2020xmas

優しい世界


12月24日。世は恋人たちの日なのだとか。いやいや嘘だろうと、そんなことは誰が決めたのだとこの日が近付くと俺は毎年、本当にもう毎年携帯でその由来を調べる。
ほうら見ろ。いつどこで誰がクリスマスイヴは恋人たちの日だと決めたのだ。『クリスマスはカップルで過ごすもの』と巷で流れるクリスマスソングや雑誌の表紙やテレビで流れる『恋人へのプレゼント特集』なんてもののせいで洗脳されただけに過ぎないのだ。
大体、ご飯を食べに行くにしろわざわざ混んでいる日にいつもより値段の高い食事だなんて、割に合わないだろうが。高いお金を払うのであれば比較的空いている平日に有名シェフが腕を振るう三ツ星レストランへ行った方が得なのではないかと俺は思う。いや、まあ、好きな子相手ならそういうことよりもクリスマスにデートをしたという事実が煌びやかな思い出として残るのだろうけど。ただ、実際クリスマスにレストランへ行くか行かないかとこの国の恋人たちへとあるメディアが調査をしたところ……

「我妻くん」
「ひゃい!?」

クリスマスのことについて血眼になって調べまくったおかげで、この空間にいる誰よりもこの日のカップル事情には博識である自信すらあった。なんの自慢にもならないが。
夜更かしをした時にテレビで見るどこぞのクラブのようなミラーボールが部屋の天井、中央辺りで揺らめいているここはただのカラオケボックスだ。
所謂クラスの“負け組”が集いクリスマスパーティーたるものを開いている。そんなもの行くかと、それまでに俺は恋人がいるはずだと最初は意地になって首を横に振っていたが、クリスマスが近づくにつれ告白しては振られを繰り返し、当日俺はもしかしてサビシマスという状況に陥るのではないかと危惧し、渋々途中から参加を決めた。最初から俺を人数にカウントしていたと幹事の野郎に告げられた時はそういうことは真実だとしても黙っておけよと思ったのだが。

「ごめん、びっくりさせちゃった……?」
「いや、ちょっと考え事してただけだようん、大丈夫大丈夫!」

男のくせして気持ち悪い声を発してしまったことに恥ずかしく思いつつ、隣に少しだけ距離を空けて座ったちゃんを横目で見るとそわそわとしてきた。
ちゃん。二学期の席替えで席が隣になってから、俺の中では女の子の中でかなりよく話す仲だった。ちゃんからしてみればよく話す仲であるかはわからないが。この子はよく炭治郎の話をするし。ただの勘なのだが、好きなのだと思う。炭治郎が。ただ、当の炭治郎は……と思うと俺にははっきり口にはできないところはある。
俺としては、体育祭のリレーの練習の時からちゃんのことは気になっているのだが、失恋は確定している。炭治郎がどうであれ、人の恋路を第三者の俺が邪魔してはいけないと胸の内に秘めたままだ。ただ、こうして近くにいられると気になるものは気になってしまう。だって男だもの。女の子に慣れていないもの。
曖昧に笑った俺にちゃんは心配そうに首を傾げた。ああ、可愛い。ちゃんがここにいること自体が奇跡のように思っている。それほど炭治郎へ一途なのだと思った。健気だ。いい子すぎて俺は今にも涙が出てきそうだ。
クリスマスプレゼントに貰うなら男子って何が嬉しい?と、俺に聞いてくるくらいだぞ、炭治郎め。

「さっき外でたら筍組の人たちがいたよ」
「へ、へえ……そうなんだ」
「うん。でも竈門くんはいなかった」
「ああ、……家の手伝いじゃないかな」

パン屋だし。あと他にも色々あるのだろうけど。
そっか、と一言呟いてちゃんはテーブルの皿に盛られているクッキーを口にする。
ちゃんからは、独特な音が鳴る。今まで俺は聞いたことがない音で、炭治郎のような優しい音に混じり内側からドンドンと扉を叩くような鈍い音も聞こえる。なんの音だろうかと考えた時、ちゃんはこの音を最初から響かせていたわけではない。俺の前で炭治郎の話をしだすようになってからだった。これがあれか、恋の音というやつなのかと、まさか親友に惚れている女の子の音で理解することになるとは思ってもみなかった。俺も炭治郎のように文化祭の実行委員でもやっていればちゃんと一緒に買い出しやその他諸々の業務が一緒になって少しでも気にして貰えただろうか。……いや、それはないか。

「忙しいもんね」
「うん、クリスマスはお客さんが沢山来るって嬉しそうに話してたよ」
「そっか。……我妻くんも、今日忙しいのかと思っちゃった」
「あはは、ないない見事に振られてばっかだったしね、俺は」

誰彼構わず女の子に告白するなんて失礼だぞ、なんて炭治郎に言われたな。お前はいいよな炭治郎。そんなことをせずともちゃんのような子から好意を向けられているんだ。罪深い男だよ。俺なんて数打ちゃ当たる精神で手を伸ばさなければ彼女なんて一生できないんだよ。なぜなら俺だからな、ナメるなよ。
自虐気味に笑う俺にちゃんは視線を下に落としている。顔はよく見えないが、おそらく呆れているのだろう。フォローする余地もないのだ。
微妙な空気が俺とちゃんの間に暫く流れ気まずくなる。耳に響くマラカスの音がこの空気をどうにかしろと急かされているように聞こえた。

ー」

急かされようにも、ちゃんからしてみれば俺はただのクラスメイト以外の何者でもないし、そもそもなぜ今隣に来たのかもわからない。どうしたものかと慣れないことに頭を悩ませていると少し離れた場所からちゃんを呼ぶ声がする。いつも一緒にいる友達に、おそらくいつまでこいつの隣にいるのだと呼ばれたのだろうと俺も声のした方へ視線を向ければ、拳を前に二、三回ブンブンと突き出されていた。一体なんのジェスチャーなのかとちゃんへそのまま視線を滑らせると、頬をほんのりと赤くさせ唇をギュッと噛み締めていた。膝の上では拳を握り締めている。……え、もしかしてクリスマス前に一度二度話したことがある女の子へ告白しまくっていた俺をど突けと、そういうことだったのだろうかと浮かび上がる。なぜちゃんにそんな役目が回ってきてしまったのだ、罰ゲームか何かか?こんなに優しい子がそんなことできるわけないだろう、それを決めた人、一体どこのどいつだ。

「あの、」
「っ!?」
「えっ」
「あ、いやいやなんでもないよ、なに?」

ついに鉄拳制裁がくだる、とちゃんが声を発してこっちを向いた瞬間に反射的に身構えてしまった。その様子に少し驚いた素振りを見せる。どうやら拳は落ちないらしい。
平静を取り繕って曖昧に笑い誤魔化した。

「その……、あ、我妻くんは、どういう子が、好き?」
「好き?どういう子?」
「うん、好きな女の子の、タイプ……」

徐々に尻すぼみになっていく様子に俺は一瞬、都合良く捉えてしまいそうになったが瞬時に改めそんな考えを頭の中から払拭した。ただ沈黙を破るためだけの会話の種だろう。

「うーん……優しい子?」
「……ほ、他には?」
「え?えーっと……、笑顔が可愛い子、とか……?」

好きな女の子のタイプなんて、聞かれたことがなかった。そもそもそういうことを聞く子は俺に興味がある子、なのだろうし当然だ。あれ、つまりちゃんは……と、ないない。むやみやたらと期待するのはやめろ、俺。

「笑顔が可愛い子……」
「うんうん、こっちまで笑顔になっちゃうようなさ」

自分の好きな女の子が、自分に向かって笑いかけてくれたらどれほど幸せなことなのだろうと思う。まず、誰かに自分のことを好きになってもらう、なんて話自体が俺には奇跡のようだと考えている。自分が女だったら俺のことを好きになるだろうか。絶対にならないと断言できる。それに関しては絶対的な自信がある。
いつそういう子が俺にできるかはわからない。生涯ないかもしれない。そんな寂しいことを考えながらへらへらとして話す俺にちゃんは少しだけ空いていた距離を詰める。

「あの、私はかわ、」

プルルルル、と、ちゃんの話を遮るように部屋に設置された電話が鳴り響いた。電話近くでマラカスを振っていたクラスメイトがそれを取って二つ返事をしてからそろそろ時間、とつまらなそうに俺たちへ知らせる。
みんながこぞって帰り支度を始めるのに続いて俺も後ろの壁にかけていたコートを取って羽織る。さっきちゃんが言おうとしたこと、気になったけどちゃんも帰り支度をしに友達の元へ一度戻ってしまったから聞けず仕舞いだった。離れているけど、友達に向かって両手で顔を覆い首を横に振りながら無理、無理、と伝えているのが聞こえた。……俺と会話することが至極つまらなかったのだろう。それに関しては謝罪する他ない。
みんなに続いてカラオケボックスから外に出ると入る時はまだ明るくて、本来なら真っ暗となっているはずがクリスマスというイベントのせいで町は明るかった。周りを見渡すと手を繋いで歩いているカップルばかり。負け犬の俺たちは大人しく今日は退散だ。駅に続く道を歩きながら小さく溜息を吐くと白く消えていく。
イブもあってクリスマスもあって、なんで二日もあるのだと、明日はどうするかと予定のない空っぽな時間の埋め方を考え始めたところだった。

「……ちゃん?」

後ろからコートをくい、と引っ張られた感覚がして立ち止まる。後ろを振り向けばちゃんが俯いたまま俺を引き止めていた。
みんな、俺たちが立ち止まっていることに気付かない。俺、そんなに存在感薄いのだろうか。いや、ちゃんもいるしそんなことはないはず。
というより、今日はなんとなくみんなの様子がおかしかった。音が違った。まるで自分のことよりも何かが気になっているような落ち着かない音がそこかしこで鳴っていた。

「あ、……」
「…………?」
「あ、……あし、」
「足……?」

身体をちゃんの方へ向けたことでちゃんは俺のコートから手を放す。それでも視線が交わることはない。
言いにくいことなのだろうかと首を傾げつつ待っていると、交わらなかった視線がバチっと合い、意を決したように顔を真っ赤に染め上げたちゃんが口を開いた。

「明日!」
「明日?」
「空いてますか!」

零れ出た白い息が冷たい空気に溶け込んでいく。雪が降ってしまいそうなほどの寒さも忘れ、俺の脳内は一瞬停止した。
今、彼女は俺を明日、クリスマスの明日、誘ってくれているのだろうか。何かの罰ゲームなのだろうかと眉間に皺を寄せる。それに気付いたのかちゃんの表情が徐々に曇っていき慌てて言葉を走らせた。

「空いてる!俺はね!俺は空いてるよ?でも炭治郎は、」
「竈門くんの話はもういいよ」
「……あ、そ、そう?」

急に冷たくなってしまった声色に俺の声が上ずった。ちゃんは炭治郎のことがもう好きではないのだろうか。狼狽える俺にちゃんは視線を横へずらしながら呟いた。

「クラスのこと以外に、共通の話題が竈門くんしかないから……。明日は、我妻くんと二人で会いたいの」
「お、俺と……?俺はいいけど……え、本当に俺と?」

まるで二人だけの世界になった様に、街を行き交うカップルのことなど見えなくなった。
コクコクと頷くちゃんはスカートをギュッと握り締めた。
徐々にちゃんからいつもしている扉を叩くような鈍い音が早く、大きくなっていく。というよりこれはちゃんが持ち合わせている元来の音、というよりは単純に、心臓がばくばくと脈打っているような、そんな音だ。
一体全体、ちゃんはなぜ俺を前にして顔を赤くして、音を響かせているのか。これはもしかして、もしかするのだろうか。そんなことある?いやないない、と一人脳内で押し問答を繰り返している俺の前で、ちゃんは限りなく小さい声で呟いた。

「……き、なの」

自分の耳が良かったことに今、心から感謝した。今まで俺は女の子から聞こえる音には自分のいい様に都合良く捉えていたけれど、言葉にされたものに間違いはない。
『我妻くんが好き』と、彼女は震えながらにも今、はっきりとそう声にした。どくどくと身体中が熱くなり自分の音で周りの音が聞こえなくなりそうで、初めて女の子から自分に向けられた明らかな好意に頭もろくに回らない俺に、ちゃんは身体を小刻みに震わせながら口を開いた。

「私は可愛くないし、だから我妻くんは私を呼び出して告白してくれないのもわかってるけど、優しい彼女になりたいから、……だから、また明日ね!」

耳まで赤くして俺と同じくらいに心臓を響かせながら、ちゃんは立ち尽くす俺を置いて駆けて行った。展開についていけずその姿を呆然と追っていると、待っていたらしいちゃんの友達が頭を撫でていた。
ちら、とこっちに一瞬目を向けるちゃんが控えめに手を振る。俺もそれに気の抜けた様に振り返すと、満足気に笑って駅へと歩いて行った。
……え、なにあの笑顔、めちゃくちゃ可愛いんですけど。俺今、すごい幸せなんですけど。
あんな子が望むのであれば俺は混んでいたって割高な食事だって、喜んで計画する。
宙を彷徨わせていた掌を握り締めた。
ここに断言しよう。クリスマスは恋人と過ごすのに相応しい日だ。


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