千紫万紅

＊過去

弟と同じくらいか、下か。そのくらいの娘がここにいることに驚いたが、そんなことは俺にとっては何の関係もない。同じく一つの命だ。だから、腰が抜けてるのか動かないその娘の前にいる今にも食ってかかりそうな鬼の頸を切った。塵のように消えていく鬼を他所に娘の元まで歩み寄る。

「怪我は」
「…………」

何も話さない。ただじっと、目の前で起こったことが受け入れがたいような、身を震わせて消えた鬼の跡を凝視していた。
鬼を目の前にしたことも、それを斬った刀を持つ俺も、信じがたい光景なんだろう。こうして動けない奴らは何人も見てきた。

「よ、よかったああ…！！」

声は、娘のものではない。俺の横を這うように走り抜けた男は動かないその娘の肩に手を置いた。よかった、本当によかったと抱きしめているあたり、父親か、そうでなくても身内の誰かか。

「一人でも残っててよかった……」
「……」
「どこのどなたか存じ上げませんが、ありがとうございました。いくぞ」
「っ…」
「なんだ、怪我したのか。ちっ…価値が下がる。歩けるだろ、ほら」

もう俺がここにいる必要はない。踵を返して去ろうと思った。去るつもりだった。だが、足を怪我していたらしいその娘を無理やり立たせる男に、虫酸が走った。こんな奴が父親なのか、いや、価値が下がるってことはこいつはここで働いてた娘ということか。そう見ると確かに着物は質が良さそうなもので、髪は鮮やかな色彩の簪でまとめられていた。

「……やだ」

―バシンッ―

初めて聞いたそいつの声は、一言発しただけで男の平手打ちの音にかき消された。

「つべこべ言うな歩け！」
「……」
「すみませんねえお恥ずかしいところを見せて…」

別に、もう助けたんだ。それ以外俺が構う義理もねェ。俺がやることは鬼を狩ることのみ。それ以上でも以下でもない。ただ、俺に対してへこへこ頭を下げるそいつにふつふつと何かが込み上げてきた。

「やだ、やだやだやだもう全部嫌……」
「黙ってついてこい、お前みたいなやつが生きて働ける場があることだけでも感謝しろ！」
「おい、親父」

歩くのもままならないそいつを無理やり引っ張って連れて行こうとするその親父を止めた。自分の声がどこか自分ではない、他人事のように聞こえてきた。

「いくらだァ、そいつ」
「え…」
「買う」

娘がピクリと動いた。その親父は俺を見て目を丸くする。買ってどうするとか、そんなことは考えていない。ただ、折角助けた娘が、見知らぬ親父に暴力振るわれて、行きたくもない場所に連れて行かされそうになるのを目の前で見ているのは気持ちのいいものではない。
親父は娘の手は離さないまま、いやいやと手を体の前で振った。

「あんた、ここ遊郭の女はそんな簡単に出せる値段ではないし、それにこれはまだ遊女として男一人も相手にしてないので、あんたの役に立つことは…」
「足りるか」

ドサッ、と懐から出した手持ちの金を親父の前に放った。元々、違う用途で金を持ち合わせている日だった。ここで使ったとしても何ら問題はない。お館様だっておそらく、同じ場面に出くわしたらそうしてるだろう。
親父は俺が放った金にハイエナのようにたかり額を確かめた。人一人、っつーより建物一つどうにかなるくらいの有金だ。文句はないだろうと娘を離した親父を通り過ぎて一部始終を見ていたそいつを肩に抱え上げた。歩けないんじゃ仕方ねェ。

「医者に診てもらえ。後は一人でどうにかできるだろ」

この建物だけ、町とは少し離れた場所にあった。この歳の娘を働かせようとしてたくらいだ、公にはできないことをしている場所だったんだろうと推測できる。
鬼のせいでボロボロになった建物を出てそいつを医者に診せる為、雪道を歩いた。

「なんで……」
「あァ？」
「なんで殺したの……なんで！！」
「っ」

まともに話し始めたかと思えば、俺の髪を引っ掴んで暴れ出した。何で殺したのか、んなもん鬼だったからだ。それが例え、元お前の身内だったとしてもそんなこと御構い無しに鬼は人を食う。人間だった頃のことなんざ覚えてねェ。
多分、俺が斬った奴が身内だったんだろう。こんなのは言われ慣れている。鬼を狩っても、感謝されることが全てではない。
暴れ回るそいつを乱雑に雪の上に落とした。落とされたそいつは俺に雪を投げつけた。

「買うって、私を買ってどうするの！？助けたの！？ねえなんで助けたの！！？」
「落ちつけ」
「ふざけんな！！死ねたのに、あのまま死ねたのに！！」

あの親父に嫌だと、確かにそう言っていた。あのまま、あの親父の元で働くことが嫌なんだと、そう思っていた。けど、それは違った。顔に投げられた雪が解けて、そいつが俺に対し敵意を向けているのが目に映った。
この娘は、全てが嫌になったんだと悟った。

「ずっと、…ずっと死のうと思って、でも怖くて一人じゃ死ねなくて……、でも誰かに悪いことして逆恨みで殺されようとも思えない中途半端な理性もあって…、やっと、ようやく私は死ねると思ったのに…」
「……」
「なんで殺したの！！！」
「知るかよ、鬼がいたら殺る。それが鬼殺隊だ」
「それこそ知らないよ、何それ、なんなの、もう、やだ…」

助けた人間にこうまで言われることに、懐かしさを覚えつつも、あの時とは違う、むしろ初めて向けられる矛先。雪まみれの手で自身の頭を抱えて掻きむしっている娘を見て、俺は鞘から刀を抜いた。
その擦れる音が聞こえたのか、娘は顔を上げた。目の前には、白く光る剣先。

「そんなに死にてェなら……、俺が殺してやるよ」
「……」
「俺が買ったんだ、てめえはてめえのモノでもなく俺のモノだ。何しようと勝手だよなァ」
「……」
「感謝しろォ」

泣き喚いていた娘は自分に向けられた刃を見てピタリと動きを止めた。着飾っている着物も雪と泥、そして誰かの血にまみれて小汚い。髪も乱れて、鮮やかな簪だけが不恰好にも目立っていた。

「……あ、あの」

そいつは蹲っていた体を立て直し、俺の目の前で正座をした。か細い声で、命乞いでもするのかと思っていた。むしろそうなることを望んでいた。そうであってほしかった。けれども、こいつはすう、と息を吸い込んで、

「一瞬、痛くないようにお願いします……」

初めて真っ直ぐ合ったその瞳は、知っている。あの時の自分と重なった。世界が色褪せた日。
ここで、俺がこいつを殺す？ふざけんのも大概にしやがれ、何本気にしてんだこの女。俺は柱だぞ、人の命を助ける柱だぞ。

「え、」

目を瞑って覚悟をしていたらしいその女は刀を鞘におさめた音を聞いて目を開けた。人間味のある表情だ。

「行くとこがねえなら連いてこい。こちとら万年人手不足だァ、てめェみたいなガキでもやることはある」
「いや、私は今ここで…」
「死ぬな。人に頼るな、鬼にも頼るな、甘えるな、お前は生きろ」

ボケっとしてるそいつの顔が暗闇だったはずが鮮明に見えた。朝日だ。
足の出血は止まっていた。重症ではなさそうだ。現にこいつは大声出せるほどの体力が有り余っている。

「人からもらったもん粗末にしてんじゃねェ」
「……人から、もらったもの…？」
「てめェの命だよ。自分だけのもんじゃねェんだよ。それは」

口が半開きのまま、動こうとしない。一つため息を吐いて、もう勝手にしろと俺はそいつを置いて雪道を歩いた。鬼も出てこないし、町ももうすぐ近くだ、動けるだろう。こんな傷だらけの人間に抱えられて行くよりは一人で行った方が騒ぎにもならない。

「待って、」
「……」

ついてこいと言ったが、あいつにその気がないならどうだっていい。そこまで面倒見る必要もねェ。だが、こいつは雪の中裸足で俺の後を掛けてきて羽織を掴んだ。その手の先を見れば、目に涙を滲ませていた。

「生きます、私……」
「……いるんじゃねェか、大事な奴」
「…、っぅ、ぁ」

朝日が照らす雪に、堪えていたのか子供のように泣きじゃくり始めたそいつの涙が零れ落ちる。
一人で生きてるとか、勘違いしてんじゃねェ。例えそいつが今いなくたって、それはお前のものだけじゃねェんだよ。そういう奴らをこちとら守ってんだ、勝手に死ぬなんざ許さねェ。

「あ、ああ、申じおぐれまじだぁあ、わた、わだじ、」
「いや、遅れてねえし落ち着いてからでいいっつか別に名乗らなくて、」
「ともうじまずぅう…うわぁああん」

それが、俺との出会いだった。

あの日あの時の出会い

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