クルーズ
勝手に見ることに後ろめたさを感じて、今まで見ないようにしていた炭治郎くんのアカウント。直近の写真は私がバレンタインで描いた太陽のラテアートだった。結局載せていたことに多少複雑になりながらも、それよりも気になることがあって、画面をスクロールさせていた。
並んでいる名前の中で見つけた女の子たちのアカウント。何もおかしなことではないのに、唇をギュ、と、噛みしめ携帯の画面を暗くした。
何をストーカーみたいなことをしているのだろうか。勝手に詮索して、勝手に落ち込んで。
一人で考え込んだところで何も解決しないことはわかってるけど、だからといってこんなこと炭治郎くんに話せるわけがない。
今は何とでも言ったって、離れてしまえば、どうなるかなんて、その時しかわからない。
無意識に吐いてしまった溜息に気付かないまま、バイト先までの道を歩いた。

「あーーー、疲れた」

穏やかな音楽が流れる店内で、気怠げに息を漏らす声を耳にする。バイクを描いて欲しい、と注文された同い年くらいの、とても綺麗な日本人。
注文を受ける際、英語を話そうとしていたけどその二人が入ってきた時に日本語が聞こえたので日本語で大丈夫ですと言えば、早く言いなさいよと苛立ちを募らせてしまった。
すらっとした長い足を組んで椅子に座り、丸テーブルに頬杖をつきながら口を尖らせている。

「大丈夫か」
「休憩少なすぎ」

向かいに座っているのは、彼氏だろうか。先程からつらつらと愚痴のようなものを零している女の子へフォローを入れながらも、時折ふと愛しい子を見るような優しい目をしている。その表情に、どこか既視感があった。

「期待されてるからなあ」
「やっぱり?だと思う?」
「それしかないだろ」

得意げにふふん、と鼻を鳴らす彼女。少し声が大きくて目立っているというのも少なからずあると思うけど、お店にいる男の人たちがチラチラとたまに視線を向けているくらいには整った顔立ちにスタイルで、おそらくモデルなのだろうと推測。

「来シーズンはコレクション本会場歩けちゃうかな、私」
「行けるなあ、デザイナーたちが目つける」
「さすがぁわかってる!あの派手男、絶対見返してやるんだから」
「あのいけすかねえ野郎なあ。今日美味い店連れてってやるから残りもしっかりやれよ」
「やったー!うん、頑張る!」

お店に入った時から女の子は寒いだの疲れただの苛々とした雰囲気を漂わせていたけど、お兄さんのフォローに顔色を一転させた。
愚痴を垂れているところも我儘なところも、女の子のことが全て好きなのだろう。美人だし。……それだけだと顔しか見ていないということになってしまうから勿論性格ありきではあるだろうけど。
ただその二人を見ていて、なんとなく、私もあの女の子のように我儘を炭治郎くんへ聞いてもらっているように見えた。あれほど美人でもなければモデルでもないけれど。

「そろそろ行くぞ、梅」
「はいはーい」

ガタッと席を立ち、注がれる視線に慣れたように得意げな笑みを浮かべながらその女の子はお兄さんの後へ続いた。
ふわりと香った香水の匂いが、去った後もお店に存在感を示しているようだった。

バイト終わりに携帯を確認すると、メッセージが二件。一件はいつも通り炭治郎くん。もう一件は、無視しているのにも関わらず友達かのように『今何してるの?』なんて寄越してくる男だった。
会いたくないしその名前を目にも留めたくないとブロックをしてから、炭治郎くんへ連絡を返し、バイト先を後にした。

「そうだ、次の休みはまたどこか行かないか?」

夕食を食べ終えて、私がカフェから持ってきたコーヒーを飲みながら二人でソファーに並びテレビを見ていた。春先、コレクションも開かれるこの時期は秋よりも観光客が増えるらしく、写真家が観光客の多いスポットを回ってその様子を写真に収めている内容だった。
コーヒーを一口含んで一息吐いていると、炭治郎くんは思いついたように声を上げた。

「……私はいいけど、大丈夫?疲れてるでしょ」

観光客が増えている、というのは炭治郎くんのお店でも一緒。人気なお店だし最近は朝晩遅番という括りなくずっと働いているみたいだから、無理はして欲しくなかった。
私がここのところずっと、離れてしまう寂しさを募らせていることに気付いてくれているから、そう提案してくれているのかと思うと心苦しかった。面倒臭い女だとはわかってる。でも、炭治郎くんが大変な時に気を遣わせるような真似はしたくはない。

「大丈夫。俺がと出かけたいんだ」
「……」

尋ねる私に炭治郎くんは優しく微笑んで私の頭を撫でてから頬を包み込む。視線を両手で持つマグカップへ下げると、名前を呼ばれて顔を持ち上げられる。ゆっくりと近付いてきたので瞳を閉じた。
温かさとコーヒーの香りでいっぱいになる。

「どこへ行こうか」
「……本当に大丈夫?」
「俺、嘘は吐けないって知ってるよな?」
「そうだけど……」

嘘は吐けないし、吐きたくない人だというのは理解している。だから、私とどこか出かけたいと言うのは本心で。でも、私が匂いを漂わせていなかったらそう思うこともなかったのかなとは多少思う。

はどこへ行きたい?」

口籠る私に、行くか行かないかの選択肢は与えない。
頬に触れられている手から伝わる体温がなくなってしまうことを考えると、胸が締め付けられる。
炭治郎くんと行きたいところはまだまだ沢山あるはずなのに、全く浮かばなくて、目線だけ炭治郎くんから逃れるようにテレビへと向けた。

「……ああ、船!」
「え」

私が移動させた視線の先では、写真家が観光客でいっぱいになるナイトクルージングの光景をカメラに収めていた。出てくる肉料理に湯気が立ちこちらまで匂いが香ってきそう。
私はそれへ炭治郎くんの瞳に映る自分から目を逸らしただけなのだけれど、炭治郎くんは私がそれに乗りたいと勘違いしたらしい。

「前に橋の上からずっと見てたよな、乗りたそうに」

目尻を下げて笑う炭治郎くんの言葉に思い出した。付き合う前に、橋の上から灯りが洩れる船を眺めていたこと。ああいうのに憧れてしまうなと思っていたこと。
だから、炭治郎くんとそういうことができるなんてこれ以上ない幸せなはずなのに、他の考え事のせいで心から喜ぶことができずにいる。ますます自分が嫌いになってしまいそうだった。

「いいの?炭治郎くんは行きたいところないの?」
が行きたいと思ってる場所に行きたい。喜んでほしいんだ」

俯いたまま尋ねれば、炭治郎くんは私が持っているマグカップをそっと奪いローテーブルへコト、と静かに置いた。
これ以上ない提案に喜ぶことができずにいる私に、再び顔を寄せ唇を重ねる。嬉しさでもない何かが込み上げて、感情が溢れ出てしまうのを必死に耐えた。
炭治郎くんも、寂しいと思ってくれているのだろうか。ただ、そうだとしても、炭治郎くんを待ってくれている人は向こうに沢山いる。
私のような人間はいなくたって変わらないのではないか、そんな考えがうっすらと頭の中に浮かんでしまった時、深くなるキスはそのままに、肩をぐ、と押されソファーに沈み込んだ。
一度唇を放すと名残惜しいような糸が伝って口の端に垂れた。恥ずかしさではない胸の内から滲む思いに、真っ直ぐと私を見つめる炭治郎くんを、私は視界に入れられなくて横へ流した。

「目、合わせて」

私を組み敷く炭治郎くんの手が頬を撫でる。
言われた通りに、躊躇いがちに視線を戻して暫く見つめていると、その瞳に吸い込まれてしまいそう。
焼き焦がれるような熱さを感じていると、炭治郎くんは私の鎖骨辺りに唇を落としていく。

「ん、ねえ」
「……ん?」
「痕、つけすぎなの。いつも」

肌を吸われる感覚に、炭治郎くんの髪に触れながら呟いた。
いつもいつも、知らない間に沢山、見えない箇所に落とされていた。それが消えてなくなってしまう前に、また新しく降り注ぐ。
最初こそまたついていると毎度目を丸くさせていたけど、会えない時に赤くなっているそれを見ると、思い出して羞恥に駆られながらも自然と口元を緩ませていた。
それが当たり前のようになっていた日々がもうすぐ終わってしまう。
いつしかこの痕も、綺麗さっぱりなくなってしまうのだ。
炭治郎くんは顔を上げて苦笑いをしてみせた。

「すまない、心配なんだ」
「……なんの心配?」
は誰のものでもないとはわかってるけど、とられたくないと思ってしまって」

眉を下げながらそう話した炭治郎くんに、唇をギュ、と噛みしめた。
とられるわけがないのに。
縋るように、言葉には決して出さずに炭治郎くんの服を握り締めた。

「炭治郎くんのものにしていいよ」
「できないよ」
「……他に誰もつける人、いないし」

炭治郎くんの元から私を離さないでほしい。炭治郎くんのものにしてほしい。
そう求めているのに、いつも甘えていたその優しさに今だけ切なさを覚えた。
服を握り締めていた手を緩めると、上から包み込まれる。

「いたら困る」

それは、私だって思っている。困るなんてものでもない。そういう人が現れたら、温かさを知ってしまった私には耐えられない苦しみが襲うのだろう。
でも、私がもし誰かと比べられてしまったら、その誰かに敵うことはきっと、いや、絶対にありえない。


──君とは天と地ほどの差がある人だと思わないの
──君はさ、あの中の一人でしかないんだ


太陽の降り注ぐ場所で、大勢の人に囲まれ愛されている炭治郎くんを遠目に見て、打ち拉がれている自分の未来が頭を過った。
クルーズ