短編



未来を変えることができるのであれば、どれほど幸せなことなのだろうか。そんな願いも儚く、寿命というものは訪れる。

「私は、二十五歳までしか生きることができないようです」

隣に座る彼へ、初めて告げた私の寿命。
生まれた頃から心臓に疾患があり、物心ついた頃からそれまでと認識していた。だからか、怖いという感覚がなかった。それが当たり前なのだと。

「後何年だ」

日は沈みかけ、影が長く伸び辺りは橙色に染まっている。山道に無造作に設置してある椅子の座り心地は良くはない。ただそれ以上に、隣に実弥さんがいることが私の心を温かくさせた。

「七年ですね」

驚く素振りも特に見せず、実弥さんは私へ呟いたので、私も静かにそう答えた。
伸びた影を見つめながら、この場所で実弥さんに助けられたことを思い出した。それも、二度。
日が暮れたこの場所を歩いていた時、鬼に襲われた。逃げることもせずに、目の前の得体の知れない生物に瞳を閉じた。が、私が覚悟していたようなことは起こらなかった。瞼を上げると目の前の生物の頸は飛んでいて、“殺”の文字が視界に広がった。
助けられたのだと、やけに冷静であった私は瞬時に理解した。もうこの辺りに鬼はいないが早く帰れと、それだけ一言告げて、その人は私を横切りその場を後にした。

「……ふっ」

死ねるかと思ったのだ、私は。そして、案外死ぬことは怖くないのだと先ほどの一瞬で理解した。
二十五でこの世からいなくなってしまうのであれば、いつ死んでも変わらないのではないかと考えていた。生きる希望も夢もなかった私は、ここから見える丘から飛び降りようとした。否、勢いよく駆け出し、飛び降りたのだ。
死ぬ直前には走馬灯が見えると言われているが、私にそのようなものはなかった。多分、わざわざ死ぬ間際に思い出すような人生でもなかったからだ。
身体が宙に浮いている中で心の中では笑っていた。最初からいなくてもいい人間だったのだと、そう思ったのだ。

「おい!テメェッ!!」

地面に叩きつけられる衝撃もきっと一瞬で、私は楽になれるのだろう。生まれ変わるのであれば、もう少しだけ身体の強い人間として生まれることを祈った時だった。
先ほど私を助けた人の荒々しい声が聞こえた瞬間、横から身体をかき抱かれて、地面と布の擦り切れる音が耳になる。
身体に痛みはない。それどころか、人の温もりを感じる。
閉じていた瞼を上げれば、私はまたもこの白髪の人に助けられたのだと理解した。

「命を、無駄にすんじゃねェ」

低く唸るような声で私を叱責した。
折角、私を助けてくれたのに直後に命を落とそうとするなんて、確かに冒涜だと思った。
その日は私を家まで送り届けてくれたけど、小さく謝った私に、この人は何を思ったのか、私の生存確認の為かそれ以来私の前へ姿を現す様になった。
私に会いに来てくれるような人間がいることに、私は素直に嬉しくなって、実弥さんが会いに来てくれることが、私の生きる希望になっていた。
彼は、それを知っているだろうか。否、愚問だ。そんなことは勘のいい彼のことだ。気付いているはず。
余命を伝えた私に実弥さんはそうか、と小さく呟いた。

「最近、鬼の出現が減った」

特に、かける言葉なんてないのだろう。私も、変えられない未来をどうすることもできないし、なんとなく話してみただけだったのでそれでよかった。

「よかったですね」
「よくねェよ」

鬼殺隊のことは、詳しくは知らない。実弥さんも自分から話すような人ではなく、私も深く聞くようなことはしなかったからだ。私が踏み入れるような世界ではないことは、あの禍々しい生物を目にした時から思っていた。私には、知らない世界が沢山あるのだと。
実弥さんを横目で見れば、橙の光がそちら側から降り注ぎ、顔をよく見ることができない。
表情がわからない代わりに、実弥さんは口を開く。嵐の前の静けさ、ということらしい。今は隊士の訓練をしているけど、薄々みんな、そろそろだと気付いている、と。

「……死なないでくださいね」
「俺は死なねェ」

そっと、無造作に椅子に放り出されていた実弥さんの手を取った。この傷だらけの手で、一体何人もの人を助けてきたのだろうか。何人もの死に目を、見てきたのだろうか。
私に会いに来てくれていることだって、奇跡なのかもしれない。そんなことをこの人の前で口にしてしまえば、俺がやられるとでも思ってんのか、なんて言われてしまいそうなので言葉にはしないが。

「そもそも、お前には言われたくねェなァ」
「私だって死のうとなんてもう思ってませんよ」

実弥さんは私が重ねた手を優しく振りほどいてから、私の手を包み込んだ。相変わらず、眩しさと逆光で表情は見えない。あえて、実弥さんはいつもそちら側に座っているのだろうか。

「貴方がいるから。だから、死なないでくださいね」

その腕に額をコツンと押し当てた。
貴方がいなければ、私に生きる希望などないのだ。いっそのこと、貴方がいなくなれば私は一緒に三途の川でもなんでも渡りたい。百年先も二百年先も一緒に、永遠を過ごしていきたい。
二十五までしか生きることができない私が、そんなことを思う初めての人だった。

それから、実弥さんが次に現れる前だった。ほんの噂で、鬼はもう絶滅したのだと、鬼殺隊は解散したのだと聞いた。
家柄、使用されていない部屋がいくつもある大きい屋敷に住んでいた私は、だったら毎日のように会えるのだと少しだけ期待をしていた。
全てが終わった後に屋敷へこっそりと現れた実弥さんは、咳をしていた。風邪ですか、と聞けばそんなやわじゃねえ、だなんて強がっていた。

「お揃いですね、私と」
「だからそういうのじゃねェっつってんだろ」

縁側に腰をかけて、二人で月を見上げた。激しく動いたりすると、発作が起きてしまうから、こうして穏やかに過ごすことしかできなかったけど、この人さえいてくれたらそれでよかったのだ。他に何も望むこともない。
生きて帰ってきてくれたのだ。それでよかった。

「お前の気持ちが、今ならわかるわ」
「?」
「何でもねェよ」

月夜に溶けた実弥さんの言葉の真意は、私にはずっとわからないままだった。

それから暫くして、私にある知らせが届いた。正直、何の意味があるのかと聞かされた直後は思ったけど、どうにもこの家に血縁者が残らないことなど言語道断のようで、私へ縁談の話が舞い降りたのだ。
実弥さんに出会う前でなければ、きっと何を思うこともなく言われた通りに過ごしていたのだろう。
私にそういう話が持ちかけられたことを知ったら実弥さんは、どう思うだろうか。私を連れ出しては、くれないだろうか。

「私、結婚しなくてはいけないらしいです。子が産める内に」
「……そうか」

月を見上げながら、実弥さんは私が寿命を伝えた時のように小さく呟いた。
鬼殺隊での日々が終わってからも私に会いに来てくれてはいるが、特に変わったことはない。もしかしたら、言葉では強気でいようとも、自分はいつ命を落としてもおかしくはないと悟っていたから私に手を差し伸べなかったのかと、そう思っていたのに。実弥さんは私へ手を伸ばしてはくれなそうだ。

「家族はいいもんだ」
「……私、実弥さんがいいです」

家柄とか、そういうのは関係なく、私は実弥さんがいいのだ。貴方が傍にいてくれるだけで、それでいいのだ。実弥さんと出会ってからの色褪せない思い出は、これからもそうしていきたい。
実弥さんは私の頭に手を置き、優しく撫でた。初めて、実弥さんは私へ笑いかけた気がした。哀しい笑顔だった。

それから、実弥さんは私の前へパッタリと姿を見せなくなった。
私は私で、結局この身体で子を産むこともできずに、腫れ物のように屋敷で扱われていた。
実弥さんがいたから私は生きる希望を見出していたのに、何もかも上手くいかずに、私の世界は褪せていった。それでも、いつか実弥さんはまた私の前に現れてくれるのではないかと、助けてくれるのではないかと淡い期待を抱いてしまっていた。
そんな気持ちで過ごし、もう何年も経った。
ゆっくり、ゆっくりと私は重い身体を動かしあの場所へ向かっていた。
あの頃から何も変わらずに、山道に設置されている椅子。そこへ腰掛け瞳を閉じると、実弥さんとの思い出が蘇ってくる。
土産だ、なんて言って簪をくれたりしたな、と口元を緩ませた。
閉じていた瞼を上げると、温もりに包まれた様な穏やかな橙の世界だった。
隣に誰かが座ったような気配がして、そちらへ目を向けた。

「……お亡くなりになったのかと」
「勝手に殺すなァ」

懐かしい声だった。もう随分と会っていないその声に胸の中がいっぱいになった。やっぱり、私には貴方しかいないのだ。
今日も、その人の表情は夕暮れのおかげで影ができている。

「死なねェって言っただろ」
「そういえば、そうでしたね」
「お前が寂しそうにしてるから来てやったんだ」

全てが終わるであろう日が近づいて来る日、死なないと、そう話していた。その通り、この人は生きて帰ってきた。
今日もまた、あの時と同じようだった。

「もういなくなりませんか?」
「……あァ、嫌だと言っても傍にいる」

その言葉に安心して、私は実弥さんに寄りかかり、もう一度瞳を閉じた。
一体どんな顔をしているのかはきっと、もうすぐわかるだろう。

奇跡の代わりに