短編



「ごめんください」

朗らかなか細い声が屋敷の入り口の方から聞こえてきた。聞き慣れた声に心臓を脈打たせながらも同時に締め付けられる。俺の稽古に付き添ってくれていた兄上を見上げればにこりと口端を上げていた。俺が行っても、とは思いつつ、兄上を煩わせるわけにはいかないので一旦稽古は中断し、声のする方へと向かった。


「千寿郎くん」

庭から回ってきたから、外から来るとは思わなかったのだろう、後ろ姿に声をかけた俺には小さな方を揺らしながら俺へと振り向いた。手には四角い包みのようなものを持っている。また蜜璃さんからの差し入れだろうか。

「みんなで食べて、って」

俺に歩み寄りながら包みを差し出すからそれを受け取った。
は蜜璃さんが柱になってから程なくして、蜜璃さんに拾われた子だった。最初に蜜璃さんがを連れて来た時は『千寿郎くんと同い年だって、仲良くしてね』と言われ遠慮がちだったへ緊張を解こうと色々と話しかけていた。普段は蜜璃さんに助けられたお礼、と屋敷のことに従事しているらしい。

「ありがとう」
「うん」

頻繁にこうしてお菓子を持ってくることが増えたけど、の本当の目的は、ただ差し入れを持って来てくれることではないことは薄々気付いていた。

「甘露寺からか?」
「兄上」
「煉獄さん」

が会いたかったのは俺じゃなくて、兄上のはず。兄上を呼んで来るべきだろうかと迷っていると、俺が判断する前に足元に影が降りる。覗き込むようにして俺の手元を見る兄上にも声を上げた。

「よく来たな!」

こんにちは、と軽く頭を下げたの頭を兄上が大きな手で撫でる。兄上といる時のは、俺といる時とは少し違う。今も口元に笑みが溢れて嬉しそうにしているのが伝わってくる。一度、聞かれたことがある。『千寿郎くんは好きな女の子はいるの?』と、かなり遠慮がちに。それを聞かれた瞬間、この子は多分、兄上のことが好きでそういう話を遠回しに聞き出したいのだろうと察した。ほんの少し、へ傾いていた俺の気持ちは大事にならない内に鎮めたかったけど、なかなか難しかった。

「ちょうどいい、休憩にしようか。も食べて行くといい」
「はい!」

兄上に目を輝かせて頷くを見ていると、平常心ではいられない。俺と兄上が並んでいたら、誰もが兄上に目が行くだろう。だから、これは俺にとっては普通のことなのだ。なのに、相手がだとそれが違ってしまう。

「お茶、用意してきますね」
「あ、私も、」
はお客様だから、兄上といて」
「……うん…………」

貰ったお菓子を持って、兄上とに背を向けて屋敷へと戻った。兄上との仲を取り持っている、というわけではなかった。ならの気持ちに反対しているのかと言われたらそれもまた違うのではあるが。は兄上に好意を寄せているかもしれない、と、兄上は気付いていますか、と前に聞いた時、本人に言われたわけではないし、俺はのことをそういう風には見ない、今後も見ることはない、と断言されてしまったからだ。
の恋を応援しようにもおそらくそれが叶うことはない、でも気持ちは否定したくない、けれど、それとはまた別に俺がへ寄せてしまっている感情もあり、複雑だった。

「はい、ありがとうございます」

縁側で待っているであろう二人へ、盆に貰ったお菓子とお茶を載せて持ち寄った。太陽の下で、何を話していたのかはわからないけれどは兄上の隣で柔らかい笑顔を見せていた。俺には、見せない顔だ。明かりのない部屋から見えるその二人がやけに眩しく見えた。

「お待たせしました」
「千寿郎!」

二人に歩み寄り、俺も兄上の隣へ座ってお茶とお菓子を手渡す。を見れば、一瞬眉を下げて哀しげな表情をしていたけど、すぐにいつもの表情へ戻し俺からお菓子を受け取った。……兄上と二人が良かったのだろうかと、勘繰ってしまう。そういう子ではないとわかっているのに。

「千寿郎!俺は急用を思い出した!」

天気も良くて穏やかな風が髪を靡かせる。これほどまでに気持ちのいい日があるだろうかとぼんやり空を見上げながらお菓子を口元に運ぼうとした時だった。今からみんなでゆっくりお茶をしよう、と、そんな雰囲気だったのに兄上はすでにお菓子を一口で平らげていたらしい。

「えっ、急用、?」
「急用だ!」
「任務、」
「ではないが急を要する!家のことは任せたぞ!」

唐突に立ち上がり、まるで今思いついたような言い分で俺に告げてから背を向け廊下の奥へと足早に去っていく。呆然とその様子を見つめていると、ピタ、と動きが止まり顔だけぐるりと向き直る。

「その菓子は今日中に食べた方がいいらしい、俺は今日は戻らない!」

ピ、と盆に載せた数あるお菓子を指差してから、今度こそ兄上は姿を消してしまった。突然の出来事にしん、と静まり返る辺りが落ち着かない。俺と兄上のやり取りを見ていたも目を丸くさせている。

「あ……ごめんね、折角兄上に会いに来てくれたのに」

任務ではないと言っていた。鴉も鳴いていない。だから元々あった用事を思い出したのだろうか、兄上にしては珍しいことだけど、一先ず何か喋らないとと思って咄嗟に出てきた言葉はそれだった。
伝えた俺には唇をギュッと噛み締める。

「違うよ」
「……?」
「……二人に、会いに来たの」

持っていたお菓子もお茶もお盆に戻し、が呟いた。

「そっか、ごめん、ありがとう」

気を遣わせてしまっていたのだろうか。態度にあからさまに出てしまっていただろうか。俺もと同じように小さく呟いてから、庭へと視線を戻しお菓子を頬張った。いつも甘いお菓子を持ってきてくれるけど、今日は一段と甘く感じる。

「それも!」
「、?」
「それも違うの!」

なんだか気まずくなってしまった、兄上は今日は戻らないと話していたし、そもそもこのお菓子は今日までで、二人で食べきらないといけないらしいのも問題だ。どうしようかと一人頭を悩ませていれば、人一人分空いた隣から珍しく荒げた声が聞こえた。

「その……」
「……」
「千寿郎くんに、会いに来たら駄目かな」
「俺に?」
「……うん。駄目?」

目を合わせたは頬を赤く上気させ、今まで俺も、兄上に対してもすることのなかった面持ちを見せていた。
その表情に、都合よく捉えてしまいそうになるけれど、そんなことはあるわけはないと考えを振り払った。

「ありがとう、俺のことは気にしなくて大丈夫だよ」

兄上と、話していたのは、こういうことだったのだろうか。俺がを避けがちだったのをは気にしていたのかもしれない。これからは気をつけよう、今までのように、出会った最初の頃のように振舞おうと心に留めお盆に沢山載ったお菓子へと手を伸ばした。

「違うよ、わかってよ」
「……、」
「私の気持ち、ないことにしないで」

伸ばした先のお菓子は、お盆ごと消えた。するっと横から伸びてきたの手によってお菓子はの元に抱えられている。お盆に一緒に載っているお茶が震えている。

「会いに来るから、千寿郎くんに。こういうのがなくたって会いに行くから」
「えっと、」
「ていうか、もうないので。わかってくれるまで、差し入れ持ってこないので。私だけ来るので」

「私が好きなのは煉獄さんじゃない」

ガタガタと、お茶が倒れそうなほど震えているそれは、なりに怒っているのだと思うけど、その理由が俺にはわかろうにも、そんなことあっていいのかと納得できなかった。
どうすることもできずに狼狽える俺の前ではお盆を持ったまま立ち上がり背を向けた。そのままどこか行こうと歩いていく後ろ姿を、このままにしていいのだろうか、いや、多分、絶対、いいわけはない。

、待って!」

声をかけながら、お盆は落とさないようにとの前に回り込んで手にした。目と鼻の先にあるの瞳には涙が今にも零れ落ちそうで思わず目を見張る。

「ご、ごめん」
「……それは、私の気持ちには応えられない、の『ごめん』?」
「えっ違うよ!俺も、……、」

直接言われたわけではなく、口にしようとした言葉を喉奥で留めた。の気持ちは、つまり、俺のことが好きで会いに来ていた、ということで合っているのだろうか。自分には縁のない話だとしか思えなくて、やけに慎重になってしまう。

「……は、俺より兄上といた方が自然と笑ってるよね」

自分が好きだと思った相手にしか見せない表情なんじゃないだろうかと、ずっと思っていた。俺の前では不自然で、曖昧な言動も多かった。
お盆の上にお菓子へと視線を落とす。甘い香りが胸に響いた。

「好きな人の前じゃ、自然になんていられないよ」

いつにも増して、か細い声だった。落としていた視線をへ戻すと、顔を真っ赤に耳まで染めながら俺をまっすぐ見据えていた。の瞳の中に移る自分がなんとも情けない男なのだと感じた。

「俺も、同じだよ」

お盆を持つの手に自分の手を重ねた。
女の子の方から、こうして俺に思いを告げてくれているのだ、もう逃げたり避けたりなんてできない。

「好きになってくれてありがとう」

心の底から笑う自分の表情をの瞳越しに見て、初めて、自分が少しでも好きになれる気がした。

幸福のしっぽのにおいがする