夏模様
の家のエアコンが壊れているとあれば、今日どちらの家でシャーペンを走らせるのかは一択しかなかった。
的には、今うちには誰もいないから、と二人きりになりたかったらしいけど、僕の家でも二人きりになれないことはない。現に今、この家には僕としかいない。母さんは兄さんを荷物持ちに連れて買い物に行ったし、父さんは日曜だけど仕事が入ったらしく家を出て行った。

「快適~!」
「いつ治るの?エアコン」
「今日帰ったら直ってるはずだよ」

向かいの席でひと段落したのか、は大きく伸びをする。涼しいと勉強も捗るね、なんて気ままな様子を横目で見ながらテレビをつけた。確か、僕よりはいくつか上だけどまだ高校生の棋士がタイトルをかけた対局をしているはず。逐一時間があけば携帯なりなんなりで気にしてはいたけど、夕方のニュースに寄るとまだ終わっていないようだった。

「本当に好きなんだね」

タイミングよくニュースが流れてそのことを知れたから、テーブルに肘をつきながら適当にチャンネルを回していると、が小さく呟いた。
は僕を見て目を細めている。

「……別に、他にできることがなかっただけ」
「いやいやいや、運動神経いいじゃん!」
「よくないよ」

考えることは好きだったから、他にやることがなかったと言いつつ結局は将棋が好きなんだと思う。自分よりも上手だろう人はやっぱりこうして気にしてしまうし。
否定する僕には目を丸くして首を横に振った。

「みんな言ってるよ?一年生の時リレーのアンカー任せてればよかった、って」
「運動部の人たちの方が足早いでしょ。平均だよ、僕は」

僕より何でもできる兄さんならわかるが僕自身はそんな大役任されるような神経は持ち合わせていない。
学校近くに出たひったくりを追いかけて捕まえたことはあるけど、別に自分の足が早いからではなくそいつの足が異様に遅かっただけだと思う。その日以来体育ではチーム分けになるとこっちに入れよなんて言われることが多くなったけど。

「私からしたら、なんでもできちゃう人だけどな」
「……それはができなさすぎるんだよ」
「ええ、フォローしてくれないの……」

眉を下げて嘆くに一つ息を吐いた。チャンネルを回していたテレビを消してリモコンをテーブルへ置いた。
数時間前に用意したグラスはもう随分と汗を掻いている。

「時間の割に全然進んでないよね」

ピ、との前に広がるノートを指差した。快適だなんだの言っていたけど、そこまで進んでいない。昨日と開いているページが数ページしか変わっていない。ノートの端には猫のような落書きが描いてある。

「だって無一郎くんといると……」
「なに」

何か言い訳でもするつもりなのだろうか。
は口をまごつかせながらもうっすらと笑みを浮かばせた。

「集中できなくて」
「どういう意味」
「……えへへ」

人のことをなんだと思っているのか、僕はのように騒がないし静かにしているというのに何を言い出すのかと顔を顰めれば、は照れ臭そうに頬を赤らめた。
言いたいことはなんとなく理解した。でも、だったらどうすればいいのかと解決策は見当たらない。一緒にいない、という選択肢はないのだから。

「ねえ、無一郎くんはさ、」

がおもむろに口を開いた時、薄暗くなってきた窓の向こう側が一瞬だけ白くなった。
数秒後にゴロゴロと空が畝るような低い音が聞こえ、雨も突然降りしきってきた。天気予報は確か晴れだったから、おそらくゲリラ豪雨の類いだ。
窓の外を眺めていた後にへ視線を戻せば、口をギュッと閉じて怯えているようだった。

「……怖いの?」
「う、うん、ちょっとだっ、!!」

再び外がピカッと光った後、バリバリと引き裂くような音が近くで聞こえてはテーブルに突っ伏した。
付き合い始めたのは、去年の秋だからこうして嵐のように空が荒れる日に一緒にいるのは初めてだった。
雷なんて自分ではどうにもできないし、逃げることだってできない。音に驚きはするけど怖いという感覚が僕にはないに等しかった。

「こ、怖くないの?無一郎くんは……」
「まあ、もし雷に打たれて死んだとしても一瞬だし」
「ひっ」

余計に怖がらせてしまっただろうか。ビクつきながら顔を上げたはこの世の終わりのような表情を浮かべていた。
さすがに可哀想だと何か気の利いた言葉を探していると、凄まじい音がした後に周りが暗くなる。停電だ。

「しっ死にたくない……!!」

涙を堪えているのだろうか、零れてしまっているのだろうか、鼻声であることはわかるけど暗闇に目がすぐに慣れなくての表情はわからなかった。テーブルに突っ伏しているだろうから、慣れたところで、だけど。ゴロゴロと空が唸る度にああ、うう、と嘆いている。
余計に怖がらせるようなことを言ってしまったと、少し反省した。
椅子を引いて立ち上がり、テーブルの縁を触りながら向かいに座るの隣まで歩いて小刻みに震えていた肩に触れた。

「大丈夫だよ」

何が大丈夫なのかは、上手く説明はできないけどとりあえず、この小動物を安心させたかった。
隣に座って手を包み込めば、は僕の懐へ飛び込んできた。額を胸に押し当てて背中を丸めている。

「僕が止められたらいいけど、それはできなくてごめんね」

縮こまっている背中に腕を回し、ぽんぽんとあやす様に撫でた。言葉で返事はないけれど、胸元にいるの頭が左右に動いた。
雷が止むまではずっとそのままで、やっと電気も戻り音もなくなった頃にを目を合わせれば、やっぱりほんの少し泣いていたらしい。目尻に溜まっている涙が瞬きをした反動で零れ落ちる。

「……子供だなって思った?」
「別に」

その涙を掬いながら、眉を下げるに答えた。子供だな、というよりは純粋に、雷が怖いんだ、と思っただけだ。大人でも雷が怖いと言う人は沢山いるだろう。
は僕から離れてテーブルに置いてあったティッシュを手に取り鼻をかんだ。

「……あ」
「?」

ふう、と幾らか落ち着いた後には晴れ渡っている窓の向こうにある何かに気付いたようだった。
さっきまではあんなに小さくなっていたのに、その影もなく立ち上がったは僕へ明るい表情を見せた。

「虹!」

分厚い雲が消えた空には、どうやら鮮やかな橋がかかっていたらしい。
は僕の手をとって窓の方まで引っ張った。外はすっかり明るくて、窓を開けると雨と夏の匂いが入り混じる。
綺麗、と零すを横目で見ていると、ばちっと瞳が交差した。頬を綻ばせて笑うその様子に、君は涙ではなくてそうやって馬鹿みたいに笑っている方が、僕も落ち着くなと思った。
だからやっぱり、嵐が多いこの季節は好きになれそうもない。


8月2日 雷もいらない。




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