短編



雑踏の中歩いていると、不意に甘い香りが漂ってきた。甘い蜜に誘われる蜂のように辺りを見渡して、一点人が集中している場所へと歩みを進める。
近づいてみたはいいものの、私の身長では人混みの中心に何があるのかはわからない。ただ、そこから抜けて来た人たちは揃って小さい包みのようなものを持っていた。

「ミルクキャラメル、だって」
「炭治郎」

踵を上げて背伸びをしても見えず仕舞い。おそらく食べ物なのだろうけど、モノはわからないまま私もこの人集りに紛れて物色してこようかと思えば隣から温かな声が降って来た。
任務を終えた翌日、完治はしていないけれど藤の家でずっと休んでいるのも億劫だった私は町へ出ていた。大きな町だから行き交う人は洋装の人も多い。普段立ち寄ることのない百貨店もあって、楽しそうだな、なんてほんの少しの好奇心で入ろうとしたところで炭治郎と出くわした。炭治郎もこの辺りで任務があったらしく、蝶屋敷へと帰るところだったらしい。そっか、それじゃあ、と私が百貨店に入ろうとすれば、俺も一緒に、なんて興味もないだろうに付き合ってくれることになったのは少し前の話。

「ミルクキャラメル?」
「新発売、って書いてあるぞ」
「だからみんな買ってるんだ……」

特に何を買うでもなく、ふらふらと普段目にすることのない光景をそれこそ田舎者のように眺め回していた。
あまりの人混みにさっきまで逸れてしまっていたのだけれど、突然隣に現れた炭治郎に驚きはしなかった。多分、匂いでわかるだろうなと思っていたから。百貨店に入る時だって、匂いがしたから、なんて言われてしまった。会う人会う人、一々人の匂いを覚えているマメさに感心させられる。私だから匂いを覚えている、だったらこれほど嬉しいことはないけど、炭治郎だから、そんなことはないだろう。

「私も食べたい」
「じゃあ、」
「待ってて!買ってくる」
「あ、

ついて来てくれたのは、きっとほんの気まぐれ、気分転換。人混みは苦手だって前に話していたこともあるし、優しいから療養中の私に気を遣ってくれたのもあるはず。そのお礼に、と言ってしまうのは少し物足りない気がするけど、一緒に食べたいのもあって人集りの中へ私も紛れ込んだ。
するすると見ているだけの人たちの隙間を通り抜けて売り場の一番前へと顔を出す。甘ったるい香りが充満している。

「いい匂い……」
「甘くて美味しいですよ」
「二つください」
「はい、ありがとうございます」

懐から硬貨を出して上品に微笑むその人へ手渡した。籠の中からキャラメルを二つ取り出し、代わりに私へと丁寧にキャラメルを二つ手のひらに置かれる。お礼を告げてから、再び人集りを抜けて炭治郎の元へと戻った。

「買ってきたよ」
「俺の分も?」
「うん、食べよう。……ああ、お金はいらないよ、私が一緒に食べたいだけ」

手のひらのキャラメルを二つ見せて頷いた私にすかさず炭治郎は懐へと手を忍ばせたけど、受け取らないと首を横に振った。

「好きな人と食べると格別に美味しいんだよ」
「、え、」
「なんて。あっち空いてるよ。食べよう」

まあ、“好きな人”には変わりはないのだけれど。
一度、炭治郎に遠回しに好きだと言ってしまったことがある。まだ私が蝶屋敷で一緒に暮らしていた時。『私が炭治郎のことを好きだったらどうする?』と、保険掛けもいいところだ。みっともない告白の仕方。尋ねた私に炭治郎は一度困惑した素振りを見せた後、『嬉しいけど……』って、俯かせてしまった。けど、の後は、ごめん、だったのだろう。
それからは、今まで私はずっとしのぶさんに面倒を見てもらって一緒に暮らしていたけど、逃げるように出て来てしまった。一緒にいると、炭治郎のことを考えてしまって。でも、一度蝶屋敷を出たことで随分と自分なりに一人立ちできたような気がしていたから、結果的には良かった。手の甲に刻まれる漢字が変わったことも大きい。しのぶさんとは手紙でもやり取りはしているし、全く蝶屋敷に訪れない訳でもないから、今の状態は私の中では悪いことがなかった。

「うん、美味しい!」

一つ炭治郎に手渡して、休憩場所のような一角の長椅子に腰掛けて包みを開けた。口に放り込んだそれは舌で転がす度に甘く溶けていく。これが口の中からなくなってしまったら、この時間を終わりだなあ、と、寂しさを感じてしまうくらいには、久しぶりに会ったけどまだ炭治郎のことが好きなのだと実感した。

「なあ、
「ん?」

炭治郎は、さっきからずっと黙っているけれど甘いの嫌いだっただろうか。蝶屋敷にいた時はしのぶさんや宇髄さんがお土産って行って持って来てくれるお菓子を一緒に食べていたはずだけど。どうしたのかと疑問には思いつつも聞かないままでいる私に漸く炭治郎が口を開いた。

は、もう戻って来ないのか?元々、が住んでいた場所だろう?」
「……?うん。でも、住んでたっていうより、拾われてそのまま一緒に暮らしてただけだから私の家じゃないし。それに、甘えちゃうからさ」

帰ればアオイやなほたちが怪我の手当ても食事も用意してくれる。屋敷を出てからそれがどんなにありがたいことだったか身に染みてわかっていた。屋敷を出たきっかけは不本意な理由ではあるけれど、今となっては炭治郎にも感謝をしている。

「そっか……」
「うん」
「それって、俺が、」
「違うよ」

口の中に広がるキャラメルは全部溶けてしまった。まだ甘ったるい名残がある。口惜しくなるほど寂しくて、物足りない。

「…………」
「違うよ。付き合ってくれてありがとう。みんなにも買って行こうかな!」
、」
「もう一回買ってから帰るね。じゃあまたね」

何を言いたいのかは、わからないわけはなかった。ただ私としては、それは掘り返されたくない過去で。過去にしたくて。いつか笑ってしまえるような思い出になればいいのだけれど、それはまだ無理そうだった。
下手くそな笑い方だったと思う。曖昧に笑顔を繕ってから炭治郎へ背を向け、もう一度キャラメルが売っている場所へと向かった。

「え、売り切れ?」

視線が足元へと落ちていたから、すぐに気づかなかった。人集りがない時点で察することができたはずなのにそれさえ頭に入ってこなかった。目の前で先ほど私に上品に頬を綻ばせていたその人は眉を下げている。

「人気でね。また明日来てくれるかしら。開店すぐなら混んだりもしませんよ」
「残念……、はい、また明日来ます」
「お待ちしています」

明日まで藤の家で休んで、それからまた稽古に励む予定だった。キャラメルのおかげでみんなに食べてもらいたいから蝶屋敷に行く、という用事ができたけど。だから明日になることは何の問題もなく、私に微笑むその人へ軽く会釈をして背を向けた。

「、炭治郎」

百貨店を出る間際、出入り口付近で視界に飛び込んだその姿。随分と複雑そうな顔をして立っていた。待っていてくれたのだろうか、私を。百貨店を出たら、蝶屋敷の方と私が休んでいる藤の家は真逆だから、すぐお別れなのだけれど。

「買ってきてないのか?」
「売り切れなんだって」

手持ち無沙汰な私に気付いて歩み寄る。一先ず出入り口は邪魔になるだろうからと外へ出て雑多な道の脇へと寄った。まだまだ太陽は高い位置にあって町も賑やかだ。

「また明日行く。善逸療養中なんでしょ?アオイから聞いてるよ」

私がいなくなってから善逸さんの相手が減ってしまって大変なんです、なんて手紙が鴉を伝って私の耳へと届いた。そのこともあって、最近立ち寄っていない蝶屋敷へとお土産を持参しつつ顔を出そうかなと思っていたのだ。

「善逸、甘いの好きそうだし」
「俺も行くよ、明日」
「……気に入ったの?それなら、蝶屋敷行くから買って行くよ?何個いる?」

さっきは何も言わずに隣で食べていたのに、あれはあまりの美味しさに言葉が出なかったからなのだろうか。
首を傾げる私に炭治郎は唇を噛み締める。

「……そういうことじゃ、ないんだ」
「……?」
「また、一緒に食べたいだけなんだ」

言いにくいことなのか、幾らか口をまごつかせた後に漸く口にした言葉は些細なことだった。そんなの、いつもみんなで笑いながらご飯を食べているというのに、何を今更。明日はちゃっかり私も一緒に食べるつもりでもあったから、炭治郎が心配することは何もない。

「うん、食べよう。みんなで」
「違う、二人で。今日みたいに」

泳がせていた炭治郎の視線が、バチっと私と交差する。

「美味しかったんだ。と食べたから」

雑踏の中で聞こえる行き交う人の声も、今の私には聞こえなくなってしまった。まだ私は、炭治郎への気持ちが溶けてなくなっていなくて心底良かったと思った。
熱くなる胸の中はどうしたら鎮まるのかはわからない。

「じゃあ、えっと……、待ち合わせしよっか」
「うん!約束な!」

パアッと明るくなったその陽だまりのような笑顔に、私自身が溶けてしまいそうな気がした。

とけてとける