「あ、竈門君だわ」

とうに昼食を食べ終え向かいの席でぼんやりと頬杖をついていたが、鈴の様な高い声で嬉しそうに呟く。杏寿郎はまだ食事の最中であったが、その声につられて開け放たれた窓の外へと目線を上げると、市松模様の羽織の少年の姿が道の端に見えた。まだここからは豆粒ほどの大きさで、随分と距離がある。

「よく気付いたな」
「目がいいからね。でも竈門君も目がいいから、たぶんもうすぐ気づくわ」

猫の様に目を細めて笑みを深くするは、自分と同じ黒い隊服を着ていても女性らしい蠱惑的な魅力があった。頭の低い位置で結ばれた髪から覗く、白い頸を傾げてじっと少年に目線を向けている。
この顔はきっとまた意地の悪いことを考えている、と長い付き合いのなかで知り得た彼女の悪癖の気配に僅かに眉を寄せる。

「…よしなさい」
「何を?まだなにも、煉獄が怒る様なことしてないわ」

窓の外に顔を向けたまま、は桃色の唇は弧を描いて今にも鼻歌でも歌い出しそうである。
こういうときの彼女は決して言うことを聞かない。いや、こういう時でなくてもそうだ。任務中だけは真面目に柱に次ぐ実力を発揮するのだが、それ以外は本当にろくでもないことを考える。

もう一度、嗜める言葉を口にしようとしたところで溌剌とした明るい声が響く。

さん、煉獄さん!こんにちは!」

赤みの混じった丸い目を輝かせて店の窓際に駆け寄ってきた少年は、に熱のこもった視線を向ける。素直な、真っ直ぐな好意を向けられたが可愛らしく頬でも染めてくれればいいのだが、とちらりと横目で様子を伺う。

「こんにちは、竈門君。お買い物?」

今気づきましたと言う様に目を瞬いたの台詞に、ため息を吐きたくなる。

「はい、禰豆子に新しい帯を買ってやりたくて」
「そう、優しいのねお兄ちゃん」

の言葉にぱっと頬を染めた竈門少年の初心な反応が微笑ましい。

さんと煉獄さんは任務帰りですか?」
「えぇ。昨夜も煉獄と二人での任務だったの」
「あぁ……」

こちらに顔を向けて微笑むに、何故二人で、と強調するのだと言いたい。目に見えてしゅんと気を落とした少年の悲しげな表情に視線を戻したはにっこりと笑みを深くする。

「そうですか。お二人は、よく任務で同行されると聞きました」
「そのうち少年と二人で行くこともあるだろう」

そう言って笑いかけると、竈門少年は少し気を取り直した様にはい、と大きく返事をした。純真で、穢れのない眼差しを向けるこの後輩に誰しもが好感を持つだろう。杏寿郎もその一人だ。

「そうね、竈門君が強くなったらね」
「俺もっと強くなります。さんの足手まといにならないくらい、強くなります」
「ふふふ、頼もしいわね」

真っ直ぐで人好きのする彼が好きになるのは、きっと同じ様に純粋な女性だろうと、なんとなく思っていたのにまさかのような厄介な人間に惹かれるとは。

彼女は気に入った人間を困らせるのが好きだ。天邪鬼なは、言い寄る男に無理難題をふっかけて困らせる、竹取物語の姫の様で、杏寿郎は毎度哀れに破れ去る男の背中を見送って来た。だからこそ、竈門少年にはそんな思いはして欲しくないと、つい口を挟みたくなってしまう。

ぼんやりと竈門少年の恋路の心配していると、が徐ろにこちらに白い指を伸ばす。

「煉獄、付いてる」
「む?」

頬を掠めた指先が髪に触れる。小さな塵を取り除いた指が離れていく様子を見送り、はたと竈門少年の存在を思い出す。彼の目に今のやりとりがどう映ったのか。

「君は……本当に竈門少年に嫌われても知らないぞ」
「……竈門君が私を嫌いになるのと、私が彼を好きになるのと、どっちが早いかな?」
「知らん。君とは暫く口をきかないからな」
「怒らないでよ、煉獄」


の悪びれていない謝罪の声を背中で聞きながら、席を立つ。和かな笑顔のまま、硝子玉のような赤い瞳を僅かに揺らした少年の背中を足早に追いかける。

「竈門少年!」
「煉獄さん」

どうかしましたか?も首を傾げる少年に掛ける言葉を探す。誤解だと言うのも違うだろう。の悪癖だと伝えてしまおうか。肩に手を置いた状態で固まった杏寿郎の様子に、くすりと笑った少年は、少し大人びた顔で言う。

さんのことですか?」
「……うむ」

竈門少年は愛おしそうに目を細め、を残して来た店の方に視線を送る。

「分かってます、さんとても寂しがり屋で、不安といつも隣り合わせの人ですよね。俺、あの人のこと安心させてあげたいです。どこにもいかないよって、いつかちゃんと伝えます」

なにもかも、お見通しというのはこのことだろう。竈門少年の真っ直ぐな目には、彼女の本質がきちんと映っているようだ。

「そうか…うむ、俺が口を挟む必要もなかったな!」

竈門少年のはにかむような笑顔に、これはが負けるな、と近い未来を想像し杏寿郎は一人笑ってしまった。