短編



「あ!」

師範である蜜璃さんは、色恋沙汰に目が無い。鬼殺隊に入った理由を聞いた時は唖然としてしまったけど、それでもこの人の下にいるおかげで常日頃から殺伐とした世界に身を置いている気分になったりはしなかった。
今だってそうだ。無事に任務を終え、藤の家から帰路に就くための列車に乗り込んだところで、夜明けに鬼の頸を斬ってきましたとは思い難い年相応の愉しそうな声を上げる。

「どうしたんですか?」
「両思い切符だったわ!これ」

ガタゴトと揺れる列車の中。頬に手を当てながら瞳を輝かせ手元を見ている蜜璃さんに問いかければ、ふふ、と微笑みながら私へ手にしていた切符を見せた。

「両思い切符?」
「そうよ!ほら、四桁の数字の最初と最後が同じ数字でしょう?これはね、その間の数字が好きな人との両思いの可能性を示してるのよ」

蜜璃さんが私の前に差し出した切符には、確かに最初と最後に同じ数字のものが印字されていた。間の数字がなかなかに高い数字だから、今蜜璃さんはなおのこと嬉々としているのだろうか。
開いている窓から涼やかな風が乗ってきて蜜璃さんの髪がふわっと揺れている。飛ばされないように、これは大事に持っておこう、と、口元を緩ませる蜜璃さんが年上であって、師範であるはずなのに可愛いと思ってしまった。
両思い切符、初めて聞いたけど蜜璃さんはそういう情報をどこから仕入れてくるのだろうか。鬼殺隊に入る前に、同い年くらいの子達と沢山そういう話をしていたのだろうか。色々思うところはあったけど、両思い切符だと蜜璃さんが言葉にした時からそれは全て頭の隅に追いやられて、密かに想いを寄せている人のことを思い描いていた。
ふんふん、と窓際で鼻歌を歌っている蜜璃さんを尻目に、そういえば私の切符はどうだったかな、と懐にしまった切符を取り出し確かめて見た。

「……一」
「一?」
「あ、いえなんでも」

自分が買った切符が両思い切符であるかどうかでさえ可能性は低いから、ほんの好奇心だった。別に、きっと、迷信だし、でももし初めと終わりの数字が一緒だったら、どうだろうかとおみくじを引く感覚で見ただけだった。けれど、記されていた数字に絶望した。
私が買った切符も両思い切符であったのだけれど、真ん中の数字は一だった。縁結び神社で凶を引いたような感覚だ。……引いたことはないけど。
蜜璃さんにバレないよう、列車が次の駅で停まる為キキ……と高い音を鳴らせたのと同時に小さくため息を吐いた。
ただの数字にこうして左右されてしまうなんて未熟だ。そもそも、あの人は私のことなんてなんとも思っていない。ただの同期としか思っていなそうなのだから、この数字は間違いでもない。わかっていたことだ。ここで下手に99なんて出たら今以上に意識してしまう。あの人は妹の為に、家族の為に戦っているのだから、私の邪な思いなど邪魔になるだけだ。あの人がいつか近い未来で妹と笑って過ごせるよう、私も力になりたい。それでいいのだ。

「禰豆子!走ったら迷惑になるぞ!」

そう、大切な禰豆子ちゃんと一緒に、窓から見えるこの長閑な町で幸せに暮らし……、

「え?」
「むー!」
「あら!禰豆子ちゃん!」

列車が次の町に停まり、汽笛が響く音に混ざってトタトタと走ってくる音と、今の今まで頭の中で思い描いていた人の声が耳に鳴った。我に返って顔を上げると、小さい姿となった薄紅色が視界に映る。窓際に座る蜜璃さんの懐へ小さい体が飛び乗った。

「わあ!偶然ですね!」

蜜璃さんの膝の上で頭を撫でられている突如現れた禰豆子ちゃんに口を開いたままにしていると、頭上からその人の声が降ってきてどくりと心臓が跳ねる。
見上げれば、当然だけどそこには澄み渡った今日の空にとてもよく似合う炭治郎くんの笑顔があった。

「本当ねえ!この辺りで任務があったの?」
「はい!藤の家で三日くらい休ませてもらって……」

甘露寺さんのようにもっと強くなりたいです、と眉を下げる炭治郎くんを見つめていると、ぱちっと目が合う。そういえば、私は炭治郎くんから届いた手紙をまだ返していなかったことを思い出した。というか、私が返したらまたきっと返してくれるから、迷惑になるだろうと思って控えていた。

「久しぶりだな!」
「うん……」

眩しい笑顔につい顔を逸らしてしまった。逸らした先の町の景色が漸く動き出す。座って座って、と蜜璃さんが禰豆子ちゃんの頬をもちもちと撫でながら炭治郎くんに促した。
目の前に座る炭治郎くんに若干の気まずさを覚えつつ、これはあまりいい態度ではないからなんとか平静を装わねばと深呼吸をした。
ガタゴトと心地の良い揺れと、外から香る菜の花畑の匂い。それから蜜璃さんと禰豆子ちゃんが戯れている声。全てが穏やかに感じるはずが、そばに炭治郎くんがいるだけで私の心は忙しなくなってしまう。

「……何か、」
「!」
「ありました?」

窓の向こうではきっと花畑が広がっているはずが、私の視線はずっと足元だった。そんな私を不審に思ったのか、目の前から勘ぐるような声が聞こえてきて肩を揺らす。けれど、自意識過剰に過ぎなかった。顔を上げた先の炭治郎くんは私ではなく、その赤い瞳を蜜璃さんの方へ向けている。どこまで私は意識してしまっているのだと、自分を殴りたくなる。そうだ、私の両思い成熟度なんて一なのだから、欠片もないのだから、いい加減吹っ切れたい。

「私?わかる!?」
「はい、なんだかいつもより柔らかい匂いがするなって」
「……そうなの!私ね、今日いいことあったのよ〜!」

炭治郎くんに言い当てられ、輝かせている目はさっきと同じだ。今日あった蜜璃さんのいいこと。それは、あの切符しかない。
その通り、蜜璃さんは一度禰豆子ちゃんを炭治郎くんの隣へ座らせ、嬉々として先ほど大事にしまったばかりの切符を炭治郎くんへ見せた。

「切符?」
「そう!これね、両思い切符なの!」

頬に手を当てながら、さっき私へした説明と同じように炭治郎くんへ教えている。へえ……、とすごく真剣そうに聞いているのがとても意外に感じる。そういうのに興味があるような人には見えないけれど。それとも単純に、自分の知らないことを知れた探究心だろうか。きっと後者だ。

「いつかね、この人!って思った人ときっと、この数字が私のことを後押ししてくれると思うから、大事にとっておくの」

頬を綻ばせながら話す蜜璃さん。さっきも思ったけれど、やっぱり可愛い。そんな数字がなくたって、とっても素敵な女性なのに。でも、自分に自信がない時にちょっとしたことでそれが勇気になる、というのはわかる気がする。だからこそ、私もこの数字に捉われてしまっているのだ。悪い数字は見ないフリをする、強靭な精神が欲しかった。

「はあ〜、こういう話をしているとお腹空いてきちゃうわね!」
「あ、えっと、そうですね!」
「私、お弁当買ってくるわ!ちょっと待ってて!」

蜜璃さんに話を合わせたのだろうけど、空いてないのだろう。若干変な顔をしていたし。それでも、今は完全に自分の世界に入っている蜜璃さんにそんなことは見えないらしく、揚々と立ち上がり、少しつまらなそうにする禰豆子ちゃんを置いてお弁当を探し求めて行ってしまった。
一体いくつ買って戻ってくるのだろうか、そんなことを思いながら後ろ姿が見えなくなったところで気付いた。禰豆子ちゃんがいるとはいえ、ほぼ二人きりな状態になってしまったことを。おずおずと、蜜璃さんの去った後から炭治郎くんへと視線を移すと、和らげに笑いかけられてしまう。

の切符は、どうだった?」
「え、わ、私の切符?」
「うん」
「普通だよ、普通の」

まさか、その話を続けられるとは思っていなくて、あからさまに狼狽えてしまった。炭治郎くんから禰豆子ちゃんへ視線を下げると、くりっとした丸い瞳で首を傾げられていた。

「……両思い切符だったんだな!」
「!」
「数字は?俺も確か切符を買った時に、」
「興味ないの!」

匂いである程度のことが知られてしまうとはいえ、流石に禰豆子ちゃんですら疑問の眼差しを向けるくらいだ。気付かれないわけがなかった。けど、そんな数字に左右されているということも知られたくなくて、再び咄嗟に嘘を吐いてしまう。
元々この車両に私たち以外、誰もいなかったけれど急に声を張り上げてしまった分、静まり返った空間に居心地が悪くなる。

「……そっか、ごめん」

弱々しく呟かれた声に、胸が冷やっとした。悲しい思いをさせたかったわけじゃない。折角久しぶりに会えたから、本当は私も沢山話がしたいと思っていたのに、申し訳ないことをしてしまったと苛まれる。
見るからに萎れてしまった炭治郎くんへ、しまっていた切符を取り出し顔の前へ見せた。すると炭治郎くんの顔が控えめに持ち上がる。

「ごめんね。一だったの、だからその、あまり知られたくなくて……」
「……知られたくないって思うのは、両思いになりたい人がいるからか?」
「…………そう、だね」

列車の揺れる音よりも、自分の中の音が身体中に木霊する。どうしてそういうことを曖昧なままにしてくれないのだろう。限りなく小さく呟いて、腕を下ろした私に炭治郎くんは羽織の裏へと手を忍ばせた。それから私の目の前に、私と同じものを差し出した。その数字を見て、胸がずき、と痛くなる。

「す、すごいね。99だ」

たかが数字に過ぎないけれど、炭治郎くんのような人に相応しい数字だと思った。この人に想われて、嫌だと思う人なんていないだろう。むしろ喜んで、と手を取りたくなってしまうだろう。

「うん、でも、本当なのかなって思った。信じられなくて」
「そんなことないよ」
「でもその人、俺に手紙を返してくれないんだ。久しぶりに会っても俺のことを全然見てくれないし、もっと会って話したいって思ってるのに」
「へえ、そっか、そうなんだ……」

と、いうか、炭治郎くんにも好きな人がいることが今の言葉で確定になり、ズン、と頭が金槌で撃たれたような気分になる。手紙を出していたのだって、私だけではなかった。やっぱり私は返さなくて良かったと心底思った。好きだから、迷惑になることはしたくない。こうして、私の想いは塵のような可能性であることはわかっているから、仲間として話しているだけで良かった。

「……なあ、」
「うん?」
「この数字、全部貰ってくれないか?」

初恋は叶わないものだと誰かが言っていた。今日は屋敷に帰ったら、蜜璃さんにいっぱい慰めてもらおうと、せめて今だけは笑っていないとと下手くそであろう笑顔を見せれば、炭治郎くんの手が私の片手を握る。
手のひらに乗せられた切符に炭治郎くんを見れば、風に花札の耳飾りがカラコロと音を鳴らす。

「そうしたら、100になる」
「……いや、なんで、いいの、?」
「うん、多分、君が100になれば、俺も嬉しいから」

真っ直ぐ私に伝える炭治郎くんの手から、やけに全身に熱が回る気がした。
それは、炭治郎くんが優しいからと、それだけの理由では片付かない瞳をしているように見えた。都合のいい考えだろうか。でも、つまりそれって、炭治郎くんは私の気持ちに少なからず気付いていたというわけで。
もうすでにわかりきっていることかもしれない。でも、遠回しじゃ安心できない。都合よく捉えてぬか喜びして、落ち込みたくない。

「そ、それは、どういう、」
「お待たせ〜!!……って、あら?どうしたの?何かあった?」

ゴクリと唾を飲み込んで、真意を聞き出そうとした私と炭治郎くんの間に軽快に現れた蜜璃さんが私たちの様子に桜色の瞳をぱちくりとさせる。
手を急に放したおかげで私の手の平に乗せられていた切符は足元へと落ちた。

「あら?炭治郎くんの切符?」
「あ、はい、」
「いえ!私のです!」

ひらひらと舞うように落ちた切符を炭治郎くんが拾うより先に私が掬い上げた。そのまま、さっきの蜜璃さんのように私も手放したくないものとして懐へとしまい込んだ。

「車掌さんに切符を見せなきゃいけないから、なくしちゃダメよ」

さあ、みんなで食べましょう、とお弁当を私たちへ手渡す蜜璃さんの傍、私がこの切符を持っていたら炭治郎くんが車掌さんに見せる切符がなくなってしまうと、躊躇いがちにちら、と炭治郎くんを見た。視線の先のその人は、耳飾りを揺らしながらくしゃりと私へ笑いかけた。
……まずは、私が、手紙を返すところからもう一度始めてみよう。

片道切符が揃ったら