絹や麻の温かな香りが鼻を掠める。見渡し歩いている中には鶴や蝶の柄も桜や牡丹といった可憐な柄もある。
柄にもなく普通の町の女の子のように悩んでいる自分に驚きつつ、どれにしよう、と店内を彷徨っていると目に留まったものがあった。

「市松模様ね」

決して華やか、というわけではないけれど、私が今しがた立ち止まり手を伸ばしたのはどこかの誰かがいつも羽織っているものと同じ模様だった。色は緑と黒ではないけれど、もし並んで歩いていたら合わせてきたのかと思われそうだ。
私に声をかけた甘露寺さんへ顔を向けるとふふ、と口の端を上げにんまりとしていた。

「炭治郎くんだ」
「……」
「恋人同士でお揃いの柄!素敵だわあ、煉獄さんも喜んでくれそうね!」
「ちが、恋人じゃありません!あと、煉獄さんは多分それを見ても『双子のようだな』とか言います」

階級が上がったご褒美に、と今日は甘露寺さんの計らいで町を訪れていた。
『好きなのを選んで』と言われた為、何にしようか悩んだけれど結局いつもの隊服の上に羽織る実用的なものしか思い浮かばずにこうして反物屋へ足を運んでいた。
煉獄さんが、私が最終選別を突破した記念に、と贈ってくれた羽織と元々自分で使っていた羽織があって、もうどちらともボロボロであったからこの羽織があれば私が使っていた方はお役御免になりそうだ。
恋人、という単語に否定はしながらも市松模様の生地は手放さない私に甘露寺さんは小首を傾げる。

「ええ、そうかしら。『お似合いだな!』なんて言いそうじゃない?」
「想像できません」

甘露寺さんは、私の姉弟子だからこうして煉獄さんを通して接する機会が多かった。私は煉獄さんが柱になってすぐの頃に弟子入りをしたから時期は被っていないけれど、煉獄家に度々訪れる甘露寺さんとは鬼殺隊に属しているとは思えないその陽気さ気さくさにすぐに打ち解けた。
妹弟子の恋情にはこうして頻繁に揶揄われたりするのであるが、どうにも憎めない。見守ってくれているらしいし。というか煉獄さんの真似が地味に似ていてなんとも言えない。

「でも、私柄物羽織ってる印象あります?似合うかな……」
ちゃん、似合うか似合わないかを考えたりするのね……!」
「……いや、だって、市松模様は、」
「すみませんこれ仕立てをお願いします!」
「甘露寺さん、」

煉獄さんに弟子入りしてすぐの頃の私は、こういう身に纏う衣服だとか顔の印象を明るめる化粧だとか、一切触れてこなかったし興味もなかった。それが不思議なことに、好きな人というものができてしまうと単純なものだと自分を嘲笑した。一端にこれでも自分が女であったということになんとなくむず痒さを覚えながらも、その人の姿を見ていると胸がじわりと熱くなってきてしまうのだ。
私の手から生地を奪い、甘露寺さんはこんな感じで、と大雑把に自身の纏う羽織を店の人へ見せながら伝えている。ああ、お揃いになってしまうな、なんて、手にした時からそれ以外は考えていなかったけれどどこかこそばゆかった。

「煉獄さんのところ、寄っていきましょう!階級上がったことを伝えないと」
「はい、勿論です!」

羽織は今日の夕方には仕立て上がるようだった。まだ時刻は昼過ぎで、この町まではそう遠くないから引き取りに行くのは明日でも問題はない。
煉獄さんには羽織を頂いた、とだけ報告したい。市松模様で連想するのは炭治郎しかいないし、お似合いだなと言われることはおそらくないだろうけど少し、いやだいぶ小っ恥ずかしいのだ。今は甘露寺さんと同じように煉獄さんの元を離れて日々任務に勤しんでいるから、見ない内に好きな男の人と羽織をお揃いにするような人間になったのか、と思われるのが。お揃いというか、今私が決めただけだからただの真似でしかないけれど。

「あ、!と、甘露寺さん」

手ぶらだと寂しいから何か買っていこうか、何にしようか、と甘露寺さんと町中を歩いていた時だった。人混みの中から慣れ親しんだ声が聞こえてそちらを振り向けば、行き交う人をひょいひょいと軽々しく避けて先程まで話題に上げていた炭治郎が私たちの元まで近寄ってきた。

「炭治郎くん、偶然ね」
「はい!禰豆子が町に遊びにいきたそうにしてたので、連れて来ました……もう寝ちゃいましたが。甘露寺さんたちは?」
ちゃんの階級が上がったから、そのお祝い!」

人の邪魔にならないように話しながら道の端へと移動する。任務だとか、稽古だとか、そういう時に炭治郎と一緒にいるのは特段緊張はしないけれど、何もないこういう時に姿を見ると妙に落ち着かなくなる。
ね、と私へ目配せする甘露寺さんの視線を辿るように、炭治郎は私を見やる。

「そうなんだ!おめでとう!」
「全然だよ、いつの間にかに炭治郎の方が上だし……」
「俺は過大評価されてるんだよ」
「どういう自信なの、それは」

洗濯物も一瞬で乾いてしまうような濁りのない晴れやかな笑顔を向けられ視線を足元へ落とした。
どくどく、どくどくと血の巡りも早くなる気がする。一つ息を大きく吐いて呼吸を整えた。

「そうそう!そのお祝いなんだけど、ちゃんが選んだ羽織の、」
「あああ!まっ、言わないでください!!」

人が足の爪先まで響く心音を鎮ませようとしているのに、この人は何を言いだそうとしているのか。慌てて甘露寺さんの口元を手のひらで覆って炭治郎の耳に柄まで知られてしまうことが届くのを遮った。

「ふぐっ、ふごっ!」
「羽織の……?」
「なんでもない!なんでもないの!」

私と甘露寺さんのやり取りに炭治郎は当然ながら眉間に皺を寄せる。
その内知られてしまうことではあるけど、甘露寺さんはすぐ恋愛に絡めてしまうから、どうせ知られるのであればこの人がいない時がいい。私も市松模様が好きで、なんてさらっと言ってしまえばいいのだ。……さらっと言えるかは自分自身、甚だ疑問なところではあるけれど。

「そうだ、炭治郎も一緒に煉獄さんに会いに行かない?」
「えっ行きたい!いいのか?」
「うん」

もう口を滑らすことはないだろうと、一度落ち着いた甘露寺さんの口元から手を放しながら炭治郎を誘った。炭治郎も煉獄さんのことをとても慕っているし、けれど頻繁には会っていないはず。
喜々とした表情を見せたので、煉獄さんは本当に大人気なんだと、少し誇らしくなった。

「そうだ、いいこと思いついたわ!」
「な、なんでしょう、」

ポン、とそれっぽく手を鳴らす甘露寺さんに今はあまり良い予感はしない。一度それだと考えたら自分の世界に入るのが早いこの人はやっぱりどこか煉獄さんに似ている。煉獄さんの場合は、常に自分の世界を持っているように見えるけど。
おそるおそる甘露寺さんを見上げると、甘露寺さんは再びにんまりと満面の笑みを見せた。

「私、先に煉獄さんのところ行ってるわね!」
「え、」
「私だって師弟水入らずの時間が欲しいわ!ちゃんは炭治郎くんと何かお土産を買って来てくれるかしら?」
「え、え?一緒に、」
「そうね、スイートポテトがいいわ!煉獄さん好きだから!じゃあ、お願いね!」

任せたわよー……なんて山びこの残しながら、甘露寺さんはその身のこなしに颯爽と駆けて行ってしまった。
雑に取り残されてしまい、私と炭治郎の間に微妙な沈黙が流れた。甘露寺さんなりに、気を利かせてくれたのだろうけど炭治郎とこうして休暇の日を二人きりで過ごしたことがないから、落ち着かせたはずの心臓が徐々に煩くなってくる。


「う、うん」
「探しに行こう。すいーと……なんだっけ」
「スイートポテト。でも洋菓子でまだあまり知られてないって甘露寺さん言ってたから探すの時間かかるかも……」

沈黙を破る炭治郎にあからさまに口をまごつかせながら応える。さつまいもの洋菓子で甘露寺さんが千寿郎くんへ伝授してから煉獄家でもよく取り扱われていた。私も何度も食べたことがある。
お店に置いているのは今まで見たことがないけど、このそう大きくはない町のどこかに売っているだろうか。まずここから一番近い和菓子屋はどこだったっけ、と頭の中で思い浮かべる。

「俺は時間かかってもいいんだけど……」
「……」
は、時間がかかると都合悪いだろうか」

行き交う人を眺めながら、一番近い和菓子屋を思い出した私の隣で炭治郎はぽそりと呟いた。控えめに視線を運ぶと、瞳の色と同じように頬を染め上げた炭治郎から目が離せなくなった。

「……悪くないよ」
「よかった」

蚊の鳴くような声で返した私に、炭治郎は胸を撫で下ろしたような表情を浮かべピアスをカラコロと鳴らした。
炭治郎とは任務が一緒になることが多くて、最初はどこかよそよそしかったけど徐々に仲良くなっていった。間一髪のところを助けられたりもした。
どうして好きになったのかは、正直理由は定かではないけれど私の気持ちはどんどん炭治郎へと揺れ動いていってしまっていたのだ。
結局、この町でスイートポテトを見つけることはできずに、昼過ぎだった時刻は日が沈みそうで辺りは夕刻を示していた。
本気で探す気があったのかと問われたら、多分なかった。ただ、こうして休みの日に炭治郎と町を回れていることが素直に嬉しくて、甘露寺さんから貰った時間をそのまま楽しんでいた。

「あ、」
「どうした?」
「羽織ができてる時間かも」

そろそろ甘露寺さんも煉獄さんも待っているだろうから町を出ようと話しながら、思い出した。後日取りにくる予定だったけど、予定に反して長居をしてしまったからおそらく昼過ぎに甘露寺さんが買ってくれた羽織はもうできている頃だ。
ただ……。

「……?なら、取りに行こう」
「うん……」

思い出した流れでそのまま口走ってしまったことを今更後悔した。じ、と炭治郎を見据える私に炭治郎は目を丸くしながらも反物屋へと促す。
甘露寺さんは今はいないし、余計なことを横から突っ込まれてしまう心配もないから大丈夫だと自分に言い聞かせ、反物屋へと向かった。

「た、たまたまだからね」

私としては、はいできましたよとさらっと生地だけ渡されるものかと思っていたのに反物屋の奥さんは得意げに綺麗に仕立て上げられましたよと目の前で広げるものだから、羽織らざるを得なかった。市松模様の羽織を纏う私を見ている炭治郎の視線が辛い。恥ずかしい。炭治郎も今いつも通りに市松模様の羽織を着ているし、やはりこのまま隣を歩いて帰るのは羞恥に耐えられない。そして、ずっと炭治郎は無言を貫いているのだけど、何か言ってほしい。

「……真似してごめんね」

禰豆子ちゃんの帯も市松模様だから、竈門家はきっとどこかにみんな市松模様を纏っていたのだろう。そっくりそのまま真似をする私に複雑な感情を抱かせてしまっただろうか。口を開かない炭治郎へ反物屋を出ながら謝り、羽織を脱ごうとした。

「いや、どうして謝るんだ!」
「何も言わないから……」

羽織に手をかけた私の手を炭治郎は上から包み込む。厚い手のひらと体温に胸が熱くなる。

「真似ってことは、少なからず俺のことを意識してくれてたんだよな?」
「……、」
「嬉しいよ」

照れ臭そうに笑う炭治郎の頬が染まっているのは、期待をしてもいいのだろうか。
否、期待というよりは、自意識過剰かもしれないけれど、薄々気付いてはいた。多分、そうなのだろうと。ただ、私は直接、まだ口にはできなかった。
私の手をそっと放す炭治郎の手を引き止めるように今度は私が握る。

「本当は、たまたまじゃないよ」

小さく小さく呟けば、炭治郎は一度目を見開いた後、目尻を下げて頬を綻ばせた。





「おかえりー!!私の家じゃないけど!あっ羽織着てきたのね!やっぱり似合うわあ!」

屋敷の外からさつまいもの匂いがしていたから、敷居を跨いでごめんくださいと声を上げるよりも前に甘露寺さんがスイートポテトを焼いていたのだとわかった。
私たちを出迎えるさっきぶりの甘露寺さん。その後ろから煉獄さんが歩いてくる。
私たちを見るなりふわっと笑みを零した。

「二人揃って、久しぶりだな」
「はい」
「ゆっくりしていくといい」
「ありがとうございます!」

深々頭を下げる炭治郎。私もそうしないといけない気になってしまう。というか本当はするべきなのだろうけど。けれど穏やかなその雰囲気にそこまで畏まらなくてもいいのだと告げられているようで甘えていた。
千寿郎くんにも迎えられ、通された部屋に甘露寺さんと千寿郎くんが焼いたというスイートポテトが並ぶ。

「兄上もどうぞ」

香ばしい香りに素直に涎が出てしまうのを抑えた。食べるのは目上の人からだ。と、こういうことも特に気にしなくていい、と煉獄さんも甘露寺さんも言うのだけれど。

「うーん……わっしょい!」
「煉獄さんのわっしょいだ!」

久しぶりに、こうして賑やかな日を過ごした。今日もきっと、大切な人と過ごした忘れられない思い出になるのだろう。
炭治郎の蝶屋敷でのことや柱合会議のことなど、甘いお菓子を食べながら笑い合い少し落ち着いてきた頃、私は口を開いた。

「私、煉獄さんにお話したいことがあって」

一緒に笑みを零していた時の声色よりも幾らか低くて静かな物言いに、甘露寺さんも千寿郎くんも炭治郎も、私の意図を汲んで私たちを残し部屋から退却してくれた。
煉獄さんの前へと座り直し、膝の上に手を置き背筋を伸ばす。

「私、階級が上がりました。この羽織、甘露寺さんがくれたのですが、似合ってますかね」

他愛もない雑談を交えるのはいつものことだった。いつも煉獄さんはそれを聞いて、そうか、それはよかった、君がいいならいいと思うぞ、とか前向きなことしか言わないけれど。
小さく息を吐いて、膝の上にのせた手で拳を握る。

「煉獄さん、私に“君は強い子だ”って言ってくださいましたが、私は弱い人間でした。申し訳ございません。……でも、今は彼の、炭治郎のお陰で煉獄さんの言う“強い子”、に近付けていると思います」

私は、煉獄さんの言葉を胸に、表面上だけ見繕っていた。強い子を演じていた。けれど、そんなのすぐにボロが出て、私は命を落とすところだった。
自棄になって突っ走って、後を追ってしまう危機一髪のところで、私は炭治郎に助けられた。すごく怒られた。初めてそこで、私は自分のことを思ってではなく、泣きながら貴方の思いを私に言って聞かせる炭治郎の言葉に沢山泣きました。

「私、あなたのことが好きで好きで仕方なかったのです」

初めて人を好きになって、休みの日に着る服を考えたり化粧を甘露寺さんから教えて貰ったりしていたのに、いつも稽古の時以外は妹のように私を扱う。
きっと、私の気持ちには気付いていたくせに。
だから貴方は“君は強い子だ”なんて私に言い遺したのでしょう。煉獄さんの、その言葉だけでそれを全うできずに情けなさに私は押し潰されそうです。
でも、煉獄さんが炭治郎に思いを遺してくれたから、今の私がいるのだと思います。
もう、いつも背中を押してくれた貴方はいないけど、引っ張ってくれる人がいます。今度は私が引っ張ってくれる人の背中を押せるようになりたいと思っています。“強い子”になれるように。

「あ、あと、聞いていたとは思いますが、甘露寺さんの『わっしょい』が最近とても師範に似ています。それから、」


伝えたいことは、ほぼ伝えられた。最近やけに似てきている甘露寺さんの物真似を面白おかしく思い出していれば、おもむろに部屋の襖が開いた。
仏壇へと向けていた視線を炭治郎へと運ぶと、私と目を合わせた炭治郎はほんの少し肩を揺らした。

「ごめん、泣いている匂いがして」
「…………ほんとだ」

いつの間にかに、私は気付かぬ内に涙を零していたらしい。さっきまで笑っていたのが嘘のようだ。でも、自分で泣いていることには気付かないほど、気持ちはそんなに重くない。

「気持ちはその、痛いほどわかるけど。でも少し遅かったし、気になってしまって……」

そんなに長々としてしまっただろうか。言いたいことが纏まらなくて、目を逸らしながら頭の中が空っぽになっていた時間はかなりあった気がするような、しないような。けれど、悲しいのは私だけじゃない。
私の隣に座る炭治郎は指の甲で私の涙を拭ってくれる。

「ありがとう」
「もう、いいのか?」
「ええ、邪魔したくせに」
「それはそうなんだが……!」
「また今度言いにくるよ」

立ち上がった私に炭治郎は呆気にとられながらも一緒に腰を上げる。折角今の私の気持ちを煉獄さんへ最後まで伝えてから、炭治郎にも話したかったのに、それはお預けだ。
中途半端に開いた襖を引いて部屋にしみったれてしまった部屋に新しい空気を流し込む。廊下の奥では厨房で何やらガチャガチャしている音が聞こえた。

「ねえ、夕ご飯みんなで作ろうよ。槇寿郎さんにお酒買ってこないとだ。さっき買ってくればよかった」
「酒屋だからまだ開いていると思うけど、お酒詳しくないぞ?」
「じゃあ、宇髄さん呼ぶ?来てくれそう」
「遅くまで居座ってしまいそうだな」
「でも槇寿郎さん、『ゆっくりしていくといい』って」
「前向きに捉えすぎてないか?」


−−季節の移ろいに混じり、人の気持ちも移ろいでいくこと、貴方はどう思いますか?
私に恋情を抱いていたわけではないでしょうが、私としては複雑です
でもきっと、それさえも。人の美しさだと、貴方は言ってくれるのでしょうね