短編



願わくば、貴方がその瞳に映す世界で一番でありたい。

「ねえ、どう、可愛いかな……」

今日は非番の日だった。とはいえ、何があるかはわからないのであまり遠くへいけない。けれども、奇跡的に私の想い人である炭治郎くんと非番の日が被って、こんな日は滅多に訪れないと意を決して町に行かないかと誘ったら、快く頷いてくれた。勿論、みんなにお団子を買ってこようという建前を使って。
隊服ではなく着物を身に纏い、ほんのり化粧を施し髪も纏める。どこか変な箇所がないかと蝶屋敷の入り口でどんよりとした空気を醸し出しながら任務へ向かおうとする善逸へ尋ねてみた。

「ん?ああ……うん、いいと思うよ」

私に振り返る善逸は生気のない顔だった。本当にそう思ってくれているのか不安になるけど、今聞いてしまった私が間違いだった。
善逸とは師範の下、一緒に鍛錬をしていた仲だった。同じ時期で稽古を始め、選別へも一緒に行き、ほぼ同じ任務をこなしていた。最近は別々なことも多くなってきたけど、それでもしのぶさんの下でお世話になっているから疎遠になることはなく、私としては、本人は気付いていないけど戦ったら強いし、兄のように慕っていた。それは善逸もおそらく同じで、女の子に目がないこの人だけど私にはそういう素振りは一切見せない。

「大丈夫?帰ったらお団子用意して待ってるから」
「ありがとう。ついでに禰豆子ちゃんと二人っきりにしてくれると尚更帰りが楽しみになるよ」
「わ、わかった……」
「それだとも炭治郎と二人になれるだろう?」

その名前を出されると、胸がどきりと跳ねてしまう。善逸は知っているのだ。私が炭治郎くんのことを好きなのが。音でそれはわかると思うけど、私が素直に善逸に相談したのもある。
善逸は草鞋の紐を結びながらくぐもった声で呟き始めた。

「あいついつもいつも禰豆子ちゃん独り占めしやがって……」
「兄妹だからね」
「俺に任せてくれてもいいと思うの!俺がを炭治郎に任せられるように、」
「俺がなんだって?」
「!!」

不意に後ろから聞こえた声に一瞬呼吸を忘れて固まった。振り返ると、その声の主は愛しい妹と手を繋ぎながら首を傾げてこちらを見ていた。
いつからそこにいたの、そして善逸は気付いてなかったの、色んな思いで心臓がばくばくと煩くなる。

「だから~、炭治郎に……」
「言わないでって言ってるでしょう!ほらほらいってらっしゃい!絶対帰ってきてね!」

わざとなのか、善逸は私が炭治郎くんと二人でいるときにいつも私の気持ちを仄めかすようなことを口走る。
善逸は炭治郎くんと、私よりも仲がいいから(男同士であることもきっと関係している)私が言わないでと口止めしない限りは絶対に話してしまうだろうと思って釘を刺している。もう、本当に心臓に悪いから遊ぶようなことはやめてほしい。
炭治郎くんには私にそういう気がないのは見ててわかるから、私が一方的に好きで、私が絶対に生きて帰るという理由の一つで。そういう存在なだけでいいのだ、私は。
一番になれないことなんてわかっている。炭治郎くんが大事にしている家族の中に仲間入りだなんて、そんな恐れ多いことを。
善逸の背中を押して、任務へと送り出す。ふう、と一息吐いて再び炭治郎くんを見ると眉を下げながらこちらを見て笑っていた。

「相変わらず仲良しだな」
「……うん」

目尻を下げる炭治郎くんを、禰豆子ちゃんは首を傾げて見上げていた。
改めてちゃんと見ると、炭治郎くんも羽織はそのままだけど隊服ではなくて、これで町を歩けばなんだか忘れかけていた日常を堪能できそうだと思った。
町に行く間、鼻歌を歌う禰豆子ちゃんを二人で手を繋いで挟んで歩いた。話すことといえば、それは鬼殺隊の話になってしまうけど、義勇さんと文通をしていることや不死川さんがおはぎが好きだということとか、私が知らないことを炭治郎くんは沢山知っていた。
誰とでも仲良くなれてしまう炭治郎くんのことを好きになるのは、必然のような気がした。

「禰豆子!あまり遠くへ行くなよ」

町へ降りて、甘味屋や道端での紙芝居など、久しぶりに”普通”な日を過ごした。炭治郎くんと一緒なことも相まって、きっと、いや絶対、一生忘れられない日になる。
色々と散策をしている中で日も落ちてきて、名残惜しいけどお団子も買ってそろそろ蝶屋敷へ戻ろうとしていた時。禰豆子ちゃんが一人でにトタトタと走って行ってしまった。気になるものがあったのだろうか、けれど禰豆子ちゃんは炭治郎くんの声に反応してピタリと止まり、戻ってくる。
炭治郎くんは駆けてきた禰豆子ちゃんへ頭を撫でてから抱え上げた。心地よさそうにしている姿がとても可愛らしくて頬が綻んでしまう。

「箱の中よりそっちの方が好きそうだね」

その様子を見ながら、私も炭治郎くんの腕の中にいる禰豆子ちゃんの頭を撫でた。目を閉じて素直に撫でられている姿に母性本能がくすぐられてしまう。もっとしたくなってしまうけど炭治郎くんが私を見てくしゃりと笑ったので、つい手を止めてしまった。そんな風に見られると、どんどんあなたに恋い焦がれてしまう。

「ねー!」

手を止めたことに反応したのか、禰豆子ちゃんを見ればそうではなかった。炭治郎くんの羽織を掴み、何かを訴えるように先ほど駆けて行った方を指差していた。
何かあるのかと禰豆子ちゃんが言うままにそちらへ足を運べば、食事処の入り口に大きい笹が飾ってあった。葉にはひらひらと色とりどりの短冊がくくりつけられている。

「あ、今日七夕だね」

日付の感覚なんて、もうすっかりなくなっていたことを実感した。頭の中にあるのは夜明けまでの時間でいつもいっぱいだった。

「よかったら書いていってくださいね」

店の中にいた仲居さんが私たちに声をかける。側の机には短冊と筆がご丁寧に用意してあって、折角だから私たちの願い事もこの笹の葉の中に混ぜてもらうことにした。
炭治郎くんを横目で見ると、少しだけ悩む素振りを見せた後、儚げな表情を浮かべて書き綴っていた。
私もどうしようか迷ったけど、無難に鬼がいなくなることを願って短冊へ吊るした。

「なんて書いたんだ?」
「悪鬼滅殺」
「鬼殺隊の鑑だな……」
「町の人が見たらなんのことだと思われそうだけどね。炭治郎くんは?」
「ああ、俺は……」

そう呟いて、炭治郎くんは自分が吊るした短冊へ視線を移した。
ーー想い人が幸せでありますようにーー
炭治郎くんの短冊には、そう綴られていた。それを見て、私は胸がギュ、と締め付けられた。

「炭治郎くん、好きな人いたの……」
「うん」

私の問いかけに、炭治郎くんは困ったように笑った。幸せでありますようにって、それは炭治郎くんにとって、叶わない恋なのだろうか。

「禰豆子を人間に戻すとか、君の言う悪鬼滅殺だとか、色々あったけど、神頼みでしかできないと思ったんだ」
「……」
「俺じゃその人を幸せにできないから」
「……どうして?」
「その人、他に好きな人がいそうなんだ」

炭治郎くんに想われている人は、なんて狡い人なのだろうと思った。
羨ましい。それなのに、炭治郎くんではなく、他に好きな人がいるだなんて。

「炭治郎くんは優しいから、気付かれないのかも……」
「?」
「もっと押してみるとか」
「押してみる?」

ああ、私は何を助言してしまっているのだろうか。突然前触れもなくやってきた苦しみに耐えて、俯きながらポツリポツリと呟いた。

「例えば?は友達だと、ただの仲間だと思っている人に何をされたら、好きな人がいても意識する?」

仲間、ということは、きっと鬼殺隊の誰かなのだろう。私には程遠い人で、可憐な女性なのだろう。
そんなつもりは全くないのに、聞かれては答えないわけにはいかず、私はぐるぐると脳内を張り巡らせた。

「えーと……、沢山褒めてくれたり……?手紙もらったりしても、嬉しいかもね。あとはさりげなく手繋いだりしてくれたら、意識しないことはないと思う……」

本当に、何を言っているのだ、私は。苦しくて悲しくて仕方ないのに、炭治郎くんの恋路を応援してしまっている。
炭治郎くんは好きな人へ幸せになってもらいたいと願っているけど、私にはそんな心の余裕はないのだと、心の狭さを知った。
なんだか気まずくなってしまった空気を破るように、私は禰豆子ちゃんの手をとって帰ろう、と歩き出した。
星が輝き始める空の下、昼間歩いてきた道のりがとても長く感じる。

「なあ、
「ん?」
「俺、手紙書くの結構好きだぞ」
「……?」

嫌な汗が顔から吹き出してしまいそうで、もっと冷たくなってほしいと生温かい夜風を恨んでいると、炭治郎くんは突拍子もないことを唐突に話し始めた。

「あと、君の笑顔がいつもとても素敵だなと思ってる。禰豆子と遊んでくれる時の優しい表情とか、……善逸といる時の楽しそうな君も」

暗がりに慣れた視界の中で炭治郎くんを見ると、その横顔は少しだけ寂しそうに笑っていた。

「それに、言ってなくてすまない。言葉が出なくて……。化粧をしているのも、その着物もとてもよく似合ってる。可愛いし綺麗だと思った」
「え、」

つい、炭治郎くんが重ねる言葉の数々に立ち止まってしまえば、禰豆子ちゃん伝いに炭治郎くんの歩みも止まる。
何を突然褒めちぎっているのか、練習だろうか。そういうのは、私以外の人でお願いしたい。
炭治郎くんは不思議そうに私を見上げる禰豆子ちゃんを抱え上げる。必然と禰豆子ちゃんは私の手を放した。
炭治郎くんは禰豆子ちゃんを片手で支えるようにし、私の空いた手に炭治郎くんは自分の手を重ねる。

「……これでいいのか?」
「あ、う、うん。そういう、ことだね……」

まっすぐ炭治郎くんは私へ熱い瞳を向けるから、目を逸らしてしまう。重なった手から伝わる体温がやけに熱く感じる。

「私じゃなくて、好きな人に、ね。大丈夫だと思うよ」

泣きたくなった。こんなことを炭治郎くんにされたら、意識しない人はいないと思った。
言わなければよかったと後悔するけど、炭治郎くんに深く聞いてしまったのは私だ。聞かなければよかったのに、自分で傷を負ってしまった。


「……ん?」
「俺、のことが好きだ」

放たれた言葉に、一瞬時が止まったような感覚がした。ゆっくり炭治郎くんへ逸らしていた目を戻すと、苦しさと悲しさが混ざったような面持ちを見せていた。

「こうしても、は意識してくれないのもわかった。だからの恋路を邪魔するつもりはない。でも知っててほしくて、」
「待って、私、好きな人、」
「善逸だろう?」

虫の鳴く声が田畑から聞こえてくるのに被せて、予想外の人物の名前を耳にした。繋がれた手は弱々しくなっている。
本気でそう思っていそうな炭治郎くんへ呆気にとられつつ、私は首を横に振った。

「違うよ」
「……違うのか?」
「兄妹みたいなもので……」

例えるなら、目の前のこの兄妹のように。血は繋がっていないけど、大切な人には変わりない。だけどそれはあくまでも家族として。
否定した私に炭治郎くんは戸惑いを見せつつも、意を決したように瞳を揺るがせた。

「なら、俺のことを考えてくれないか。友達としてしか見られていないのはわかって、」
「待って、私そういう匂いする?」

善逸は、音で人の感情がわかると言っていた。嘘を吐かれても信じたい人のことは信じると言っていたけどそういうのはさておき、炭治郎くんだってそういうのは匂いでわかると思っていた。
だから、私が炭治郎くんのことを好きなのはハッキリでなくても気付いていると思っていた。その上で、好きだと気付く前と後では何も変わらないから、私のことなんて意識していないと、そう思っていたのに。
遮るように尋ねた私に炭治郎くんは眉を寄せた。

からは、自身の香りの他に、他の子からも香ってくる匂いがして。ただそれがどういう意味の匂いだかはわからないし、善逸といる時だけ独特の香りがしたから、好きなんだとばかり……」

零すように話す炭治郎くんに、炭治郎くんへ好意を抱いている人は私だけではないということが今、改めてわかった。その人たちと同じ匂いを出しているから、気付かれることはなかったのだと。それが好きな人へ思いを馳せるものだと認識するなんて、炭治郎くんのような人では考えられない。
善逸といる時は、確かに私の中で善逸は特別だから、そう思われても不思議ではなかった。

「炭治郎くん」

今にも私の手から放れようとした炭治郎くんの手を両手で包み込んだ。
放してほしくない。

「私も、炭治郎くんが好き」
「……それは、本当に?」
「嘘だったら、わかるでしょう。私今、すごく幸せだよ」

脈打つ胸を煩いと心の中で抑えながら、想いを伝えた。炭治郎くんは顔を上げ瞬きを繰り返した後、私を見て目を細め、温かい笑顔を見せる。

「願ってよかった」

頬を綻ばせながらそう言葉にした炭治郎くんは、禰豆子ちゃんを一度地面へ降ろす。
控えめに私に腕を回してそっと抱き寄せた。

「いいのかな、俺も幸せになってしまった」

頭上から降ってくる声に、自然と笑みが溢れてしまう。
夏の香りに混じり、炭治郎くんの香りでいっぱいになって、とても幸せで心地が良い。
願えばこうしてすぐに叶ってしまうのだから、織姫までもを味方につけてしまうような人だと思った。
心臓の音が聞こえてしまいそうなくらい、こんな穏やかな夜がいつまでも続けばいいと、夜空を煌めく星々に願った。

願わくば、あなたと