第一印象は、俺と同じくらいの年の女の子。可愛らしいというよりも、どちらかと言えばふわりと笑うその顔が、綺麗だと思ったんだ。本当にそれだけだったはずなのに、いつの間にか、彼女の存在が、だんだんと心の中で大きく膨らんで、気がつけば、俺の好きな女の子になっていたんだ。

は、元音柱である宇髄さんと同じ呼吸を使っていた。鬼殺隊に所属しながらも、いつも宇髄さんと行動を共にしているところを見かけるものだから、そんな彼女のことを俺は宇髄さんの継子なのだと思っていた。大きな身体の宇髄さんの後ろを俺よりも低い身長のがひょこひょこと着いて歩くその姿は、まるで親鳥の背中を追って後ろから必死に追いかける小さなひな鳥のようだな、とふたりの姿を見るたびになんだか可愛いなぁと思っていたのは俺だけの秘密だ。

『アイツは継子じゃねぇよ、俺たちが忍びの世界から足抜けした時に勝手に着いてきて、勝手に俺の真似をしただけだ』

いつだっただろうか、彼女は継子なのかと俺が訊ねた時。返ってきた言葉とは反対に、宇髄さんからは家族を愛しいと思うような、そんな優しい匂いがしたんだ。きっと俺が禰豆子に対して想っているそれと、宇髄さんがへと抱いているそれは、たぶんおんなじ想いなんだろう。宇髄さんやが生きてきた忍の世界では、たとえ女子供にだって容赦の無い世界なのだという。そんな厳しい世界で幼い頃から生きてきた彼女のことを考えると、どれだけ大変だったのだろうか、と想像しただけで涙が出そうになるんだ。

無惨との戦いが終わって、世界から鬼は消えた。存在理由を失った組織は解体される。こうして鬼殺隊は解体され、それぞれが自分たちの道を歩み始めた。みんな自分たちの帰るべきところへと。俺だってそうだ。今はまだ以前のようにとまでは身体が動かないけれど、山を登れるくらいまでに体力が戻ったら、みんなで家へ帰るつもりだ。それまでは、こうして蝶屋敷にお世話になっている。先の戦いで主人を失ってしまったこの屋敷だったけど、残されたみんなで手を取り合って力を合わせ、前を向いて明るい方へと進んでいるようだった。同じ部屋でベッドを並べて療養していた隊士であった人達も、どんどん元気になってここを出ていくものだから、大部屋だったはずのこの部屋も今では俺ひとり、個室のようで。なんだか可笑しくて、小さく笑った。

コンコンと扉を叩く音がして、どうぞ、とその向こう側にいる人へ入室を促す。いつも俺の部屋を訪ねてくる友人たちは、こうして扉を叩くことはないので、最近では珍しくなった客人なのだろう。俺はベッドに沈めていた上半身を持ち上げて、簡単に身なりを整えた。

「宇髄さん!」

そこには、日本人離れした銀色の髪と端正な顔立ちの宇髄さんが、よぉ、と片手を挙げて扉の前に立っていた。『元気にしてたか?』『はい、おかげさまで』なんて久しぶりに会った人たちが交わすお決まりの、定型文のような言葉をふたり交わす。

「鱗滝さんや槇寿郎さんと一緒に禰豆子を見て頂いて、ありがとうございました」
「いや、結局お前のとこにすっ飛んでった竈門禰豆子を止められなかったんだけどな。でもまぁ、良かったな」
「はい、本当に良かった…」

宇髄さんの言う良かった事とは“禰豆子が人間に戻った”ということだろう。大きくて分厚い宇髄さんの手のひらが俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。乱暴な手付きなはずなのに、どこか優しく感じるのは、きっとこの人の人柄なんだろうな。ふわりと甘い匂いが部屋中に漂う。砂糖と醤油の混ざり合ったみたらし団子の匂いだ。それを好きだというひとりの女の子の顔が、俺の頭の中に浮かぶ。先の戦いで同じように怪我をして蝶屋敷で療養をしているに、こうして宇髄さんが会いに来たことを知り、思わず笑みが溢れてしまう。何ひとりで笑ってんだ、と眉を顰める宇髄さんに『なんでもないです』と答えるけれど、まだ俺の頬は緩みっぱなしだった。

「そういえば、宇髄さんたちはこれからどうするんですか?」

鬼によって身内を失った人たちや、帰る場所を無くした人たちは蝶屋敷で怪我を負った人たちの手当てを続けたり、お館様たちと一緒に新しく慈善事業を立ち上げるのだと耳にした。けれど、隊士たちの大半は鬼殺隊になる前の自分たちの元の生活に戻るのだ、と。それは鬼殺隊へと大きな貢献をしてきた柱のひとたちだって同じだろう。

「俺は嫁たち三人と、山奥にでも籠ってゆっくり隠居生活でもするさ」
「そうですか」

ふと頭をよぎったのは彼女の存在。彼女は、はどうするんだろうか。宇髄さんたちにこのまま着いていくんだろうか。

も一緒ですか?」
「いや、アイツは連れていかねぇよ、」
「でも、」
「もうアイツを縛り付けるものは何も無いんだ、好きなように生きればいいんじゃねぇか?忍でも、鬼殺隊でも、何でもねぇ、普通の女の人生ってヤツを送ってほしいんだよ、俺はな」

「地味でいいんだよ」

そうやって、宇髄さんが最後にボソリと呟いた声を俺は聞き逃さなかった。普通の人よりも長い睫毛が頬に影をつくる。

「それに、俺はもう片腕じゃ自分の嫁三人で手一杯だしよ。炭治郎、お前、まだそっちの腕、空いてんだろ?ってことで、アイツのこと頼むわ」
「どうして、俺に、」
「俺様にはお前がに惚れてることくらいお見通しだわ」

『まぁ、俺レベルになればお前らガキの惚れた腫れたの話なんて手に取るようにわかんだよ』と得意げに筋の通った高い鼻をふんふんと鳴らしている。

「でも、俺は痣の代償で、」
「あーもうごちゃごちゃうるせぇな、いいか?好きか、そうじゃないか、もっとシンプルで簡単なことだ。痣が何だ、25までしか生きられないなら、25になるまで何倍も、お前がを幸せにしてやればいいだけだろうが」

『イイ男ってのは分かりやすくなくちゃいけねぇんだよ』そう言って、目の前で立てた人差し指と中指を俺の顔にぐいっと近づける。

「どうなんだ、竈門炭治郎」

鋭い眼光に睨まれて、俺はごくりと唾を飲み込んだ。毎日が平和で、余りにも穏やかに日々が流れていくものだから忘れていたんだ。左目は眼帯で隠れているはずなのに、獲物を逃がさないとばかりに俺に向けられたは右の眼光は、それはもうものすごくて、思わず身体が強張ってしまう。そうだった、この人は元“柱”であるということを思い知らされる。

「俺は────、」


*   *   *


ベッドはもぬけの殻だった。真っ白なシーツに出来た皺が、彼女がそこから抜け出したことを教えてくれた。蝶屋敷の中を駆け回っての姿を探したけれど、どこにも見当たらない。あと探していない場所は屋敷の外だけだと、いつもの市松模様の羽織に袖を通して外へ出る。広い敷地内にある洗濯物を干す一角、真昼の時間になるとお日様の光がちょうどよく降り注ぐ場所、そこに彼女は小さな身体を更に小さくして地面にしゃがみ込んでいた。白いシーツが風に大きく揺れて、雲ひとつ無い真っ青な空に模様を作る。久しぶりに激しく動いた身体に驚いた心臓が、左胸でバクバクと音を立てた。名前を呼ぶと俺に気付いたがこちらへ振り向いて、至極不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。

「炭治郎くん、どうしたの?」
「宇髄さんがに、って」

宇髄さんに半ば強引に押し付けられた、団子の入った包みを目線の高さまで持ち上げて主張する。砂糖と醤油の混ざった甘い匂いが、また俺の鼻をくすぐった。

「あ、またみたらし団子」

はわざと大きな溜息をひとつ吐いた。

「あの人ね、私がみたらし団子好きだと思って、いつもそればっかり」
「好きじゃないのか?みたらし団子、」
「ううん、どちらかと言えば、好きだけど」
「だったら、どうして溜息なんて、」

彼女は目を細めてくすりと笑うと、これは宇髄さんに出会ったばかりの頃の話なのだと、どこか懐かしむかのように昔話を始めた。

「甘味屋に初めて連れて行ってくれた時、好きなものを頼めっていうから、まだ読み書きも出来なかった私がお品書きの文字もよく分からず適当に指さしたのがそれだった。なのに天元様ってば、それから私がみたらし団子が好きなんだと思って、ずっとそればっかり」

『ほんとうは、あんこ団子の方が好きなこと、天元様には内緒だよ』そう言って、眉を下げて困ったように彼女は笑った。俺たちふたりの間を通り抜けるように冷たい風がびゅうっと吹き抜ける。冬が過ぎ、暦の上では春と呼べる季節がやって来たけれど、まだ吹く風は冷たかった。

「こんなところにずっといたら、風邪を引いてしまうよ」

どうにか顔色を伺おうと、俺は同じ目線の高さまで膝を曲げて腰を落とす。しゃがみ込んでいる彼女の手元で何かが動いたのが視界に入った。覗き込めば、そこには小さな鳥が地面にうずくまっていることに気付く。

「怪我、してるのか?」
「羽を怪我して飛べないからって、仲間に置いていかれちゃったみたいなの、」

『まるで私みたいだね、』と、消え入りそうな声で言葉を紡いでは、地面にうずくまっている渡り鳥の身体をこわれものでも扱うかのように、の手が優しく撫でる。わざわざ俺が匂いを嗅がなくても分かるくらいに、彼女の瞳の色は泣きたくなるようなさみしい色をしていた。

「私ね、忍びの家系に生まれたのに、どうしても人を殺すことが出来なくて、そんなやついらないって捨てられた私に、初めて手を差し伸べてくれたのが天元様だった、」

忍の存在なんて、昔話でしか聞いたことがないけれど、その仕事内容は諜報活動から謀略まで様々で、酷いものになると暗殺という任務まであるのだという。

「たとえどんな理由があったとしても、人が人の命を奪うことはあってはならない」

鬼であっても、人間であってもそうだ。

「それはやってはいけないことだから、」

俺はの小さな手を取って、右の手のひらで包み込む。きっと長い時間この場所に居たのだろう。彼女の手は外の冷たい空気に触れて冷え切っていた。生まれつき、他のひとよりもいくらか高い熱を持った俺の体温で、冷たくなってしまったの手のひらを溶してしまえばいいと思った。いっそのこと、ふたりの体温が混ざり合って、このまま溶けてしまえばいいとさえ思った。

「綺麗なままでいてくれて、ありがとう」

は驚いたように目を丸くして俺を見つめると、花が咲いたように笑ってみせた。それはが俺とおなじくらいの年であることを教えてくれるような、年相応の笑顔とでも言うべきだろう。いつものように何でもないよって綺麗に笑う笑い方よりも、俺はそっちのほうが好きだと思った。人間は欲張りな生き物で、もっとそんな顔を俺だけに見せてほしいと、途端に欲が出てきてしまう。

「天元様にね、私もお嫁さんにしてよ、って言ったらね、何て言われたと思う?」
「なんて?」
「嫁は四人もいらない、だって」
「あはは、宇髄さんらしいね」
「それに、“お前、俺のこと別に好きじゃねぇだろ”って言われちゃった」
は宇髄さんのこと、その、好き、なのか?」

「好きだよ」

自分で問いかけたはずなのに、思わず左胸がドキリとしたのは、きっと俺がのことを好きだから。

「だけど、天元様にね、そんなんで好きだ好きだって言ってたらキリが無いんだから好きの意味くらい自分で考えろ、って言われたの」

「ねぇ、好きってどんなもの?」

心から人を好きになるということ。愛しいと思うこと。俺も知らなかったんだ。そんな気持ち。初めてだったんだ。水が流れるように穏やかで炎が燃えるように熱いそれは、不思議だけど、とても大切で特別な気持ち。彼女を好きになった今なら、それがどんなものなのか言える。

「私の世界には、天元様しかいないのに」
「だったら俺がその理由になればいい」

その時はじめて、俺はの瞳の中を揺らせたような気がした。瞼を閉じて、すうっと息を吸って呼吸を整える。つぐんだ口をゆっくりと開いた。今度はしっかりと、の瞳の奥にある彼女の心に向けて。

「俺のお嫁さんになってほしいんだ」

彼女は、ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせた。

「炭治郎くんの?わたしが、?」
「うん、俺のお嫁さん」
「炭治郎くんは、私のこと、好きなの?」
「うん、好き。好きだ。、俺は君のことが好きなんだ。善逸とも伊之助とも、禰豆子とも違う好きで、きっと宇髄さんが雛鶴さんたちのことを想うような、特別な好きなんだ」

自分でもびっくりしてしまうくらいすらすらと想いが溢れてくる。だけど、今言わないと、一生言えないような気がして、それさえも俺を後押しした。

「私、まだ好きってわからないよ」
「いいよ、それで」

俺は痣の代償があるから、きっと、25までは生きられない。もしかしたら明日ぽっくり死ぬかもしれない。だけど、その時まで、俺がその命を終えるまで。それは何年先まで続かなくたっていいんだ。例えば、朝起きて、隣で眠る大切な人におはようって言える、そんな幸せな明日が、出来るだけ一日でも多く訪れることを願っている。その隣にいる人が、、君だったら俺はどんなに幸せだろう。

「絶対、幸せにする、約束するから」

俺が差し出した右手の小指に小さな彼女のそれが絡まり合う。ばたばたと羽を羽ばたかせる音がしたかと思うと、地面にうずくまったいた渡り鳥が雲ひとつない青空に飛び立っていった。