短編



夏休みといえば学生にとってそれは楽園で。天国で。朝早くに叩き起こされることもなければ、明日のことを気にしてもう寝ないと、と布団に入る必要もない。なんならスマホを弄っていれば朝になる時だってある。部活に入っていない私は一年の時、これでもかと言うほど休みを謳歌していた。
けれど、二年になって変わったことがある。数学の教師だ。

「鬼では……」
「誰が鬼だァ」

衣替えもすっかり終わって季節は夏。じりじりと太陽の熱を浴びるアスファルトの照り返しに登校することさえ億劫な私の一番の学校の楽しみは、その数学の教師、実弥先生だった。
もうすぐ夏休みが始まる。そんな中で私は若干の冷房を効かせる教室で汗水垂らして鬼の数学問題集と格闘していた。

「いや、だって量がえげつないですよ。他のみんな終わらせて帰っちゃったし」
「赤点取るテメエのせいだろォ」
「あ、みんな空気を読んでくれたのか!」
「話聞けェ!」

とても優しく、頭を丸めた教科書でぽかんと叩かれた。全然痛くない。先生は女子にとても優しい。口は悪いけど。
前にテストで90点以上取れたら一緒にご飯を行ってくれるという約束をした。二人きりではないけど。けれどどうにかこうにかして二人きりにすることは考えていたので問題ない。だからその為にいつも以上に、人生で一番と言っても過言ではないほどに数字と睨めっこしたのに結果、なんと赤点。そして補習という事態に陥ってしまったのだ。

「でも解答欄ズレちゃってただけだからおまけで採点してくれたらよかったのにな…先生も私とご飯行きたかったですよね?ね?」
「入試じゃそんなもんありえねェぞ」
「先生…」
「なんだァ」
「やっぱり先生、私のこと考えて愛してくれているんですね…!!」
「黙って続けろォ」
「はい」

しん、と教室が静まり返る。私としては二人で入れるのはとても嬉しいのだけれどこれを終わらせるまで会話は一切許されなそうだ。最後の一人になった時しめしめとか思ってしまった自分を殴りたい。早く終わらせて先生がこの教室から出てくるのを待ち伏せたほうがまだよかったかも。
カチカチと秒針が時間を刻む音とシャーペンの音、先生がパソコンで何やらカタカタ操作している音だけが教室に響く。夏休みの課題でも作っているのかな。そんなのいらない…って言ったら怒るな、絶対。

「先生」
「……」
「そんな怪しい目で見ないでください、わからないところがあるんです!」

呼べばパソコンの画面から私に視線を移した先生。めちゃくちゃ怪しまれていた。私だってしっかり進めてますからね。量が多いだけで問題自体は勉強してたから解けるものが多かったし。
どこだ、と立ち上がって私が座る席の側まで歩み寄る。

「ここです」
「ふざけてんのか」
「大真面目です」
「真面目な奴がやることじゃねェ」
「先生が好きな人なら真面目にやることです!」

シャーペンでとんとん、とその箇所を差した。補修の問題をすべて終わらせて私はプリントの余白に新たな問いを作ったのだ。私がわからないのは、先生の好きなタイプ。

「予習しておきます」
「何のだ」
「先生を落とす!」
、お前は本来なら成績はいいはずなんだがそういうところがテストにもでちまうんだ」
「先生、先生は本来なら優しいはずなのにそうやって口が悪いからみんなに恐れられちゃうんです。でも先生のいいところは私が知ってます、卒業したら、ってああ!」

何枚も重ねられた問題用紙を私から奪う先生。そうやっていつもいつも私の気持ちを無視する。もっと私も早く生まれて先生と高校生活を送りたかった。寂しい。夏休みが始まったら一ヶ月以上も会えなくなってしまう。学校めんどくさいなんて思っていたの生活が先生のおかげで楽しみになったのに。先生が教卓に戻る背中を見てふとそんなことを思ってしまった。

「先生」
「荷物整理しろ、出るぞ」
「夏休みも会いたいです」
「……」
「好きな人と会えないって辛いんですよ?私もっと先生に近付きたいのにそれどころか離れていっちゃう」

若干、不貞腐れながら荷物を纏めた。冷房を切る音が聞こえる。先生にはわからないだろうけど、私の人生は先生で左右されているといってもおかしくないのだ。三年生になっても絶対数学はとろうと思っているし。

「夏休みだけじゃなくて、本当は土日だって会いたいし何なら放課後一緒にいたいし、毎日一緒にいたいんです。いつか卒業しても絶対毎日会いに行きます」

きっと、私の恋は年上に憧れているだけだとかそう思っているんだろう。小さい頃、お父さんや近所の仲良しのお兄ちゃんと結婚するとか言ってたようなものと同類だと思われている。そうじゃないのに。
出ろ、と教室から出ることを促されて並べられた机の間を通り先生の後に続く。また無視だ。

「寄り道しねェで帰れよ」
「そんなに子供じゃないです」
「高校生なんて子供だろォ」
「……」

昇降口に着いて、先生は私にそう告げた。外は日が沈みかけてほんのり薄暗かった。このまま真っ暗になればまたこんな時間に一人で何してんだって家まで送ってくれるのかな。でもそれは、私をこうして子供と見なしているからだ。恋愛どうこうという話ではない。

「……か」
「あァ?」
「先生のばーーーか!分からず屋!!変態!!すけべ!!男前!!!」
「おい、」
「さようなら!!」

ありったけの想いを込めて声を張り上げて逃げるように走った。いいんです、今は私のことそういう風に見てくれなくても、沢山勉強して好きになってもらって、毎日一緒にいれるように努力しますから。だから、

「私が落とすんで!彼女作らないでくださいよー!!」

校門まで走ったところで振り返り、昇降口で私の姿を追っていた先生に叫んだ。周りに何人か生徒がいたけど知るもんか、と私は再び走った。少しスッキリした。


さん、これ」

次の日、朝のホームルームが終わってすぐに担任経由で数学の補習プリントを渡された。返却されるものだったのか…と、ペラペラ捲っていると一番下にあったプリントのある部分が目に飛び込んできた。

「……!!」

数秒固まってから、私は教室を飛び出て不死川先生の元へ向かった。途中、廊下を走るなと冨岡先生の声が聞こえたような気がした。


【問.先生の好きな女性のタイプは】
【答.いつか卒業しても毎日会いにきそうな奴(例え!)】

ななめくらいがちょうどいい


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