ベンチ
心にも思ってないことを言ってしまった。
自分とはいない方が、と話すに思考が途絶えて、見えるものと聞こえるもの、表面だけで感じ取ったことを口走ってしまった自分に溜息を吐いた。あいつのせいで少し頭に血が上っていたのもあるが……、いや、人のせいにしてはダメだ。俺が悪い。
ただ、去っていくを追いかけることはできなかった。追いかけたとしても、気の利いた言葉が出てこなかったからだ。

「はー……」
「おい炭治郎」
「あ、はい!」
「出て行け」

綿棒をトントンと手で叩きながら、ボスさんに告げられた一言に固まった。辛気くせえままキッチンに立つな、頭冷やしてこい、とキッチンを追いやられ、休憩スペースでどうしようかと悩んでいれば、その様子に更に外へ出てこいと背中を押され、言われるがまま着替えてから外を歩いた。一応、仕事中であるのに申し訳なさが募った。
観光客が多い時期で、相変わらず店も、通り沿いの他の店も人々で賑わっていた。カフェや雑貨店が立ち並ぶこの通りの景色も、もう見ることは残り僅かだと思うと少なからず寂しさが残る。
頭を冷やしてこいと言われたものの、どうしたらいいかわからない俺は通りを抜けて公園に入った。緑色のベンチにも、と会ってから思い出の場所の一つとなっていた。このまま、俺はただの思い出にしたくないと思っているのに、どうすべきか答えがでない。

「あ、不細工」

ベンチに座らず、ぼうっと眺めながらとここであったことを頭に浮かべていると、どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。
振り向くと、色素の薄い髪を風に揺らしてこちらを見ている謝花さんだった。同時にキツめの香水の香りが漂ってくる。この匂いに覚えがあった。と船に乗った日、から香ってきた匂いと同じだ。

「はっはーん、彼女に振られた?ざまあ」
「……に会ったのか?」

どうしてここにいるのか、はおそらくファッションショーがあるからだと推測できたから聞かなかった。高校の頃、スカウトされて雑誌に載ったと学校で話題になっていた。それ以来モデルの仕事は続けていると、高校を卒業してからも耳にしていた。
なぜか謝花さん、いや、謝花兄妹は俺のことが嫌いらしくあまりいい顔をされない。学校で素行が悪かったのを注意していたからだろうかとも思うけど、それはこの二人が悪いことに違いない。
俺の様子に謝花さんを面白そうに口角を上げている。

「まあまあ美人じゃない。アンタみたいな不細工じゃ釣り合わないんだし、別れて正解ね」
「別れてないし、見た目で付き合っているわけではない」
「同じこと言ってる……うっざ」

今にも別れそう、ではあるのだが。低い声で呟いた声は上手く聞き取れなかった。ただ、改めて聞き返すこともないと思ってそのままにした。
謝花さんは目を細めた後、その特徴的な大きい目を開き、楽しそうに俺に告げた。

「もう別れたいって言ってたわよ。疲れるって」
「……」
「付き合わせてるの可哀想なんだから別れなさいよ」
「それは嘘だ」

俺に嫌な思いをしてほしいのか、高校の時から俺に対してよく嘘を吐いて騙そうとしていた。けれども生憎俺は鼻が効くからすぐに嘘だと見抜けて、それが更に癪に触るらしかった。今も変わらず、嘘だと見抜いた俺に謝花さんは顔を歪ませる。

「うっざ!!もう本当にうっざい!アンタほんっとに変わって、」
「おーここにいたのか。何やってんのお前ら」

割って入るように、頭上からかけられた声に目を見張った。見上げると、ポケットに手を入れて、何食わぬ顔で俺たちの様子を見ている宇髄先生がいた。
まさかこっちにいるとは思っていなくて、開いた口が塞がらない。

「宇髄先生、どうしてここに?」
「呼ばれたのと、こいつの面倒見に」

そう言いながら俺に見せたのは、おそらくファッションショーの招待状だった。流石の人脈に驚いていると、隣からフンッとつまらなそうに息を吐く音が聞こえる。

「おいおいなんだ?誰のおかげでショーに出れてると思ってんだ?」
「はあ?アンタの力なんてなくたって最初からデザイナーに目つけられてるっつーの!トップモデルよ?私は」
「トップでもねえだろ。未だに歩く時に癖抜けてねえぞ」
「……~!!うるっさいわね!お兄ちゃーん!!」

今にもここで小競り合いが始まってしまいそうで止めに入ろうとしたが、謝花さんの方から助けを求め駆けていったのでそれは免れた。小競り合いが始まると言っても、宇髄先生が受け流してそれに更に謝花さんが食ってかかる、というのが昔からのお決まりの光景なのだが。

「先生、来てたなら言ってくれたらよかったのに」
「はあ?どうせお前すぐ帰ってくるだろ。わざわざここで会う必要はねえ。俺は忙しいんだ」
「……」
「まあでも、悩みくらい聞いてやってもいいけどな」
「え」

相変わらず掴み所のない人だとぼんやり思っていると、宇髄先生は俺の頭を大きいその手で包み込んだ。本人は撫でているつもりなのだろうが、強すぎてぐわんぐわんと頭が揺れる。

「この場所に地味な顔は似合わねえんだよ」

謝花さんが気付くくらいだ。宇髄先生が気付かないわけはなかった。
ほら座れ、と宇髄先生は緑色のベンチに豪快に座り隣をポンポンと叩く。言われた通りに俺はそこに腰掛けた。少し、いや大分嬉しかった。自分一人では、どうしたらいいのかわからなかったから。
彼女がいること、のこと、もうすぐ離れてしまうこと、今まであったこととこれからあるであろうことを全て話した。

「どうしたら、を不安にさせないことができるんでしょうか……、自信を無くしそうです」

正直なところ、最初から心のどこかで、こういうことが少なからずあるのではないかと危惧していた自分もいた。信じてほしくて、を手放したくなくて、離れていってほしくなくて、外堀を埋めるようにみんなにを紹介していた。逃げ道をなくすような真似をしていた。勿論、心からみんなに紹介したいという思いがあった上で、だけど。
話し終えた後、宇髄先生はハッと小さく息を吐いた。

「お前が自信無くしてどうすんだよ」
「……でも、」
「でもじゃねえよ。いいか、自己肯定感が低い女ってのはろくでもねえ男に引っかかっちまう。好きだと言われて、付き合えるだけで相手に感謝。んで、捨てられてまた自己嫌悪。その繰り返しなんだよ」

雲に隠れていた太陽が顔を覗かせ、木の葉の隙間から日差しが俺たちのいる場所へ降り注ぐ。
ベンチの背に両腕を預け、宇髄先生はどこか遠い場所を見つめていた。

「付き合えるだけで感謝って、それ、誰かに言い寄られたら危なくないですか……?」
「まあ、危ないな。すぐそばにお前がいないなら尚更。ぶっちゃけお前は信用されてない」
「…………」
「この世の終わりみたいな顔すんな」

外からも内側からも、冷たい風が吹き抜けて身を凍らせた。
俺にアドバイスをくれるのかと思っていたのに、まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。確かに悩みを聞くと言われただけで助言するとは一言も話してはいなかったが。
あからさまに顔に出す俺に宇髄先生は顔を引きつらせつつ、小さく息を吐いて続けた。

「しゃーねえんだよ。そういう女は彼氏ができても『どうして私を愛してくれるんだろう』『何かして欲しいことがあるから優しいんじゃないか』とか、そういうことを思うんだよ」
「そんな……」
「過度に相手から嫌われるかもしれないと思うってのは、相手のことを信頼できてない証拠だ」

信頼されていないという事実に、胸が締め付けられいた。俺にはどうすることもできないのだろうか。
でも、このまま日本に帰って、気付いたらが誰か知らない人の恋人になっている、なんて考えたくもなかった。何もできずにいる自分がもどかしい。

「俺、どうしたら、いいんですかね……」
「はあ?簡単な話だろ」

膝の上で拳を握って苦し紛れに呟いた。俺にできることはあるのだろうか。今までずっと一緒にいて、今更に俺ができることなんて、あるのかと自信を失いかけていた。
そんな俺に宇髄先生は鼻を鳴らして答えた。

「お前が自己肯定感高くしてやれば済む話だ」
「でも、俺なんども好きだって、」
「言葉で足りないなら行動で示せ。を好きでいるお前にしかできねえことはないのか」
「……を好きでいる、俺にしかできないこと……」
「出せるもんは全部出せ。ないならそこまでの話だ」

ギュッと唇を噛み締める俺に宇髄先生は続けた。ここで俺が学んだものは、日本に帰ってから恥じないパン職人になる為の技術。それと……、ちょうどこの場所で、から教えてもらったものが脳内に自然と描かれる。
すうっと宇髄先生の言葉が胸に浸透して、ある考えが浮かんだ。その様子に宇髄先生は口角を上げる。

「派手にな」
「……はい!」

自信のない彼女へ、俺が自信を無くしていたらどうしようもない。俺はのことが誰よりも好きなんだ。その想いを伝えて、も自分のことを好きになってほしい。それがを強くする、という言葉に一番近いものだろう。
思い付いたことを早速行動に移したくて、立ち上がって宇髄先生へ頭を下げた。
公園を出る前に、謝花さんがコーヒーを飲みながらいかにもな面白くなさそうな顔をこちらへ向けていて、一つ確認したいことがあって歩み寄ると、更に顔を歪ませられた。

「なによ」
に何を言ったんだ?」
「別に何も……、」
「…………」
「あーもうめんどくさいわね!長続きしないしどうせ別れるでしょって言っただけ。それで別れたらそれまでってことでしょ。私は悪くないから」

嘘はすぐにわかる。それに気付いて、謝花さんは心底嫌そうな顔をしながら俺に教えてくれた。
不愉快そうに顔を背けてしっし、と俺を払う。確かに、人に言われて別れてしまったらそれまでだ。それは間違いではない。危うく俺はその程度の人間になってしまうところだった。

「もうにそういうことは言わないでくれ。話なら俺が聞くから」

いくら第三者からの意見に左右されない関係に、とは言っても不用意に不安にさせるようなことはさせたくない。俺が気にくわないのであれば俺だけに言えばいい。
俺の発言に謝花さんは顔を引きつらせた。

「うるっさいわね早く行きなさいよ。不細工が移る」
「約束してくれ」
「はあ?誰に向かって口き、」
「約束してくれ」
「……あーはいはいわかったわよクソ真面目!早く消えて!」
「ありがとう!ショー頑張って」

駆け出した俺の背中に、アンタに言われなくても、と叫ぶ声が浴びせられた。
裏口から店へ戻ると、いち早くボスさんへ気付かれる。

「お、戻ってきたな炭治郎。いいかいいことを教えてやる、観光名所で有名なあの橋の上でキスをすると永遠に、」
「すみません、キッチンお借りしてもいいですか!」

俺は本当に、みんなから守られていると思った。だから、俺がを守らないといけない。俺は男で、長男で、の恋人なのだから。
言葉だけでは伝わらないのであれば、俺ができること全てを使って、ありったけの想いをに伝えたい。
ベンチ