短編



最近、ちゃんがぽーっとしている。あのちゃんが、だ。
ちゃんはカナヲちゃんと同じくしのぶさんの継子でそれはもう目茶苦茶に可愛い。この屋敷の女の子たちの美貌には頭が上がらない。しのぶさんの継子になるには顔面も上の上でないと許されないのかと思う程には揃いも揃って美人だ。けれどしのぶさんもカナヲちゃんも、勿論ちゃんも男っ気というものはなかった。俺が見る限りの話であるから実際のところはよくわからないが。特にしのぶさんは。屋敷のことはアオイちゃんに任せてほぼ出てることが多いし。と、まあしのぶさんのことは置いておいて。問題はちゃんだ。今まで男っ気のなかったちゃんが、最近妙に様子がおかしい。昨日だって任務に出る前、朝食を食べている時も終始上の空だった。カナヲちゃんにお醤油とってと言われ、うんと返事をしながらも手にしていたのは俺の湯呑みだったし。普段のちゃんからは考えられないほどの粗相なのだが、可愛らしいからそれはまあ良い。俺が気になるのは、とどのつまりちゃんはあの様子からもしかすると誰かに恋をしているのではないかということだ。

「相手は…………?……俺…………!?」
「何してるんだ?善逸」

蝶屋敷の池の前で口元に手をあてさながら探究者のように閃いていると聞こえた声に振り返る。炭治郎だ。
炭治郎を前にして、今し方己で閃いた考えをいやいやと頭の中で首を振り改めた。あの慎ましく謙虚で人に優しいちゃんが、俺のことを好きになるだろうか。どちらかといえば、否どちらと言わずとも一緒にいて思いを寄せてしまうのはこういう誰にでも素直に優しく怒ることも滅多にない、俺のように泣き喚くこともない慈しみの化身なのではないか。絶対そうだ。
徐々に自分の中の考えと目の前にいるこの男への沸々と込み上げる嫉妬心で目が細くなる。そんな俺に対し炭治郎は首を傾げ耳飾りをカラコロと鳴らした。

「炭治郎、お前さ」
「うん、なんだ?」
ちゃんのこと、弄ぶなよな」
「何を言っているんだ」

こいつのことだからどうせちゃんの気持ちになんて気付いていない。みんなみんな、俺の友達だ、なんて慈愛に満ちた笑顔で両手を広げて温かに包み込むのだ。ほんとそういうのやめた方がいいと思うよ、俺は。
あからさまに俺に怪訝な表情を見せる炭治郎に、まるで気付いてなさそうであるから最近のちゃんの変化について伝えると予想に反してああ、と気付いているようだった。
え、まさか気付いてるのに知らないフリしているのか?罪な男ってこういうことを言うんだよ知ってるか?それともモテるやつは女の子の気持ちに気付かないフリをするのが相場とでも決まっているのだろうか。俺には縁のない話だからお前の気持ちはわからないよ、住む世界、見る世界が違うなあおい炭治郎、なあ炭治郎。

「誰かに恋してる匂いがするな。善逸も音でわかるだろう?」
「お前だよ」
「どうしてそうなるんだ、違うよ」
「謙遜はいいんだよ逆にムカつくんだよ!」
「ででっ落ち、落ち着け善逸っ……!」

けろっとちゃんの気持ちを蔑ろにする勝ち組の襟ぐりを掴んだ。一度頭を冷やした方がいいこの石頭は。俺が池へ突き飛ばそうとする前に炭治郎は俺の腕を掴み振り解いた。

「言ってたんだ、本人が」
「告白されたのか!振ったのか!」
「違う!好きになったのかもしれない、って。俺だとしたらそんなこと直接俺に言わないだろう」
「遠回しに告白してるんだよ!わからないのか!とんっっでもねえ男だな!」
「そういう匂いではなかった!」
「なんっでわかるんだよお前!自分のこと好きな女の子に告白されたことがあるのかよ!」
「ある!」
「歯ァ食いしばれェェ!!」

ギャアア、と奇声を腹の底から出しながら強く頷いた炭治郎へ飛びかかった。見事に交わされた為いかに下等生物の気持ちがお前にわかるだろうと再び落ち着けと手の平を俺に向ける炭治郎へ一発かましてやるつもりで踏み込んだ時だった。

「何してるの?」

事の原因であるちゃんの声がふわりと俺と炭治郎の間に割って入った。一歩飛び出した俺はその勢いが止められず、けれどちゃんの前で仲間と喧嘩をしているところなんてものは見せられずにどうにか炭治郎目掛けた身体を方向転換させた。結果、池に落ちた。そして更に、任務を知らせる雀と鴉も鳴いた。踏んだり蹴ったりだ。

「……鴉?」
「大丈夫か?善逸」

今同時に鳴いた雀と鴉。雀は俺の雀で、まあ何言ってるのかはわからないがついていけば問題はない。しかし同時に鳴いた鴉は勿論俺の鴉ではない。炭治郎の口の悪い鴉でもない。ちゃんの控えめな鴉だ。
俺に手を伸ばす炭治郎の手を取り、いきなり飛び込んで来た俺に驚いたであろう鯉が泳ぐ池から腰を上げた。

「任務、また一緒みたいだけど……、大丈夫?」

懐からどこまで用意周到なのか、手拭いを出して俺の髪を拭く炭治郎の隣でちゃんが心配そうに俺を見据える。ちゃんの言う通り、ついこの間俺とちゃんは初めて合同の任務だった。女の子と一緒の任務なんて、と思うとあからさまに心が弾んだのだが、実際鬼と対峙した時、かっこいいところを見せようよ思った俺の意気込みなんて虚しいものだった。意識が途中でなくなり、気付けば鬼の頸は飛んでいた。自分の情けなさを恨めしく思った。
尻餅をついていたちゃんは俺に瞬きを繰り返していたが、意識がなくなった俺に愕然としたのだろう。
ああ、思えばあの任務の時からちゃんはぽーっとし始めたような気がするのだが、……もしかしてあの時、誰かが助けに来たのだろうか。首をぐぎぎと動かし炭治郎を凝視する。

「……代わりには行かないぞ?」
「行かせてたまるものか!!」

炭治郎ではないだろう。女の子から好きだと告げられたことがあるということは帰ったら掘り下げるとして。眉間に皺を寄せる炭治郎へ一際声を荒げてからちゃんの元へ歩み寄る。するとなぜか一歩、また一歩と後ずさられたので俺も一度近寄るのを止めた。え?俺、避けられてる?今から任務へ一緒に行くのに?前に一緒だった時は帰りは様子が可笑しかったものの普通だったはず。そうだ、今俺から水が滴り落ちているから近寄りたくはないのだろう。
炭治郎から借りた手拭いで髪の毛をガシガシと拭いて水分を拭き取ってからありがとうと返し今度こそちゃんへと近付いた。が、またしても一定の距離を保つように俺との間に微妙な空間が生まれる。

ちゃん?」
「うん、行こうか」
「…………うん……?」


距離は人二人分くらい空けたものの、他はいたって変わらない。俺、嫌われるようなことをしたのだろうか。過去の自分を振り返ってみると心当たりがありすぎてわからない。まず俺はちゃんの前で気絶するという醜態を晒したのだ。揺るぎない信念を持って刃を振るうちゃんからしてみれば、俺のような人間嫌われても不思議ではない。
ああ俺、ついにちゃんにまで蔑まれるようになってしまったのかと頭の中を冷やしていると、ちゃんの後ろから鴉の指令が聞こえたのかしのぶさんが艶やかな羽織を揺らしてやってきた。屋敷の縁側でちゃんを手招きしている。呼ばれるがままにちゃんは従順なまでにしのぶさんの元へ駆け寄り、ずい、と人差し指を顔の前に寄せられ何かを指摘されているようだった。が、その指摘と同時にちゃんの頬が染まる。何を話しているのか耳を澄ませておけばよかったと今更ながらその光景を見て後悔した。
それから、ちゃんは俺の元へ戻り今度こそ行こう、と弱々しく俯きながら呟いた。

ちゃん、今度こそ俺がちゃんのことを守るから安心して」
「……えっと、……うん、でも、私も頑張るよ」

道すがら、なぜか微妙な空気になっていたのでちゃんがいなかった間、伊之助に俺の分のお菓子を食べられたことや禰豆子ちゃんが猫を屋敷に連れてきてしのぶさんを困らせた話をしていた。思えばちゃんは任務から帰ってきたばかりで疲れているはず。戦い方なのかなんなのか、合間悪く俺とちゃんが抜擢されてしまったがここは俺がなんとか、前回の挽回も含めて前線に立つしかないと意気込んだ。
が、平和な道すがらに心の中で決意したことと、実際夥しい雰囲気の中で目の当たりにした時に思うことは、俺のような泣き虫怖がりな人間には合致しなかった。

「善逸くん!」

ちゃんの声を最後に俺の意識はあっけなく途絶えた。ああ、俺はちゃんを守りたいと思っていたのに、なんて惨めでみっともなくて、哀れな男なのだ。
気づけばまた、目の前でその鬼は頸が飛び塵となっていて、誰がやったのかわからない勝利とは言えどその酷い有様に素直に奇声を上げながらちゃんを探した。辺りを見渡すと思ったよりもすぐ近く、というよりは真後ろにいて、尻もちをついていた。やられてしまう直前だったのだろうかと最悪の事態が頭に過ぎりそうならなかったことに酷く安堵した。

ちゃん、大丈夫だった!?」
「…………」
ちゃん……?」

刀を鞘にしまい動けないでいるちゃんの隣へ腰を下ろす。息が浅くて頬が上気して、心臓の音もばくばくと響いている。
この音は前にも聞いたことがあった。任務で一緒になった時と同じだ。
また、誰か助けに来てくれたのだろうか、いやそんなことはこの際どうだっていい。とにかくちゃんが無事であったことに胸を撫で下ろし小さく息を吐いた。

「歩ける?ちゃん」
「……」
「肩貸すよ?」
「……師範に、任務なのだからシャキッとしなさいって言われたのに……」

身体には触れず、ギリギリのところで手を止めるが心配で心配で堪らない。そんな俺に反しちゃんはまん丸くさせていた瞳を伏せ、小さく呟いた。

「……すみません」
「善逸くん、」
「はい」

俺のことでもあるのだろう、多分。合同任務だからといってただののほほんとした旅ではないと、あの時妙に騒がしくしていたからちゃんから俺に伝えておけとでも言われたのだ。そうに違いない。鬼を倒しにいく自覚を持てと。
自覚は持っていたはずだった。ただ、自覚を持っていることと実際にその言葉通り鬼と対面して頸を斬ることはどうにも俺にはかけ離れた事柄なのだ。女の子を前にして守ろうとしても怖くて気絶って、どれだけカッコ悪い話なんだ。誰かが助けに来てくれたから良かったものの、そうでなければ今頃、俺はさておきちゃんまであの世行きだったのだ。
俺って本当、あれだよ、もう、

「ずっと、ずっと寝ててほしい」

永眠しろとまで言われてしまう、お粗末な人間だよ。

我妻善逸の苦悩