欲しいモノ
欲しいものは何か、なんて問われたところで隣に炭治郎さえいれば私はそれでよかった。の、だけれど。
ああクリスマスは二人でいることはできないのだな、と思うと聞き分けのいい彼女ぶって炭治郎に表面上は快く頷いたものの心中穏やかではなかった。だからといって、クリスマスは実家のパン屋が忙しいと言われたことを咎められるわけではない。むしろお店の手伝いをしている炭治郎は生き生きとしていて用もなく足を運びたくなるほどだ。
「アッハッハ!青いねえ!」
「声が大きいです!」
もう時期冬休みであるこの日。『美術室に私物置いているやつ、冬休み入る前に取りに来ないと俺が纏めて捨てる』と廊下の掲示板に張り出された為、スケッチブックを置き去りにしていた私は暖房の効く職員室へとお邪魔していた。
私の他にも宇髄先生の席の足元には段ボール箱の中に生徒の私物が乱雑に詰め込まれていた。カナエ先生のデスクからは加湿器がコポコポと音を立て、煉獄先生と何やら談笑をしている。不死川先生は血眼になってパソコンと睨めっこをしていた。学期末テストがきっと恐ろしく鬼であるのだろうと身震いしてしまう。だから、用事ついでにちょっと相談してみようかな、なんて軽い気持ちで宇髄先生に打ち明けてみればバカ笑いされた私とのやり取りなんて誰も特に気にしてはいないのだろうけど、私の気持ちの問題だ。
「つーかお前らが付き合ってたのか」
「結構一緒にいるんですけど……」
「あいつの場合どこからが友達でどこからが彼女かなんて学校で一部始終見ただけじゃわからねえだろ」
お前ら“が”、と宇髄先生にまでそう言われてしまったことに少なからず心臓に鋭利な刃物がグサリと突き刺さったような感覚に陥る。
クリスマスに一緒にいれないことは、それはもう十二分に理解して納得した。納得させた、言い聞かせた、と言った方が合っている気がするが。
問題はクリスマスがどうたらということではなく、炭治郎は私のことが好きなのかどうなのか、というところだった。
たまたま同じクラスになって、たまたま入学式の時から席が近くて、たまたま仲良くなって。好きだと伝えたのも私からで、どうして炭治郎は頷いてくれたのかは今となってはわからなかった。それなりに恋人らしいことはしてきているけど、私がもし『友達に戻ろう』と伝えたら多分、それすらもすんなり頷くのではないかと、言わば好きの度合いがまるで違うのだろうということに悩んでいた。
「じゃあなんだ、お前は竈門に『私と同じくらい好きでいて』と要求したいと」
「そ、そう……、です、ね」
「めんどくせえ女だな」
「うっ」
グサグサと、容赦なく宇髄先生の口から刃が私に突き刺さる。宇髄先生は確かにこういう女々しい人間は嫌いそうで、サバサバとした、例えば一人でも生きていけそうな女性が好きそうだなと思うけれど。
足を組み直して宇髄先生はそばに座る私へ向き直った。
「ま、いいんじゃねえの。好きでもない女と付き合う奴ではないだろうし、言ってみりゃ案外同じくらい好きかもしれねえぞ」
「投げやり……」
「ああ?違ぇよ。好きな女ならめんどくせえのも可愛く見えるもんだろ」
少しめんどくさそうに、けれどそういうものだと目を細めて言って聞かせるような宇髄先生に押し黙る。
可愛く見える?私が?
そんな我儘を言ってしまったら、炭治郎を困らせてしまうだけな気がするのだけれど、違うのだろうか。私は炭治郎のように異性の友達が多いわけでもないからそういう男心、というようなものはよくわからないし聞ける相手も今のように宇髄先生くらいしかいない。
頭の中で『私と同じくらい好きでいて』と迫った先の炭治郎を想像してみたけれど、眉を下げて苦笑いするのは目に見えていた。だから、聞き分けのいい彼女、を演じているのだ。私は。
「なんだ!恋の相談か!」
「そうそう竈門と付き合ってんだとよ」
「ちょ、宇髄せんせ」
「それは初耳だな!竈門はいい男だからな!君も幸せだろう!はっはっは!」
「あらさんと竈門くん、付き合っていたのね」
「あの、ちょ、」
予防線を張っていた。いつ私は炭治郎に振られても、『え、あいつら別れたの?』とかそんな噂さえも立たないほどひっそりとした関係を無意識に保っていた。だから、知っている人もそもそも少ない。私がどれだけ校内で炭治郎と一緒にいたところで宇髄先生の言う通り、友達にしか見えないし。
宇髄先生の足元に置かれた段ボールの中のスケッチブックの名前に視線を落とす。それを見たせいで、私はつい相談してしまったのだ。炭治郎と文化祭の実行委員をしていた子の名前。仲が良いみたいで、勿論炭治郎は誰とも仲が良いから不思議なことではないけどそれすら嫉妬してしまうほど、私の炭治郎への愛は醜いものであると思っていた。
先生たちにバレてしまったことは、生徒一人一人の恋愛なんて覚えていられるものでもないだろうから忘れさられることを祈りつつ職員室を後にした。
「あ、!」
職員室から出て冷たい廊下を歩いていると前方から聞こえてきた声に顔を上げる。冷たさなんて吹き飛んでしまうほどに暖かい笑顔を向ける炭治郎だ。私も同じように笑みを浮かべて名前を呼ぶ。
「何してたんだ?」
「スケッチブック取りにいってたの。何か用事だった?」
「あ、うん。ちょっと頼みたいことがあって」
私は、たとえ用事がなくたって炭治郎に会いたいと思っているけど、炭治郎はきっとそうではない。案の定、隣を歩きながら炭治郎は話し始める。携帯で連絡してくれたらいいのに、わざわざ直接伝えにきてくれるところに炭治郎の誠実さが垣間見える。
「クリスマスなんだけどな」
「……うん、忙しいんだよね?」
「そうなんだ、ちょっと人手が足りなくなりそうで……」
「…………そっか」
会えないことは前に話していたからもう知っている。だから、今ほんの少し、やっぱり会える、なんて言ってくれるのだろうかと期待してしまった自分を恨んだ。期待してしまうとドン底に突き落とされてしまう。勝手に舞い上がって勝手に落ち込んで、馬鹿みたいだ。
「それでな、もしよければ、うちでバイトをしてほしくて……」
「……バイト?」
「無理にとは言わない!イブはクラスでも集まるって言っているしそっちに行ってくれても、というかそっちの方が楽しいだろうし、だから、」
「する」
慌てふためく炭治郎へ一言呟いた。
クリスマスイブは、予定がない人たち全員参加、なんて嫌味なグループ名がつけられている会に私も参加予定だった。行けば楽しいだろうし、家にいても両親は二人でクリスマスはいつも出かけているから結局一人だったから。けれど、みんなでわいわい楽しくパーティー、なんかよりも私は恋人とどんな状況であっても一緒にいれるのであればそっちの方が断然嬉しいのだ。
呟いた私に炭治郎はパアッと顔色を明るくさせる。
「ありがとう!」
その表情だけで、クリスマスプレゼントを貰った気になってしまった。
お店はすっかりクリスマス仕様になっていて、聞けば禰󠄀豆子ちゃんたちが飾り付けを喜々として施していたらしい。扉のすぐ横に飾られているツリーはピカピカと電飾が光を放っていた。
とにかく焼き上がったパンを店に並べてほしい、と、右も左もわからない私が頼まれたのはそれだけだったけれど、あまりの忙しさにクリスマスは炭治郎と会うことができないのなんて当然だ、と身を以て実感した。
「お疲れ様」
今日という今日は炭治郎はキッチンから出ることはなく、ひたすらパンを焼いていたからあの生き生きとした私の好きな笑顔を見れることはなかったのだけれど、同じ空間にいれたことだけでも満足だった。
一つ残らず売り切れもぬけの殻となった戸棚を掃除していた私に炭治郎が後ろから声をかける。
「もう上がって大丈夫。手伝ってくれてありがとうな」
「ううん、こちらこそありがとう」
手伝う、というよりはバイトだからお礼を言われるようなことではないのだけれど。
禰󠄀豆子ちゃんたちは既に切り上げて、今日は家族でパーティーだと二階でがやがやと準備をしている音が聞こえる。炭治郎もその輪に加わるのだろう。本当は、もう少しだけ一緒にいたかったけど、我儘は言えない。
「じゃあ私、帰るね」
これはこれで、私の中で大切な思い出になる。このままずっとここでバイトをしていたいな、なんて思うほどには炭治郎と一緒にいたいのだけれど、家族の中に入れるほど肝は座っていない。
借りた制服は洗濯して明日返しに行こう。そうすればまた会える。
「帰るのか?」
「?うん、クリスマスは家族といるものでしょ?私も疲れたから家でゆっくりするよ」
「……一人って言ってたよな?」
家にいても一人だからクラス会に参加する、と炭治郎に話していたのを思い出した。優しいから、もしかしたら炭治郎は私を家族の中に入れようとしてくれているのかと頭に過る。嬉しい反面、同情で一緒にいてくれるのかと思えば急に胸の内がひんやりと冷めていく気がした。
大丈夫。一人でも寂しくない。強がりだけど、私がそう話せば炭治郎は私の予想通りすんなりと頷くだろう。
「うん。だからすごーくゆっくりできるよ」
「うちでケーキ食べていかないか?」
「いいよいいよ。家族の中には入り難いし」
「じゃあ、俺が行ってもいいか?」
「ん?」
「の家」
一瞬、炭治郎の言葉がすぐに飲み込めなくて固まった。ぱちぱちと瞬きを繰り返す私の目の前で炭治郎は顔を顰めて少しだけ複雑そうな面持ちを浮かべる。
「いやいや、一家のサンタさんが何言ってるの」
めでたくお店が閉店となった時、手伝いをしていた禰󠄀豆子ちゃんも花子ちゃんも、今日は家族でクリスマスパーティーだ、と瞳を輝かせていた。きっと茂くんや六太くんのサンタにもなるのだろう。そんな竈門家の温かい日に、一家の長男が席を外すなんてあるまじき行為だ。お兄ちゃんをとられた、と思われてしまうのも億劫だし、それに私は、我儘を言わない聞き分けのいい、付き合っていても面倒臭くない彼女でいたい。
「は、俺といたくないのか?」
「…………」
「俺はもっと、我儘を言ってほしい。クリスマスだって最初に伝えた時、悲しい素振りも何も見せないで、一緒にいたいと思ってるのは俺だけなのだろうかって、」
不安に思った、と、視線を落としながら小さく小さく呟いた。
「何が欲しいか話しても、何もいらないって答えるし、俺ばかり君のことが好きな気がして、」
「そんなことないよ」
ああ、同じことを思っていたのだな、と本心を聞いて心底安堵した。私ばかりが好きだと思っていた。私が今日一人で家に帰ると話せば炭治郎は何も疑問に思わず頷いてくれると思っていた。勝手に、私の中で炭治郎はそういう人だ、なんて決めつけていた。
言葉を遮り温かなその手を包み込んだ。
「本当は、独り占めしたい」
揺れる紅い瞳に笑みを浮かばせた私が映っていた。私の瞳にも、柔らかく笑う炭治郎は映っているだろうか。
「うん、俺も」
優しげな表情がそっと近づき、瞳を閉じた。
お兄ちゃん今日結局どうするの、と階段を降りてきた禰󠄀豆子ちゃんの声に咄嗟に離れたけれど、あからさますぎて何をしていたのかはきっと筒抜けだっただろう。