちが先行していた。

「こっちも食べたい」

テーブルに置いてある残りのチョコレートを指差し、二度目の我儘を放った。目は合わせられない。

「……代わりに、私もあげますので」

私の我儘ばかり聞いてもらっているから、私のことを安上がりでないと言ってくれたから。
小さく呟いた私に、炭治郎くんはいただきますと言ってからチョコレートを含んで、再び私へ口付けた。
甘くて優しくて、ちょっとだけしつこいチョコレートの味だった。
マフラー