短編



振られた。振られてしまった。元々叶うだなんて思ってはいなかったけれど、ついさっき私は師範である煉獄さんから、

「炎の呼吸が合っていないようだな」

と、突き放され、持っていた竹刀を落としかけた。
今まで私は炎の呼吸の使い手である育手の下、炎の呼吸を使い最終選別も受けて、その後炎柱である煉獄さんの継子になることができた。
煉獄さんとの稽古は勿論厳しいのだけれど、その中でも人という尊さを教えてもらったり、強いもの、私たちが守らなければいけないものの価値観を共有してくれたりと、技術だけではなく精神面でも鍛えられたし、同時に惹かれていった。
だから私はこの人の下、いつまでも、鬼が絶えるその日まで従い続けたいと思っていたのに、数時間前に私の稽古の様子をじっと見ていた師範が唐突にそんなことを言い出したのだ。

「え、いや、でも私は今までずっと……」
「ある日を境に、一向に腕が上がらなくなっている。おそらく、炎の呼吸ではそこが限界なのだろう」

淡々と告げられる師範の傍ら、私は頭を鈍器で殴られたような激痛が走る。それはつまり、今の今までずっと一緒にいた私とはもうさようならと、そういうことなのでしょうか。いや、ずっとまではいかないとしても、私は片時も師範から離れたくない炎のような熱い気持ちを持っているのに、師範はそれを汲み取ってはくれないのでしょうか。
頭の中でぐるぐると思考を張り巡らせる中、師範はここに行くといい、と縁側でなにやらサラサラと筆に記していた紙をひらりと私に渡した。

「話は通しておく」

これで君はもっと強くなれるはずだ!と満面の笑みを見せる師範に、私は打ち拉がれる思いを胸の奥底にしまい込みながら作り笑いを見せた。

少し休憩をしてから師範の言われた通りの場所に訪れたそこは、蜂がどこからかぶんぶんと飛んでいるお屋敷であった。立地とお屋敷の立派さから、柱であるどなたかの屋敷であることは窺えた。

「失礼します!」

甘い匂いが鼻を掠めるお屋敷の入り口で声を上げると、ドタドタとこちらへ駆けてくる音が聞こえた。

「いらっしゃい!あなたがちゃんね!話は聞いているわあ!」

お屋敷の戸をガラガラと開けながら、カラッとした空気の中そこに現れたのはおそらく恋柱の甘露寺さんだった。おそらく、というのは直接会った事はなく、噂で聞いていただけだったからだ。
柱は基本みんな怖いけれど、その中で恋柱の甘露寺さんという方だけは出会えば自分が鬼殺隊であることすら忘れてしまいそうな笑顔の持ち主だとか。
よろしくね、と私の両手を取り上下に揺するこの人は、絶対にその恋柱であること間違いないと思った。

「よろしくお願いします、私です。階級は丁、今までは炎の呼吸を使っていましたが合ってないと言われてしまいました」
「そっかあそうなのね、私も最初は炎の呼吸、使ってたのよ」
「えっそうなんですか?」

うんうん、と甘露寺さんは深く頷いた。
聞くところによると、どうやら甘露寺さんも師範の継子であったらしく、しかし炎の呼吸を使ってはいたもののいつしか独自の呼吸を編み出してしまったとか。合わなくて独自の呼吸を、って、それが私からしたら理解ができないことだったけれど師範は私がその呼吸の方が合うと判断してここに来るよう指示したらしい。
年がら年中一緒にいた師範と暫しのお別れは悲しいけど、師範以外の柱から直接指導いただけるのは願ってもみないこと。しかもこんなに優しそうな人。
一刻も早くその呼吸を身につけて、私は師範の元へ戻ろうと決意した。

「……はぁ、……はーっ」
「大丈夫?無理せずに休んだ方がいいわよ?」
「い、いや、まだ大丈夫です……」

恋柱、という二つ名であるから薄々気づいてはいたけど、甘露寺さんが扱う呼吸は、恋の呼吸という見たことも聞いたこともないものだった。
実際甘露寺さんの稽古の元使ってみると身体には馴染む。馴染むのだけど、早くそれを身につけたい私は限界ギリギリまで毎日特訓を続け身体が悲鳴を上げていた。
肺が圧迫され、額から滴り落ちる汗が乾いた地面を濡らしていく。背中の汗のせいで隊服が身体にへばりつく。

「ちょっと休みましょう!」
「いえ、」
「三時のおやつがあるの」

まだ続けようとする私に、甘露寺さんは半ば強引に私を屋敷へ引っ張り上げた。力が強すぎる。
汗で気持ち悪いでしょう、着替えて待っててね、と甘露寺さんは私に着替えて部屋で待つように指示し、言われるがまま身体を拭いて着替えて甘露寺さんを待っていると、蜂蜜の匂いを漂わせた丸いふわふわしたものを持ち現れた。

「パンケーキよ!」
「パンケーキ?」
「うん、女子会にはパンケーキが付き物でしょう?」
「女子会?」

つらつらと聞きなれない単語を並べる甘露寺さんは持ってきたパンケーキとやらを机に置いて、切り込みを入れ私へあーん、と言いながら差し向けた。流されるように口を開くと口の中にふわふわとした食感が広がる。とろっとした蜂蜜がまた美味しさを引き立たせていた。

ちゃん、煉獄さんのことが好きなんでしょう」
「はい、とても……えっ!?ゴホッ、ゲホッ、!」
「ああ、お水お水!」

甘露寺さんの突拍子もない、けれど的を得た発言に喉を詰まらせた私は慌てて水を流し込む。
落ち着いた私は甘露寺さんを見ると、ふふふ、と顔に手をあて頬を綻ばせていた。

「やっぱりそうなのね~!そんな感じがしたのよお!」
「なんでわかったんですか……」
「見てればわかるわよお!ねえどんなところが好きなの?煉獄さん、私も素敵だと思うけど、私応援するわ!」

なんとなく、甘露寺さんがしたかった女子会というものの趣向がわかった気がする。恋のあれそれの話だ。
それでも、私は今までずっと胸の内に秘めていた思いを誰かに話すことはなかったから、つい嬉しくてぺらぺらと話しだしてしまった。
優しいところ、面倒見がいいところ、弟思いなところ、情に熱いところ、判断が早いところ、あげればキリがなかった。

「気持ちは伝えないの?」
「はい、いいんです。背中を追いかけているので精一杯なので」
「でも、それは隊士としてでしょう?恋にそういうのは関係ないと思うわ!」

話している中で、甘露寺さんは強い殿方を見つけるために鬼殺隊に入ったと、筋金入りの恋に生きる女性なのだということはわかった。ただ、甘露寺さんは強いから関係ない、と言えるけど、私が柱のような人と並ぶのなんておこがましくて。だからこそ、早く強くなって、少しでも私は師範に認められたいと思っているのだ。
拳を作る甘露寺さんにいえいえ、と首を横に振り、鍛錬に戻ります、と私は部屋を後にした。
一日でも早く、強くなりたい。近づきたい。師範のことが好きだからそう思って鍛錬に励むなんて、炎の呼吸よりも恋の呼吸が合っているはずだ、なんて納得してしまった。

「調子はどうだ!」
「、!」

あれから数日、じわじわと地面の照り返しに身を焦がしながらも庭で鍛錬を続けていれば、音もなく突然ふわりと隣に影が降りてきた。
久しぶりに聞いたその声に胸がどくりと跳ねる。

「師範!」
「順調か?」

炎がゆらめくような羽織を揺らして師範は私に問いかける。その声にひどく安心する自分がいた。

「はい、甘露寺さんから教えていただいた呼吸、とても身体に馴染む気がします」
「それはよかった。けど、休憩はしっかりとらないといけない」
「はい!」
「あまりしていないと聞いている」

声色は、少しだけ怒っているようだった。師範は、怒るときはしっかり怒る。優しく遠回しに怒ったりするような人ではない。
じ、と私を見つめる炎のような瞳から目を逸らしてしまった。

「早く、師範の元へ戻りたくて……」
「ああ、その件なのだが」
「その件?」
「君が俺のことを好きだという件だ」

さらりとそう話す師範に、私は理解が追いつかずに数秒の沈黙が訪れた。蝉の声がやけに耳に響く。
涼風が私の額にへばりついていた髪を揺らして、我に返った。

「ええ!?」
「判断が遅いな」
「いや、判断っていうか、え、え?」
「俺はのことを今までそういう風には見ていなかった」
「はあ、へ、」

狼狽えている私に師範は御構い無しに続けていく。しかも、私、振られた?また振られた?
おそらく、おそらくというか絶対にこのことを伝えたのは甘露寺さんであろう。密かにしていた恋心を知られてしまったこと、更には今この瞬間振られてしまったことにとうとう私は持っていた竹刀を地面に落とした。

「だから、休みがてらに今度、能を観にいこうか」
「……え?」

師範は私が落とした竹刀を拾って私に差し出しながらそう告げた。目をぱちぱちとさせながら、それを受け取れずに硬直してしまう。

「それは、何かの役に……?」
「君が休むことと、俺が君のことを知れる役に立つ」
「……」
「君がいなくなってから、何かが足りない気がしていた」

竹刀を受け取らない私に師範は私の手を取り、それを握らせる。
先ほどまで怒ったような素振りを見せていた声色も表情も一切なくて、困ったように眉を下げて笑っていた。

「早く戻ってきてほしいとは俺も思っていたんだ。でも、無理は良くない」
「はい、すみません……」
「その代わりに次の非番の日、君のことをもっと教えてくれないか」

師範はその大きな温かい手で私の頭を包み込むように撫でた。
どくどくと煩い心臓の音が師範まで聞こえてしまいそうだ。俯きながら、気の抜けた返事をすれば、楽しみだな、と穏やかな声が降ってきた。
これでは逆に、休憩なんてせずに刀を振り続けてしまうことになりそうだと頭を火照らせた。

つぎの夏がくるまでに