短編



末期である。
私は惚れやすい性分なのだろうか、自分の失恋がわかってからまだ数ヶ月しか経っていないのに、気になる人ができてしまった。否、例えば単独任務に出た時や、反対にその人が蝶屋敷へ何日も帰ってこない時、事あるごとにその人のことを考えてしまっている時点で、それはもう気になる人ではなく好きな人、なのだろう。
ただ、その人は私だけではなく誰に対しても優しく包み込むような温かさを持ち合わせている人だった。

「あ、

アオイちゃんの手伝いを終えて屋敷の廊下を歩いていると、ガラッと入口の戸が開いて呼ばれた声にあからさまに肩を揺らしてしまった。
任務は入っていないはず。どこかへ行ってきたのだろうか、炭治郎は私の元まで歩み寄る。
心臓がどくりどくりと跳ねてしまうのは、やっぱり私がこの人のことを好きだからなのだと実感する。

「おかえりなさい。どこ行ってたの?」

炭治郎はよく、私の恋路を応援して背中を押してくれていた。私が振られる前だってそうだ。大丈夫だと私を肯定してくれたけど、私は結局、それほどの人間ではなかったのだ。
初めて泣き顔を見られた時から、炭治郎はずっと私のことを気にしてくれている。時折悲しそうに眉を下げるから、どうしたのと聞けばなんでもないよと返されてしまうのだけど、もし私が落ち込んでいるから炭治郎も心配してくれているのだったら、もう落ち込んではいない。恋が実らなかった苦しさよりも今は、炭治郎への想いが勝っていた。
あからさまに意識してしまっているのがバレないように、あくまでも平静を装った。

「宇髄さんのところへ」
「また?稽古?」
「あ、……うん」

一瞬目を泳がせてから、炭治郎は頷いた。
最近、炭治郎はよく宇髄さんのところへ出向いているようだった。気になって差し入れがてら宇髄さんの屋敷へ足を運んだ時、確かに稽古はしていたけど、私の存在に異様に驚かれたのだ。
来てはいけなかったのかと眉を寄せたけど、ありがとうと受け取ってくれたので深くは聞かなかった。炭治郎の後ろにいた宇髄さんの表情は気になったけど。

「そうだ、この前美味しそうな甘味処を見かけたんだ!一緒に行かないか?」
「え、……」
「あ、できたらで、いいんだが……、忙しそうだし、」
「……うん」
「……」

忙しくは、ない。蝶屋敷で療養している隊士も今は少ないし、時間ならある。
だけど炭治郎の誘いに乗る一歩は踏み出せなかった。
多分、いや、絶対に炭治郎は私に気を遣ってくれているだけ。あれだけ目の前で喚くように泣かれたら、炭治郎のような人が気にしない方が難しいというものだ。
遠回しに断ってから炭治郎に背を向けた。
優しくされると、また私は勘違いをしてしまう。そんな私の思いなんて迷惑の他になんでもない。そもそも失恋して数ヶ月で他の男の人へ意識が向いているなんて、人としてどうなのかとも自分で思ってしまう。
心配されないように、明るく振舞うしかないけど抑えられない気持ちは炭治郎を前にしてしまうと表に出てしまう。
吐き出した重たい溜息は冷たい廊下に消えていった。

蝶屋敷にいるよりも、こうして任務で一人外を歩いている時の方が私には都合が良かった。
会えば会うほど、私を気遣う炭治郎を意識してしまって態度に出てしまう。気付かれないようにするには極力炭治郎とは会わない方が良かった。

!」
「!」

しのぶさんに鴉経由で頼まれた薬剤を調達する為に、屋敷の近くの町をふらふらとしていた。すぐに調達して帰ればいいのに、帰りたくなかった。少しでも外にいたかった。
その理由は、炭治郎と会いたくなかったからなのに、どうしてかそれは叶わない。
声がした方へ振り向くと炭治郎は人混みを掻き分けて私の元まで駆けてきた。

「炭治郎」
「しのぶさんがそろそろ帰ってきてもいい頃なのにって言ってたから、心配で」

目の前の笑顔が私には苦しくなる。心配って、私はどこまで炭治郎にそういう眼差しを向けられないといけないのか。平気なように、振舞えていないのだろうか。

「もう頼まれてたものは買ったのか?」
「まだ……」
「付き合うよ、一緒に帰ろう」
「大丈夫。すぐ帰るって伝えておいて」

できる限り、精一杯の笑みを作ったつもりだった。
背を向けることすら心苦しさを感じているのに、そうすることしかできない自分が嫌になった。
折角迎えに来てくれたのに、冷たくしてしまっただろうか。でも、炭治郎には炭治郎のやるべきことだってあるはず。私に構っている時間なんて、本当はないはずなのだ。
薄暗くなって、町の通りに並ぶお店がもうじき閉まってしまう頃に漸く頼まれていたものを手にして足取り重く歩いていた。

「……、」

そのまま町の端、山道へ向かっていると、見慣れた模様が視界に映る。思わず立ち止まって、微妙な距離感が生まれたままその人を見据えて立ち竦んでいると目が合ってしまった。
木の根元で、幼くなっている禰豆子ちゃんと戯れていたらしい炭治郎は眉を下げて微笑んだ。

「ごめん、勝手に待ってて」

禰豆子ちゃんと手を繋ぎながら、炭治郎はその場から動かない私へ歩み寄る。
さっき、背を向けてしまったことに罪悪感が押し寄せた。

「帰ろう」

今度こそ、と諭すように炭治郎は私の手にそっと禰豆子ちゃんと繋いでる逆の手を重ねた。
手が触れているだけなのに、身体中が芯から熱くなってくる。じわじわと胸の奥から熱が広がって、息が詰まる。

「炭治郎」
「うん、」
「あの、もう大丈夫だから」

脈打つ心臓も、体温も息遣いも、全てが気付かれたくないと控えめにその手を振り払って一歩距離を置いた。
すぐに勘違いして舞い上がって、あんな能天気で馬鹿みたいなこと、もう二度としたくない。

「あんまり、そうやって私に優しくしすぎない方がいいよ」

こうやって作り出す私の笑顔は、下手くそなのだろうか。もっと上手く隠せたらいいのに。それなら炭治郎だって、こうして時間を割いて私を心配することだってなくなるから。

「……するよ」
「もう大丈夫だよ。何ヶ月経ってると思ってるの」
「違うんだ」

一度離した距離を炭治郎は詰めて、もう一度、今度は強く私の手を握った。
掴まれた手から炭治郎へ視線を移すと、何かに締め付けられているような面持ちを浮かべていた。
その瞳から、囚われたように逃れることができない。

「勘違いだったらと思うと、怖くて言えないままだったんだけど……」
「……」
「俺に、その……」

私はその瞳から目が放せずにいたのに、反対に炭治郎が何かを言い澱みながらその視線を泳がせる。
頬のほんのりと赤く染めて、意を決したように再び目を合わせた。

は俺のこと、好きでいてくれてるよな」

はっきりと告げられた言葉を一瞬で理解することができなかった。瞬きを繰り返してから、徐々に炭治郎がハッキリと目の前で口にしたことに、顔に熱が走っていくのを感じていた。

「え、あ、」
「でも、それは失恋した女性が他の男に惹かれているだけかもしれないって。それがたまたま今は俺なだけかもしれないって」
「……」
「宇髄さんに相談してたんだ」
「……」
からは好意の匂いに混ざって悲しい匂いも混ざってるし、」
「え?ちょっと待って?」

声も手の力も、弱々しくなっていく炭治郎くんに口をまごつかせ、ただその独白を聞いていることしかできずにいると、途中炭治郎の口から発せられた事実を無視してしまうところだった。
止めた私に炭治郎は口を噤む。

「なに、相談してるの」
「……?わからないことは相談するだろう?」

当然だとばかりに首を傾げる炭治郎にふるふると首を横に振って髪の毛を揺らした。

「いやいやいや、だって私、」
「俺の勘違いかもしれないし、だから大人に聞いてみるのがいいと思って、」
「勘違いじゃないよ!……あ、」

勢いのままに流れで口にしてしまったことを後悔した。やっぱり私は、こうした色恋沙汰が得意ではないらしい。
炭治郎が相談したって、それはつまり、自分に好意を向けられているが心配をしているだけだからどうしたものか、と、そういうことなのだろう。
隠せてなかったことも、困らせてしまっていたことへも胸が苦しくて、痛かった。
唇を噛み締めてから俯いた。また振られてしまう。勘違いでないと分かれば、きっと炭治郎は余計な期待はさせまいとハッキリと自分にその気はないと断るような人だろう。

「……勘違いじゃないのか?」
「……うん」
「じゃあ、どうして悲しんでたんだ」
「……そんなの、炭治郎は私のこと好きじゃないからってわかってるからだよ」

視界が段々と滲んできたけどもう、私の失恋に胸を貸してくれる人なんていないだろう。声に出して、一層胸の中が毒されていく気がした。
だからもう、優しくしないでほしい。

「そういうことか」
「っ、」

振り解こうとした手は、私がそうする前に放れ、その代わりに温かさに包まれた。
背中に手を回され、私が数ヶ月前に振られた時のようだった。自ら胸を貸してくれるのかと困惑していると、炭治郎は私の肩口で呟いた。

「俺、ずっと前から君のことが好きだよ。本当に、ずっと前から」

掠れた鼻声に、『ずっと前』というのがいつからなのかが憶測できて、嬉しいはずなのに謝りたい思いでいっぱいだった。
私も腕を回せば、炭治郎は喜んでくれるだろうか。
深く開いた溝を埋めるように、私も炭治郎へ同じように腕を回せば、もう逃がさないとばかりに、あの日の夜よりもきつく抱き締められた。

あの夜はもういらない