短編



蝶屋敷で療養していたおかげで体調も万全になった。途端に入った指令に相変らず容赦がないと苦笑しながらもその場所へ向かい、好きな子から手当てを受け差し入れをもらった甲斐もあって動きはいつもより、自分でもわかるほどに軽快で無事に任務を遂行できた。

「炭治郎ー!」

藤の家で休んでから朝、町を歩いていると前方から聞こえた柔らかい声に胸が跳ねる。顔を上げると眩しい朝日を背に、蝶屋敷で心配そうに俺に手当てをしてくれていたが手を振って駆けてきた。

「炭治郎もこの辺りで任務だったの?」
「うん、もう終わって今から帰るところだよ」
「もう体調大丈夫なんだね。よかった」
「おかげさまで」

は俺よりも早く最終選別を受けた先輩にあたる人だけど、堅苦しくしなくていいよと言われた為、敬語は使っていない。
カナヲと同じように蝶屋敷に身を置きながら、任務がない日は稽古に励みながらも隊士の看病をしている心優しい人だった。
そんな人を、俺が好きになるのに時間はかからなかった。

「私今終わったところでさ、お腹空いちゃった」
「じゃあ、何か食べて行こうか」
「付き合ってくれるの?」
「折角会えたから」

もっと君と話したい。正直にそう話せばはきょとんと目を丸くさせた後、首を傾げてふわりと微笑んだ。その笑顔に、俺はいつでも胸がとくりと反応してしまうのだ。
ここに入りたい、と開いたばかりの定食屋へ入った後、はお品書きに目を輝かせ、これ、と注文した。

「炭治郎は?たらの芽の天ぷらあるよ」
「……覚えててくれてたんだな」
「?うん。これにする?」
「うん」

じゃあ後これください、とは注文を済ませた後、湯飲みに注がれたお茶を口に含んだ。
俺がに自分の好きなものを伝えた時なんて、出会ったばかりの頃だった気がするのに、そういう小さなところまでは覚えてくれているのかと、少しだけ寂しくなった。

「美味しいね」
「そうだね」

時間もかからず配膳された定食に二人で手を合わせて食べ始める。朗らかに笑っているけど、俺は知っている。
この子の笑顔が一番輝いて見えるときは、俺に向けられる時ではないことを。
自分の気持ちに気付いてから一度、におそるおそる尋ねたことがある。好きな人や、気になっている人はいるのか、と。
誰にでも分け隔てなく接しているから、正直それまで俺はにそういう人はいないと思っていた。けれどは俺の質問に目を泳がせ、頬を赤く染めていた。俺が見たことのない表情を、初めてそこで見せたのだ。
実はね、と耳打ちしながら話すの言葉は、聞き入れたくないと思ってしまった。

「あ!」

定食屋を出た後、賑わう町を後にし歩いていた山道では頭上を見上げた。青空から黒々とした鴉が一羽バサバサと降りてきてが差し出した腕に止まる。足に手紙が括り付けられていた。
器用にそれを外して鴉を飛ばし、はその手紙を開いた。

「明日蝶屋敷に寄ってくれるって!」

手紙の相手は、の好きな人だ。
頬を仄かに染め上げては俺に花が咲いたような表情を見せた。俺に向けられているけど、その笑顔を作り出しているのは俺でないことに息が詰まる思いがした。

「楽しみだな……」

手紙を口元にあて、愛しい人に会えることを待ちわびているようだった。
は俺といる時でも、その人のことを話している時が一番楽しそうで、活き活きとしている。

「あ、あのね炭治郎」
「、うん?」
「あの、私、言おうと思って!」

意気込むように、は俺に詰め寄った。近くなる距離感に肩が跳ねて一歩後ずさってしまう。そんな俺に気付かずには頬を赤くさせたまま、手紙にシワがつくほど握りしめていた。

「言うって?」
「その……好きだって」

まごつかせながらも、俺の耳にはっきりと聞こえた言葉に唇を噛み締めた。
好きな人の幸せを願えないなんて、おかしな話だ。だから、どんなに俺がのことを好きだとしても、この子を一番笑顔にできるのは俺でない限り、俺はの背中を押すしかなかった。

「大丈夫かな……」
「大丈夫だよ。きっと」
「本当?本当にそう思う?」
「……うん。仲良いんだろう?それにのような人から好きだって言われたら、首を横に振るわけないよ」

本当に、心からそう思っているはずなのに、声に出すとなぜこんなにも、胸が苦しくなるのだろうか。
恋仲という関係ではないにしろ、相手がのことを好きではないなんて、ありえないと思っていた。
の視線の先に俺はいなくても俺は君が幸せならそれでいい。ただただ、いつまでも今のように、俺に温かい笑顔を見せてほしいと自分の気持ちなんて押し殺すほかなかった。

それがどうしてか、次の日の夜、は縁側で魂が抜けたように月を見据えていたのだ。


「……」

「、あ、炭治郎」

二度目の呼びかけに気付いたは肩を震わせた。妙にその表情が引き攣っている気がして、放っておけない俺は心配になっての隣に腰を下ろした。

「どうした?なにかあったのか?」
「……うん」
「……なにがあったんだ?」

どことなく、から香る苦しい匂いに答えもでている気がした。
控えめに尋ねれば、はバツが悪そうに一度俺から視線を反らせて眉を下げた。

「笑わない?」
「笑わないよ」
「振られちゃった」

苦笑しながら呟くの髪が夜風に靡いた。
昼頃までは、いつ来るのかと屋敷でわかりやすくそわそわとしていたはずなのに、好きな人に会った後とは思えない笑顔だった。
の答えは、俺にとっては都合のいいもののはずなのに、喜べるわけはなかった。涙は流さないに、俺はがその人と恋仲になってもならなくても、どちらにせよ俺も苦しくなるのだと繕った表情を目前にそう思った。

「仲良かっただけで、勘違いしちゃって」
「……」
「別に、向こうは私のこと何とも思ってなくて」
「……」
「ごめんね。炭治郎も応援してくれたのに、私が前向きに捉えてただけで、ほかに好きな人がいるって、」


俺を心配させない為か、無理して笑い話にしようとするを衝動で抱き寄せた。
傷心につけ込むつもりも毛頭ない。俺はが笑っていてほしかっただけなのに、無理矢理気持ちを抑えている姿が痛々しくてならなかった。

「炭治郎、」
「ごめん」
「……なんで、謝るの、」
「……ごめんな」

の髪に指を絡ませるように顔を引き寄せる。肩口での声が僅かに震えているのが伝わってきた。
俺がこの子を、向日葵のような笑顔を咲かせることができたらいいのに、それが俺にはできないんだ。

「泣くの、我慢しないでいい」

笑っていてほしい、とは声には出せなかった。
今はただ、俺にはこの溢れ出る涙を受け止めることしかできなかった。

つめたい夜の物語