「その話、まだ続くのか?」
うんざりとした伊黒さんの声に、思わずわたしも「あのですね、」と棘のある声を出してしまう。
「もとはと言えば、伊黒さんがおっしゃったんじゃないですか。なにか面白い話はないのか、と」
「ああ、そうだ。だから俺は今、猛烈に反省している。お前なんかに世間話を求めてしまったことを」
「そんなこと言っても、最後まで聞いてもらいますからね」
伊黒さんは大きなため息をつくと、うつろな目で空を見上げた。「帰りたい」とその目が物語っている。

「えぇと、どこまで話しましたっけ」
「お前が炭治郎に言い寄られているにも関わらず、のらりくらりとかわしまくるものだから、とうとう恋文という名の脅迫状を送り付けられたというところまでだ」
「なぁんだ、ちゃんと聞いてくれているじゃないですか」
わたしがそんな軽口を叩くと、伊黒さんは「うるさい」と言った。
、お前の剣技はなかなかのものだが、おつむには問題があるようだな」
「なんですって?」
「炭治郎のような男一人も撒けないだなんて、お前も案外生娘みたいなところがあるじゃないか。それとも、実は炭治郎に惚れているのか?」
「ははっ、ご冗談を」
わたしは隊服の襟元を正してから伊黒さんに視線を向ける。
「わたしがああいう熱血漢みたいな男が苦手なの、伊黒さんが一番わかっているでしょう?」
「ああ、そうだった。そもそも、お前はあまり男が得意ではないんだったな」
「あら。これはまた、よく覚えていらっしゃいますね」
「これだけ任務を共にしていれば、嫌でも覚える」
わたしは行きかう人々を観察しながら、随分と前に姿を消した父親の姿を思い浮かべる。

「恋愛にうつつを抜かす男に、ろくな奴はいない。信用できない」
「………」
「ああ、でも伊黒さんの恋路は応援しますよ。なんていうかわたしたち、考え方も性格も似た者同士だし」
「…それはどうも。で、お前はどうするんだ。このままだと炭治郎は意地でもお前から恋文の返事を迫るだろう。交際、してやるのか」
「まあ、今日はよく冗談をおっしゃいますね、伊黒さん」
「チッ、減らず口を…」
「もう二度と恋愛なんてしたくないと思うくらい、こっぴどく断ってやりますよ」
「……なんというか、お前は本当に性格が悪いな」
「ほらね、わたしたち似た者同士でしょう?」
そこでわたしたちは同時に息を止めた。異様な雰囲気を感じ取ったのだ。

「……なにかが、この町に入ってきましたね」
「ああ、どうやらお出ましのようだな」
わたしたちは腰かけていた茶屋の長椅子から立ち上がり、違和感を覚える方に駆けだした。

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わたしの父はろくでもない男だった。嘘か本当か、母は大恋愛のうちに父と駆け落ち。そのとき母はすでにわたしを身ごもっていたらしい。しかし、父が父親としての自覚を持つことはなく、そのままほかの女の尻を追いかけまわした。彼はいわゆる”色魔”だったんだと思う。わたしが生まれてからも、父の放蕩ぶりは変わらない。結局ほかに女を作って家を出て行ってしまった。だから母はわたしを育てるため、体を売って暮すようになった。

しかし、物心がついてからも母から父の悪口を聞いたことはない。それは父が一度でも”心から好きになった男”だからなのだそうだ。母のことは大好きだし、尊敬しているが、その感覚だけはどうしても受け入れることができなかった。
一度でも愛した男だから、すべてを受け入れる?甘い、甘すぎる。父は憎むべき男だ。許してはならない。今もこの空の下、どこかで若い女に鼻の下を伸ばしていると思うと、殺してやりたくなる。

だから、わたしは男が、ひいては恋愛というやつが嫌いだ。愛だの恋だの、そんなものは”愛欲”を体よく言い換えた言葉に過ぎない。だからわたしは誰も好きにならないし、わたしを好きになる男を心から軽蔑する。

+++

「伊黒さん、今日もありがとうございました」
「なにを言う、ほとんどお前が倒したようなもの…」
無事に鬼を討伐し、次の任務場所に移動しよう町を出たところだった。伊黒さんは突然言葉を切ったかと思うと、目を細めじっと前を見据える。
、客人がやって来たぞ」
「え?」
伊黒さんの視線をたどると、前方から隊服姿の男がこちらに手を振りながら走ってくるところだった。彼を先導するように羽ばたいているのはわたしの鎹鴉だ。人差し指を出し、その指に鴉を止まらせる。
「なぜあいつを?」
「町デ、捕マエラレタ…オ前ノ居場所ニ案内スルマデ、離サナイッテ言ウカラ……」
「そう、災難だったってわけね」
鴉の頭を撫でてやってから、息を切らした目の前の男に視線を戻す。

「やあ、!任務が終わったのか?かすり傷一つないだなんて、さすがだな!」
目をキラキラさせながら尋ねてくるのは、わたしたちの話題に上がったばかりの男・竈門炭治郎だ。伊黒さんが黙って彼を素通りしようとするので、もちろんその羽織を掴む。一人で逃げるだなんて許さない。
「伊黒さんもいることだし、大した相手じゃなかったよ。ところでわたしになにか用?」
「あ、ああ!その、1週間程前に送った俺の手紙のこと、覚えているか?今日こそは…返事を聞きたくてな!」
「手紙、ねぇ」
わたしは相手を苛つかせるため、考え込むような仕草で空を見上げる。しかし炭治郎は本当にわたしが手紙の内容を覚えていないのだと思ったらしい。

「……俺の気持ちはあの手紙の通りだ。俺は本気でのことが好きだし、交際して欲しいと思っている。けれど、もし君が俺の恋人になってくれないなら…このまま”友人”でいるのは難しいと思う。きっと俺はのことを諦めるのに時間がかかると思うし、今までのような関係には戻れない…かもしれない。もちろん、同じ鬼殺隊の隊士でいる以上、”仲間”ではあるが…”友人”ではいられないと思う……だから、俺にとっての選択肢は2つなんだ。が俺の恋人になってくれるか、俺たちが”友人”でなくなるか」
炭治郎はわたしに送った手紙の内容をそっくりそのまま繰り返した。俺と交際するか、友人を辞めるか選べ、だなんて、相変わらず身勝手すぎる内容だ。しかし、ある意味彼らしいとも思える。伊黒さんは聞こえないふりをして、道端の石ころのように微動だにない。

「炭治郎にとっての選択肢が2つなら、わたしの選択肢は1つだよ」
……!!」
伊黒さんの制止も構わず、わたしは素早く日輪刀を抜き、その切っ先を炭治郎の首につきつけた。彼は目を見開き、その瞳は戸惑ったように揺れている。
「あんたの恋人になるだなんて、死んでも嫌だね。
…いいか、教えてやる。好きだなんだって騒ぎ立てるお前たちは盛りのついた犬そのものだ。その感情は愛欲を履き違えているだけだ。さっさと目を覚ませ」
「…?」
「わたしは男が嫌い、特に恋愛にうつつを抜かすような男が。どうせあんたも、わたしの父のように際限なく女の尻を追いかけまわすんだろう。一時の性欲に突き動かされ、冷めたらちり紙のように女を捨てる。くだらないクズ共だ。あんたらは女を不幸にする存在でしかない」
自分でもびっくりするくらいにスラスラと罵詈雑言が口をついて出た。炭治郎はしばらく呆けたようにこちらを見ていたが、やがて眉を吊り上げわたしの日輪刀を左手でどけた。素手で刀身を握ろうとするので、慌ててこちらが刀を下げてしまうほどだ。


「いまの聞き捨てならないぞ、!俺をそんな尻軽男だと思っているのか?それは違う、まったく違う!!」
「うるさい!だから、あんたらは勘違いしてるんだよ!炭治郎のそれは”恋”ではない、ただ女の”体”が欲しいだけだ!」
すると炭治郎は芯から怒った顔をして、日輪刀を持っていたわたしの手首を掴んだ。
「違う!!俺が欲しいのは、の”心”だ!勘違いするな!!」
そして彼はわたしから刀を取り上げると、あまりの強い怒りに息を弾ませながら続けた。
「……これ以上俺のことを色魔呼ばわりするなら、本当に怒るぞ」
わたしは再び憎まれ口を叩いてやろうかと思ったが、炭治郎の気迫に気おされ口を閉じる。炭治郎は溜息をつき、少し悲しそうな目でわたしを見つめた。

の父親がどんな人だったのか、俺はよく知らない。でも、俺は違う。ずっとずっと、だけを想ってきたんだ。ほかの女性に心移りすることはない、今も、これからも絶対に」
「……そんな言葉、信用できるわけがない」
そう言って炭治郎を睨みつけると、彼は片手を顎に当て、少し考えたあと「じゃあ」と言う。

「どうすればは俺を信用してくれるんだ?どうすれば俺のへの気持ちが本物だって証明できる?」
「はぁ?そんなもの……」
「一度、交際してしまえばいいじゃないか」
突然上がった意外な声に、わたしと炭治郎は同時に声の主の方を見る。心底”飽きた”という様子の伊黒さんが、腕を組みながらこちらを見ていた。
「ただしが良いというまで、炭治郎はこいつに触れてはならない。指一本な。それでも炭治郎がを想い続けられるのなら、この男の言葉に嘘はないだろう。まあ、本当に体が目当て…というなら、あっという間にボロが出るだろうからな」
それから伊黒さんは「じゃあ俺は、帰ってもいいか?」と続けた。

「待って!ならわたしも…」
、俺たちの話は終わってないぞ!」
「話をすることなんてない、どうせ交際したって…」
「交際したって、俺がボロを見せて終わり……そう思うのか?」
そう言う炭治郎は、なぜか余裕のある表情を浮かべていた。
「俺はそんなに甘い男じゃないぞ。に気持ちを証明できるのなら、触れなくたって構わない。それが1年でも、2年でも」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「じゃあわかった、交際しよう。ただし指一本でも触れたら即刻、交際解消だ」
炭治郎は一瞬息を詰まらせたあと「わかった」と言い、わたしの手首から手を離した。

なんだ、やっぱり女の体に触れられないのが嫌なんじゃないか…と思ったが、それは思い違いだったとすぐにわかる。彼の顔は上気し、こぼれそうなほどの笑顔がたたえられていた。こんな状況でもわたしと交際できたことに喜んでいるのだ。

「ありがとう、。君に信じてもらえるよう、俺頑張るから」
「ああ、そう…」
炭治郎が一歩こちらに近づき、ビクリとして一歩後ずさるも、彼は相変わらず柔らかな笑みでこちらを見つめていた。
。俺、君が好きだよ。大好きだ。の心が俺の方に向いてくれるよう、約束はちゃんと守る」
「………」
「本当に好きなんだ、のことが。だから、交際してくれてありがとう」

そうして炭治郎はもと来た道を戻っていった。今度は自身の鎹鴉に先導されているので、彼もこのあと任務を頼まれているのだろう。残ったのは心も体も固まってしまったわたしと、白けた様子でこちらを見ている伊黒さんだけだった。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +

「で、あれからどれくらいが経ったんだ」
「もう半年…でしょうか」
「ほう……あの男は約束通り、半年間一度もお前に”触れていない”んだな」
「そうなります、ね」
「しかし、まったく会っていないわけではないのだろう?」
「もちろん。しつこいぐらいに手紙は来ますし、暇を見つけては会いに来ます。町で食事をすることも多いですし、買い物や花見に連れて行かれたりもしますよ」
「ということは、触れはしないものの、健全な男女交際を続けている…ということか」
伊黒さんは意地悪く目を細めながらこちらを見やる。

「どうだ、炭治郎の想いってやつは証明できたか?」
「そんなもの……」
「いいのか?このまま約束を守る期間が長期化すればするほど、あいつが有利になっていくぞ。逆にそんな堅実な態度を見せたのにも関わらず、が炭治郎の想いを無下にすれば、今度はお前の株がだだ下がりだ」
よく見れば、伊黒さんの目は楽し気に弓なりに細められている。
「ちょっと待ってくださいよ!もとはといえば伊黒さんが、あんな提案をするから!」
「俺はさっさと次の現場に行きたかったから、膠着状態だったお前らに折衷案を提案したまでだ。しかし、その案をすんなり受けてしまうお前もお前だろう。やはりお前はおつむに問題があるようだな」
さり気なく嫌味を添えてくる伊黒さんは、わたしに負けず劣らず性格が悪い。

「率直に言うが、」
「はい?」
、お前は竈門炭治郎という男がそう悪くないと思っているんじゃないか?」
「………は?」
「お前はわかりやすい人間だ。心から憎んでいる相手であれば、交際をしたとしても無理やりにでも突き放すだろう」
「え?いや、いやいや……」
「つまり、そういうことだ」
伊黒さんは長椅子から立ち上がると小さく腰を伸ばす。
「じゃ、そろそろその茶番を辞めてやることだな」
それから町の入口に目をやり、吐息のような笑いを漏らす。
「噂をすれば、だ」

こちらに手を振りながら走ってくる男、今や見慣れた光景だ。そしてその手には花束が持たれている。先日、手紙で好きな花を聞かれたのはこういうことだったのか、と笑いそうになる。
笑いそうに、なる………?
いつの間に自分は、炭治郎に対してこれほどに柔和な気持ちを抱くようになってしまったのか。
、どうしたんだ?今日はなんだか、照れているようだけど…」
そんなことを言いながら花束を渡してくる炭治郎の顔を、まともに見ることができなかった。