短編



「結婚したんだ」

日が暮れた後に鎹烏が鳴くこともなくなった毎日、四人で長閑な一日を過ごしていた。善逸も伊之助も炭売りを快く手伝ってくれて、元々大人数で暮らしていた俺にとって、あの頃に似た毎日が過ごせていることに心から感謝していた。
炊きたてのご飯を喉に通した後、発した俺の一言に禰豆子は嬉々とした表情を見せる。

「へえー!じゃあご祝儀用意しないとね!昔はよくお母さんに怒られてたのに、なんだか感慨深いね」
「ああ、お皿が割れたのが猫のせいなのに日頃の行いのせいで自分のせいにされてたって言ってた奴か?」
「そうそう。今日町に降りた時に聞いたんだ」

炭治郎、俺結婚することになったんだ、と炭売りの最中に女性を隣に引き連れて、鼻の下に指を当てながら俺に報告してくれた友達。昔からの顔馴染みがこうして新しい家族を持つことに素直に祝福しつつも新鮮な感覚だった。
これから、同年代の子達もどんどん添い遂げる人を見つけて新しい命を身籠っていくのだろう。

「お兄ちゃんは?」
「え?」

奥さんには綺麗な反物を用意したいな、とうっとりと何を用意するか考えていた禰豆子が唐突に、思い出したように俺へ問いかけた。

「お兄ちゃんは結婚しないの?ちゃんと」

鬼殺隊で鬼を狩る日々を終えてから、この家に戻って変わったことが一つあった。町の様子はずっと変わっていないけど、見知らぬ子がいたら小さい町の分すぐにわかる。
炭売りが終わり町から山奥の家へ帰る途中で会った子だった。その子は町を一望できる丘の上から儚げに町を眺めていて、どこかふわふわと危なっかしそうな雰囲気を身に纏っていて、思わず声をかけてしまった。
質の良さそうな着物を召していて、声をかけた俺へふわりと笑いかけた。一年前くらいから親の都合でこの町にいるらしい。今まではかなり住む場所を転々としていたようだけど、親の後継も決まりもうそんなこともないと言っていた。

「しないよ」

小さく笑ってからそう答えた。
は、敷居が高いところで暮らしているのにも関わらず誰にでも分け隔てなく優しく接するような子だった。それは俺に対しても同じで、顔に炭がついていた俺に持っていた手拭いで拭き取ってくれた。
夜遅いから帰らないのかと問えば、帰りたくないと言っていたから、熊や猪が出てきたら危ないとうちへ泊めた。
それから、俺とは自然と距離が縮まっていき、所謂恋仲という関係にはなってはいるが、禰豆子の言うようなことは考えていない。いや、正確には、考えた結果、である。

「それって痣の寿命を気にしてるのか?」

禰豆子の隣で魚を頬張る善逸が顔を顰めながら口を開いた。
俺には避けられない寿命があった。寿命を過ぎても生き長らえた人間も存在するが、俺は選ばれていない人間だから、数多の前例と同じく二十五になる前に命を落とすだろう。
もし俺が結婚して、家族を作って、命を落としたら、と考えると、その気は俺にはなかった。
父親がいなくなった時の胸が張り裂けそうな思いは痛いくらいに覚えている。

「うん。それもあるし、のような身分の子と俺のような田舎者の結婚なんて、許されないさ」

とまだ関係が浅かった時、『明日お見合いがあるの』と、幾度となく口にしていたのを覚えている。いいところのお嬢様だから、そういうのがあってもなんら不思議ではない。その度はため息混じりにいつも話していた。『また断る理由を考えなくちゃ』と。自分のことを見てくれているわけではなく、自分の後ろにある多大な財が欲しいだけの人とは結婚なんてしたくないと、そう言っていた。幸せな家庭を築きたいと、目を細めて話していた。
俺の話に禰豆子も善逸も納得いかなそうな表情を見せていたが、もうこの話は終わりだ、と無理やり閉ざして片付けを始めた。


「季節限定だって、炭治郎」

今日は善逸と伊之助に家のことを任せた日だった。日によって、みんなで薪を割ったり炭を売る日もあればこうして休みの日を作ったりしている。
手紙を書いて今日会う約束をしていたと待ち合わせれば、町を歩いている中で見かけた文字にが興味津々としていた。

「食べていくか?」
「うん!」

入ったのは甘味処で、この季節限定の団子が置いてあるらしい。中へ入ってそれを頼み、設置されている椅子へ腰掛けた。俺と会うまでは、人見知りだというのもあってかあまり町をふらつくこともなかったらしい。だから、あまり町のことを知らないと歩くのは自分も新鮮さを感じていた。
季節限定の団子を頬張り頬を綻ばせるに自然と自分も笑みが零れる気がした。

「この店、季節ごとにその時期限定のお菓子を出してるんだよ」
「そうなんだ。じゃあ次の季節も炭治郎と一緒に食べたいな」
「うん、が良ければ」
「うん。ずっと。ずっと炭治郎と一緒がいい」

目尻を下げて優しく笑うに胸が締め付けられた。
痣のことは、以前話したことがある。鬼殺隊でのことも話した。信じてくれるかは定かではなかったけど、今まで何をしていたのかという質問の流れで、嘘と吐くこともできずにそのまま正直に話した。その時は、そうなんだ、と返しただけだった。
多分、俺がの立場だったとしてもどう声をかけるのが正解かわからないからそうしていたと思う。
ただ、翌日から俺の家へ赴いたのは予想もしていなくて驚いた。一緒にいたくて、と眉を下げながらそう話した彼女を抱きしめて、この腕の中に閉じ込めていたいと思ってしまった。
でも、前にが話していた『幸せな家庭を築きたい』、これを俺が全うすることは、できない。

「あ、炭治郎~!ちょうどいいところに!」

甘味処を出て、町を歩いている中で前方からトタトタと足音を鳴らして走ってくる音が聞こえた。そちらを見るとその人は赤子を抱えている。

「少しだけこの子の子守してほしくて。お願いしてもいい?」
「いいですよ」

すやすやと規則正しい寝息を立てて気持ち良さそうに寝ているその子。起こさないようにそっと女性からその子を預かった。実はこれは初めてではなく何度かあるけど、隣にがいる時に頼まれるのは初めてだった。いつもの調子で了承してしまったけど、折角二人でいたのには、と様子を窺えば、心配した表情を見せた俺には口元に手を当てふふ、と小さく笑った。

「気にしないで」
「……すまない」
「ううん。炭治郎らしいなって」

頬を緩める彼女に甘えて、俺は赤子を抱えて広場の木製の椅子へ腰掛けた。起きたら多分、母親がいないことに泣いてしまうだろうから起こさないようにゆっくりと。
随分と気持ちよさそうに寝ているからおそらく母乳を飲んだ後なのだろうと見て取れた。

「炭治郎、そういうの慣れてるんだね」
「ああ、うん。俺下に五人いたから」

隣に座るは赤子の顔を覗き込んだ後、俺に温かい顔を見せた。

「いい旦那さんになるね、炭治郎は」
「……、そうだろうか」
「そうだよ」

瞼を伏せて、足元を見ながらは呟いた。いい旦那さん、に、なる気はない。なる気もないし、なれないと思っている。
先のことがわかっているのに、誰かを置いていってしまうなんてそんなこと俺にはできないと思った。

「ねえ炭治郎」

日が暮れ始めて椅子に座る影が伸びる。辺りは温かい色に包まれているのにどことなく空気は濁っている気がした。
濁らせているのは、俺だ。
そんな空気を破るように、彼女はおもむろに俺の名前を呼んだ。

「私、今まで色々な人に会ってきたけど、いつもこの人じゃないって思ってた。この人じゃないっていうか、考えてなかっただけっていうのもあるけど」

が話しているのは、お見合いのことだろう。横目で見たは、いつ見てもやっぱり綺麗で、俺が隣に並んでいることが不釣り合いに見えるだろうなと頭にうっすらと浮かんだ。
が言うお見合いで会う人たちは多分、そんなことはないのだろう。いつか、俺ではない誰かにきっとは貰われる。それが一番いい選択だということは理解しているのもの、煮え切らない利己的な考えも胸の内にあった。

「でもね、炭治郎は違うの」

赤子を支えている俺の手を包み込むようには自身の手を重ねた。今だけ、がいいと言ってくれるのであれば俺はの隣にいたいと思ったし、そうしてきた。期限付きの愛だけど、それで幸せだった。それなのに、どうしてかそれだけでは満足できない自分の欲も芽生えてきて、抑え込んでいた。

「私、炭治郎といると幸せなの」
「……
「いつか来る悲しい未来より、それよりも幸せだったと思える毎日が、炭治郎となら過ごせると思うの」

手を重ねながら、まっすぐと、瞳を揺らして俺に伝えた。その思いに、幾度となく諦めていた俺の思いはに伝わるほど溢れていたのかと胸の中が焼き焦がれた。
は重ねている手の力を少しだけ強めた。

「だから、すぐは決められないと思うけど、お願いがあって」
「……」
「一人で悩まないで?」

俺でない方が、は幸せだろうと、勝手に決めつけていた。そんなこと、俺でなくてが決めることなのに。
はこうして、俺のことを理解して、俺を繋ぎとめてくれているのに、離れてしまう未来を想像していた自分が情けなかった。

「すまない。俺、逃げていたんだ。諦めていたんだ」
「……そんなことないよ。そんな風に言わないで」

ああ、この子はやっぱり、会った時から変わらない、心優しい子だと胸の中に響き渡った。
先のことはわからないけど、俺は一人ではないと、そう言ってくれるのであれば、俺は彼女の言う未来を築きたいと、そう思った。


「うん」
「俺と、家族にならないか」

俺にはが綺麗に身に纏っている着物を沢山用意できるお金もないけれど、誰よりも幸せにしたい。いつかそれが思い出になったとしても、色褪せないほどの幸せを彼女へ届けたい。

「うん」

笑顔からこぼれ落ちる涙が光を纏って美しいと思った。

臆病な恋をやめた日