短編



一大事である。
小鳥の囀りが耳に響き、窓から差し込む日の光に眩しさを感じ重たい瞼を上げると、見慣れない天井が視界にぼんやり広がった。ここはどこだと上体を起こし、私は固まった。
布団の脇には脱ぎ捨てたような衣服。藤の家のものだ。そうだ、私たちは昨夜鬼討伐を終えた後、近くの藤の家へ世話になっていた。私たち、と言うのは私はとある人の継子であり、常日頃から行動を共にしていた。部屋数が限られている家で部屋が共になることも何ら不思議ではない。だから、今この部屋で私の他に寝息を立てる人がいることは全くもっておかしくはないのだ。
衣服を着ていない、ということ以外は。

「……」

端正な顔立ちをして隣で眠る師範・煉獄さんも、見たところ何も身に纏っていない。下はわからないけれど。確認なんてできるわけはない。同じ布団で寝ていたことに嫌な汗がじんわりと額に滲む。
私は必死になって真っ白になった頭で昨日のことを思い起こそうとした。
確か、藤の家にお世話になることになって、先に湯浴みをした私は待っていなくていい、先に寝ていろと言われたが、そんなわけには行かず師範を待っていたのだ。そう、その時藤の家のお爺さんからお酒を貰った。たまには羽を休めて、と。そうだ、そのお酒を勧められるがままに飲んでいた。
思い出せたのはそこまでだ。まるっきり私にはそれ以降の記憶がない。

「(やばい、非常にまずい…)」

とりあえず、震えを抑えそっと布団を出て隊服に着替え、脱ぎ散らかしていた藤の家の衣服は畳み部屋を出てお爺さんを探した。厨房で私たちに朝御飯を用意していた奥さんにお爺さんの居場所を聞けば、庭で盆栽の手入れをしていると思いますと言っていたのでその通り庭にお邪魔すると、いた。

「お爺さん」
「おおちゃん、おはよう。二日酔いもないだろう」
「え、ああ、はい…」

気さくなお爺さんは盆栽を手入れしながら私に笑いかけた。
確かに、記憶がないほど飲んだと言うのに頭の中はスッキリしている。それがまた不穏であった。

「炎柱さんも一緒に飲んだのかい?」
「いや、実はお恥ずかしいことに記憶が全くなくて…」
「おお、そりゃあ残念だ」
「なのでお爺さんが知っていることを教えて貰おうと思いまして」

けれど、一緒に飲んだか私に聞くと言うことは、お爺さんは師範が戻ってくるよりも前に退出したのだろう。お酒だけ持ってきて酔わせて放置とはなかなか粋なことをしてくださる…なんてことは到底口にできずに眉を下げた。

「何かあったんだねえ」

横から声がしたのは、縁側で朝日を浴びながらお茶を飲むお婆さんであった。その瞳はとても細く、けれども意味深に微笑んでいるように見えた。見透かされたようで胸の奥がどくりとはねる。
その言葉にお爺さんはほう、と感心したような声を出す。

「そうかいそうかい、二人はそういう関係だったのかい」
「え、いやちが、」
「違うのか?」
「ひゃ!?」

可愛くない声をあげてしまった。今私が問題としている事案の本人が唐突に私を覗き込むようにして現れたからだ。
大袈裟に後ずさる私に師範はお爺さんとお婆さんにいい朝ですねと声をかけている。師範も隊服に着替えている。いつも通りである姿に幾分安堵している。あのことは夢であってほしい。

「しはん、」
「ん?おはよう。起きたらもぬけの殻で驚いた!」
「お、おおはようございます」

夢であってほしい、というのは決して師範のことが嫌いという訳ではなく、むしろ好きだった。一人の男性として。けれど、そんな邪な思いで持ちながら日々一緒にいる自分も嫌いだったのだ。
それでも師範に対する思いは日に日に募るばかりで、近頃はどうしたらこの思いを抑えられるか悩んでいた。それが、このザマである。私は師範に一体何をしてしまったのか、されてしまったのか。
吃る私に師範は清々しい笑顔を見せる。

「若いねえ」
「お爺さん、あまり茶々入れちゃいけませんよ」
「おおそれはすまなかったな、わしらは邪魔か」
「え、いえいえいえ、」
「老いぼれはお暇するかね」

いえむしろ、このまま居て欲しいのですが、そもそもこの家の主はあなた方であるから私たちの方が邪魔なのでは、と、頭の中が突如現れた師範のおかげでぐるぐるしている私は上手く言葉にできずに庭から老夫婦が立ち去るのを目で追い見送ってしまった。
気まずい空気が師範との間に流れる。いや、気まずいと思っているのは私だけなのかもしれない。

「あの師範」
「どうした?」
「私、その、昨日のこと、まるで覚えていなくて…」
「……そうか、それは残念だな。覚えてます、と口にしていたのに」

気まずくて伏せていた瞳を師範へ向ければ、師範は眉を下げて笑っていた。そこはかとない罪悪感が私を襲う。

「酔っている娘の話は信じてはいけなかったか」
「……私、なんて言っていました…?」

顔に熱が集まるのを感じながら、それでも師範がそんな表情を向けたことに、もしかしたら師範も私と同じ気持ちでいてくれたのかもしれないと期待してしまっている自分がいた。随分と都合のいい解釈かもしれないけれど、私が自分の気持ちを口走ってしまったのであれば、それに答えてくれたのかも、しれない。
師範はふむ、と口元に手をあて少し考えた素振りを見せる。

「そのまま繰り返すと、『好きなんです』」
「っ、」
「『私以外の人を見ないでください』」
「う…、」
「『抱いてくだ「あああもう大丈夫です大体わかりました!!」

それ以上聞きたくない、と両耳を塞いだ。恥ずかしいにも程がある。そんな醜態を晒してしまったことを目の当たりにしてしまうとやはりどうしようもない羞恥が私を押し寄せてきた。
あまりにも情けなく、みっともなくて私はそのままその場所にしゃがみ込んだ。

「ご迷惑をすみません…」
「迷惑?」

随分と煩くしてしまったのだろう。師範は優しいから、私の言葉通りそうしてくれた。多分。残念だと言っていたのはきっと私をからかっているに違いない。そう、師範が残念だと言うのも、私が昨夜口走ったことも嘘でいいのだ。嘘にしたい。このまま冗談みたいになかったことにしてしまえればいい。のだけれど、それはそれで何も思わずにはいられない。
なぜ私には記憶がまるでないんだ。自分の酒癖の悪さを恨んだ。
はあ、と恥晒しな自分自身へ深い溜息をつけば、師範も屈み私へ視線を合わせようとしたのが布の擦り切れる音でわかった。

「君は勘違いをしているな」
「……」

未だ両耳を覆う私の片手を師範は掴み、耳から離す。俯いた視線は上げられないまま。

は俺のことが好きなのだろう?」
「…!」
「違うのか?嘘だったのか?」

改めて、言葉にされた気持ちに私は嘘なんてつくことはできずに顔から火が出そうになりながらも、嘘にしたいと考えたばかりであるのに首を横に振った。
ふ、と師範の小さく笑う声が聞こえる。

「俺ももう随分と前から、君のことしか見えていない」
「…え、」
「もう一度、ちゃんと言ってくれないか?」

ゆっくり、視線を上げると、太陽に照らされた師範の表情に私の胸はとどまることを知らずどくどくと鳴り続ける。どうしようもないほど恥ずかしいのに、目が離せない。
夢のような話だと思った。こんな形で私の想いを伝えることになってしまったなんて不本意だったけど、結果、師範が私を想っていてくれていることを知ることができてしまうなんて。

「す、好きです」
「俺も好きだ」

優しく微笑んで、師範はもう片方の手で私の頬を撫でるように触れる。暖かく大きい手に包み込まれ、その瞳に吸い込まれていきそうな感覚が押し寄せる。そんな私を我に返すかのように、師範はああ、と呟いた。

「ちなみに安心してくれ」
「?」
「君が思っているようなことは昨晩していない」
「…………ええ!?」

またしても、可愛げの無い声を上げてしまった。

「でも、服」
「勝手に君が熱いと騒ぎ脱いでな」
「、」
「言うことも聞かなかったから、反省させようと思った」

どうやら、私は散々喚くだけ喚いてそのままころっと眠りについたらしい。そんな私にお灸を据えるかのごとく、事後と見せかけたというのだ。つまり、未遂。お陰様で、思惑通り私は慌てふためき今、とても反省をしている。
師範の優しさがいつも以上に身に沁みる。

「申し訳ございません…」
「そもそも君は酔うと誰にでも昨夜のようになるのかと思ったら、あんな時に抱こうとは俺は思わない」
「……!」
「好きであるなら、尚更」

熱いのは、徐々に登り詰める太陽のせいか、真っ直ぐ私を見つめ捉える師範のせいか、熱に浮かされながらも私の師範への想いはまたも大きくなる。

「反省したか?」
「はい、…」
「ならいい。けど、当分酒は禁止だ」

そう言いながら、おでこを優しく小突く師範に私は居ても立っても居られず逞しいその胸へ飛び込んだ。本当に反省しているのか、と頭上から溜息と共に甘い声が降ってきた。

偽物とは踊れない