“プロポーズ されない”
“同棲 プロポーズ 目安”
彼女であるが寝室で規則正しい寝息を立てる中、不死川実弥はリビングルームに置かれたパソコンの検索履歴に並べられたその言葉を発見し、頭を抱えていた。
(人に貸すときくらい消しとけよ…)
普段は自身のパソコンを使うことが多く、動画が見たいといつしかの誕生日に送ったこのピンク色のパソコンを実弥が使うことはほぼないのだが、不運にもこの年度末の忙しい時期に故障し、修理に出しているがその間のパソコンを借りることにしていた。
が、まさか期末テストの問題を作る中で調べ物をしようと検索窓を開けばそんな言葉が飛び出てくるとは思いもよらなかった。
しかし同時に自身のパソコンが故障したことに有り難みも感じていた。普段、全くそんな素振りを見せておらず、むしろ実弥の方こそタイミングを見計らっていたところだったのだ。
(これはいただけねェが……)
検索履歴に続く言葉には、”彼氏 身体目当て”と誠に心外である言葉も並べられていた。複雑な思いを胸の中に秘め、実弥は機械に疎い彼女を恨めしく思いながら、作業を終わらせパソコンの電源を落とした。
次の日、実弥が職員室を出るのは最後から二番目だった。時刻は峠を越えそうであったが年度末となれば自身の他にも残る人間は多くなる。お先、と職員室を後にし駐車場までの道筋で携帯を確認する。
―ご飯食べて金ロー見てます―
―デザートは一緒に食べたいです―
数時間前に入っていた連絡に、今更ではあったが一応返事をして実弥は先週のことを思い出す。に『来週は私が好きな映画だ』と聞かされていたことを。
車を走らせ、ポツポツと寂しげな街灯が灯る見慣れた道を抜け、家に着くのはまたしても深夜であった。マンションの部屋を見上げると、灯りは点いたまま。エレベーターに乗りボタンを押し、その間にコートのポケットから鍵を取り出す。チラシが溢れ出そうな扉やセールスお断りとステッカーが貼られている扉の前を横切り、特に個性は出していない扉の鍵を開け、中へ入った。
「遅くなった」
「……」
「おい」
「うわっ!い、いきなり背後に立たないで!」
扉を開けたことにも気付かずに、は声をかけた実弥に大げさに肩を震わせパソコンの画面を勢いよく閉じていた。
実弥は気付いていた。今日もせっせとがそのパソコンでネットの声を聞いていたことを。しかし、履歴を消せ、とはなんとなく言い難かったのだ。言ってしまえば必然とその話題になる。しかし実弥は実弥で胸の内に秘めていることもあった。
「おかえりなさい、残業続きですね」
「年度末だからなァ」
夕飯というほどの食事ではないが、忙しい時期は学校で食べ家では寝るだけの毎日となっていた。実弥がローテーブルの前に腰を下ろし、はコーヒーを淹れお揃いのマグカップに注ぐ。
「蜜璃からもらったパウンドケーキ、今日までなの」
そう話しながら、は均等に切られたパウンドケーキが乗るお皿をコト、とローテーブルに乗せた。
彼女が敬語混じりである由縁は元は実弥の大学の後輩であったからだ。
実弥の彼女の第一印象は”可愛くねェ女”だった。それもその筈、部活にしたいから名前だけでも入ってくれと言われて入ったサークルで二つ下の学年の入学式の日、手伝ってくれと頼まれ気怠げに入学式でビラを配っていたら言葉通り『気怠げにやるのがかっこいいと思ってるんですか?合唱コンクールで歌いたくない中二男子みたいですね』とビラを渡した女に言われた。それがだったのだ。
癪に障り、嫌いなタイプだと思っていたがどういうわけか今はこうして同棲する仲となっている。
しかし今のに出会いたての頃のような威勢はなくなり、最近では実弥に遠慮すら見えるような言動が増えていた。
だからこそ、実弥は検索履歴の言葉を見て安堵したのではあったが。
「実弥さん」
最近は帰りが遅い実弥のおかげで二人が同じ時間に寝静まることはめっきりだった。その為、今日のような明日が休みで時間を気にせず二人で過ごせる夜は貴重であった。
柔らかい布団に包まれる中、隣で横になるが実弥を呼ぶ。その声に応えるように、実弥はへ口付けを落とした。いつもなら、そのままの流れで進めるのだが、の服に手をかけ弄ったところで頭に過ってしまったあの言葉。
(身体目的……)
「……?」
不意に手が止まった実弥には瞳を揺らす。途端にする気がおきなくなってしまった実弥は手を引っ込め、その日の夜、貴重な時間を無駄にすることとなった。
▼
「ついに女としても見られなくなったのかもしれない」
一方で、はなりに悩んでいた。昔からの友人である甘露寺蜜璃はのよき相談相手だった。しかしながら、蜜璃はに絶妙なアドバイスを与えるというよりは、典型的な共感型タイプであったが、はそれでよかったのだ。
自身の仕事終わりに相談したいことがあると蜜璃を呼び寄せ、ビュッフェ形式のカップルや女子会利用者の多い小洒落たレストランでグラスを傾けながらそう吐き捨てた。
「身体目的でもない私の存在って何……?」
オレンジの灯りが優しく灯る店内にはふさわしくない会話であったが、酔いも程よく回ってきたところで本題に入ったのだった。ワイングラスをテーブルに置き、片手で頭を抑えた。
はあの日、途中で止められ、求められなかったのがいやにショックであった。これはもう、別れを切り出されるまで時間の問題なのではないかと。
「ちゃん……」
大量に並べられたお皿の料理を次々と空にしていきながら蜜璃はそんなを見て心配そうに眉を下げる。
「どの辺が結婚を迷う性格してるのかな、私…最近は”いい彼女”を意識してるんだけど……」
「そういう話はしないの?」
「いや、したとして、綺麗にかわされたとしたらそれはそれでショックじゃない?だから言えないよ…」
「そっかあ、確かにそうねえ」
同棲を始めてもう長いこと時が経とうとしている。にとっても周りの同級生からは結婚の知らせが届く時期であり、頃合いだと思ってるにも関わらず、そういった話を自分からすることはできなかったのだ。
「先月付き合った記念日にさ、なんかあるかな~と思ったんだけど、なかったし、私だけ毎度毎度記念日と誕生日にそういうことがないか意識してるみたいでさ、なんか…」
「なんか?」
「私のこと好きなのかなって」
言うなれば、は不貞腐れていたのだ。同棲してからの結婚ルートは人により、とはネットの声を聞いてわかってはいるものの、自身の中ではもう待っていられなかった。
「やっぱ、可愛くないから?」
が他人からよく言われる一言は、仏頂面だった。蜜璃とは真逆であり、実際実弥にも最初はそう思われていたくらいだ。
それでも付き合うことになればそんな自分を愛してくれていると思うのは当たり前のことだと思っていたが、当たり前ではないのかもしれないと、ここのところ感じていた。
蜜璃はそんなに、頬張っていたステーキを飲み込み、胸の前で拳を握った。
「大丈夫よ!」
「……」
「ちゃんは可愛いし、それに、いい身体してるわ!」
一体何が大丈夫であるのか、素っ頓狂な励ましにいつものであるならば一つ息を吐いていたところであったが、今はそれでよかった。
「ありがとう!すみませんワインください!」
お陰様で、ベロベロの泥酔状態のを迎えにきて欲しいと蜜璃から実弥に連絡があったのはつい先程のことだった。
「あ、野獣が来た~!」
放せば今にでもふらふらと一人でどこかへ行ってしまいそうなを蜜璃は押さえ込みながら、駅前に到着した実弥に向かい謝った。
「ごめんなさい、途中で止めたんですけど…」
「いや、いい…」
の酒癖が悪いことは知っていた。だがそれは実弥だけではなく本人も勿論把握していることだった。その為、こうまでして酔っているのには何かがあった印。その何かに気付いている実弥は蜜璃から子供と化したそれを受け取り、蜜璃は蜜璃で彼氏が迎えに来ているらしく、その背中を見送った。
「野獣さん野獣さん」
「誰が野獣だァ」
「顔怖いもん」
「おい」
駐車場までの道のり、ご機嫌では実弥の周りをちょこまかし、後ろから飛びかかった。
野獣というのは、この間一緒に見ることができなかった映画の話だった。昔から実弥に好きだと言っていたからわざわざ前週で伝えなくても、実弥の方こそ一緒に見たいとは思っていたのだ。
「真実の愛をくださーい」
「……子供か」
言いながら、実弥は飛び乗るをそのままおんぶした。は実弥の肩に腕を回し首元に顔を寄せる。
「そうです子供ですー、なので目一杯甘やかしてくださーい」
「……」
「無視はいけませんぞー」
普段のからは到底考えられないような言動であった。自分の気持ちを表に出さず、年下のくせには少し大人ぶっているところがあった。結婚に対し悩んでいることにも気付けなかった。むしろ、まだ考えていないと言われてしまえばどうしたものかと、いざそのものを用意しても情けなくも弱気でいたのだ。それが身体目的とまで考えさせてしまう原因になるとは思いもしていなかったが。
「寂しい」
先程とは程遠い、か細い声では実弥の耳元で呟いた。
「毎日会ってんだろォ」
「ねえねえ、ネイル変えたの、見て」
脈絡も無しには左手を真っ直ぐ前方へ伸ばし指を広げる。暗闇では全くわからなかったが、背負いながら歩いている中でその指先が街灯に照らされ色が映える。今朝まではその爪ではなかったから、蜜璃と会う前に変えたことが窺えた。
「一つだけ色違うでしょ」
伸ばした左手、薬指だけその色が違った。他は淡く落ち着いた一色でまとめられていたが、キラキラとその指先は主張をしていた。
「ギラついてんな」
「ラメラメしてるって言ってください」
「だっせェ」
「えーじゃあ、煌びやか」
上品になった?とは愉快そうに笑った。表情こそ実弥は見えないが、声色でわかった。
伸ばしていた左手を、は再び実弥へ絡みつくように回す。
「薬指に何もないの、寂しいなーって」
脈絡の無い話だと思っていたが、もしかするとはそこまで酔っていないのではないかと頭を過る。しかしそれに対し返事はせずに、駐車場に着き実弥はを降ろし後ろのドアを開けた。
「後ろで寝てろォ」
「……やだ隣がいい」
実弥が開けた扉を無視し、は助手席へ座り乱雑にシートベルトを締める。その様子に実弥は一つ心配事があったのだが、後部座席にの荷物を置き、運転席に座った。
エンジンをつけ、人通りの少ない、ほの暗い道を通り大通りに出る。恐らくその内眠りにつくだろうと見立てていたがにその様子はない。むしろはまだ実弥にちょっかいを出したく、赤信号で止まる度に頬をつついたりしていた。
「実弥さん、あなたは今、面倒臭いって思っているでしょう」
「わかってんならやめろォ」
「嫌でーす!」
きゃっきゃと相変わらず子供のように騒ぐに溜息を零した。この溜息は、そんな面倒臭いことをされているのにも関わらず悪くないと思っている自分への溜息だった。だがにはそんなことが伝わるはずもなく、心外だと勘違いしたは声を上げた。
「あれ、実弥さんおかしいですね、なんだか女の人の匂いがしますよ!」
「黙れ」
「浮気ですか!探偵事務所が浮気ちょ……」
「っおい!」
勿論の言葉は冗談であった。ただの子供のような悪戯心が働いただけであった。何も入っていないであろう助手席のグローブボックスを開けようとした手を実弥は必死になって止めた。は目をぱちくりさせながらもボックスにかけた手を引っ込めた。
実弥はといえば、後ろの車からクラクションが鳴らされ赤信号が青に変わったのに気付き車を発進させた。
しかし実弥がそんな行動をしてがそのままでいるわけもなく、は再びボックスに手をかけ開いたのだ。
「てめ……!」
「!」
もしかしたら本当に浮気をしているのか、疑惑を持ったはボックスから顔を覗かせた物に、酔いが冷めたような真剣な面持ちでそれを手にした。小さい箱だった。
(台無しだ…)
来るべき日に渡そうと思って忍ばせていたそれは、呆気なく見つかってしまった。
普段の彼女であれば人の車を無闇に探らないというやけに他人行儀なところも持ち合わせていたのだが、酔っ払いには通用しなかった。
「聞いてもいいですか?」
「あァ?」
「これ、誰に?」
見つけられたことに対し実弥は感情につのが出そうになったが、更に続けられた言葉に怒りを通り越して呆れそうになった。が、そう言わせてしまったのは己の所為でもあると実感していた。
箱は開けずに、は意味もなく耳元でその箱を振って音を確かめていた。固定されているのだから音がするわけはない。
「お前以外に誰がいんだよ」
「……」
静かに実弥が呟くと、はその箱をおもむろに開いた。開くなよ、と実弥は思わずにはいられなかったが、もうそのまま勝手にやらせることにした。
開けたそれには目を丸くさせた後、嬉々とした表情を見せる。
「薔薇だー……」
黒箱からに顔を出したそれは、薔薇の形をしたダイヤが煌びやかに輝く指輪だった。
子供が新しいおもちゃをもらってすぐの様に、も自身でその指輪をはめた。
「ギラついてる」
「もっと他の言い方ねェのかよ」
「……ラメラメしてる」
せめて上品な言い方の方にしてくれと実弥は思ったが、横目で捉えたが唇を噛み締めていて、その言葉を飲み込んだ。
寂しいと薬指の爪だけ輝かせていた指が更に華やかに彩られる。
「全然、考えてくれてないのかと思ってた……」
「あー……、来月しようと思ってたんだよ」
「来月?」
にとって、来月と言われたところで思い当たるような記念の日は何もなかった。年度末が忙しいからとりあえず来月にしておくか、と、考えたのかというくらいしか思い浮かばなかった。
「入学式。最初に会った日覚えてねェのかよ」
「……私に可愛くないって言った日だ」
「……いや、それは言ってねェよ」
「言ったよ。ボソって。心の声が漏れてたよ」
ここにきて、実弥にとって衝撃の事実であった。しかしだからこそは自分に自信が持てていなかったところもある。
可愛くないと言われ、それでも付き合うこととなれば中身を見てくれているのだろうが、結婚のけの字もない。
だったら身体の相性がいいからなのかと疑心暗鬼に陥っていたがそれさえも先日拒否され、飲まなくてはやっていられなかったのだ。
そんな心境の中、自分の好きなものをモチーフとした指輪が贈られることに涙が溢れ出ないわけはなかった。
「……それは悪かった」
「今はどうですか、野獣さん」
「はァ?」
「私のこと、どう思っていますか」
「…………美女」
「間が長い!」
涙を拭いながらも、は嬉しさが表情から溢れ出ていた。
話している内に、マンションの駐車場に到着し車を止めた。
「着いたぞ、降りろ」
実弥が車を降りるが、はいまだに助手席に座り自身で発掘した指輪を眺めている。その様子に実弥も自然と笑みが溢れるものの、助手席に周りドアを開けた。
「私、不死川の姓に入学します、今」
「寝て起きたら忘れてそうだなァ」
「いや、もう酔い結構冷めてます!……ああでも、忘れたフリをするかもしれない」
正直なところ、ベロベロに酔っ払っているのであれば忘れてほしいとも少なからず実弥は思っていた。後もう少しだけ待たせることにはなるが、こんなかっこのつかないプロポーズなんてするつもりはなかったのだ。悩む素振りを見せるに実弥は手を差し出した。
「お手をどーぞ、姫さんよォ」
一度固まり、招かれるようにはその手をとると身を引き寄せられた。
「愛してる」
薔薇は、普段口数が少ない実弥には都合がいいと思ってしまうような花言葉だった。耳元で囁く実弥には腕を回す。
不恰好なプロポーズになったものの、周りに人がいないのをいいことに、どちらからともなく真実の愛を確かめ合うのだった。
後日、実弥は素面のに包み隠さず検索履歴のことについて話せば、恥ずかしいや見るななどでもなく、一人だけ安心していたのは狡いと斜め上の叱責を受けた。
ツメの甘さに彩る華
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