お話は昼食の後で
開店前に行列ができるほど…ではないけれど、町でも美味しいと評判の食事処で私は働いている。生まれた時から家族と美味しいご飯に囲まれて、お客さんも温かい人ばかりで幸せな毎日だ。「おい、そろそろうちの息子もらう準備できたかよ」
「ええ、あの人うちの料理不味いって言うから嫌です!」
「バカおめぇ、あれは照れ隠しっつーんだよ」
最近、昔から馴染みのあるお客さんにはよくこういう話題を振られるようになった。お父さんがこんな娘貰い手がいねえって冗談混じりに零すようになったからだ。失礼極まりない。
「いやまだには早えだろ」
「早くないだろ、いくつになったおめぇ」
「14です」
「青いな!まだまだだ!」
そういう話は、私がいないところでやってほしいものです。お客さんがいなくなった卓を片しながら常連の人たちの話を右から左へ受け流していた。
「このお店の看板娘に知らない男の子ができちゃったらおじさん達寂しがるのよ」
ふふ、とうちで雇っている仲居さんが私に耳打ちして微笑んだ。看板娘というよりは何だか、昔から知っている人ばかりだから孫のように見られている気がしなくもないけれど…。
「いらっしゃいま…せ……」
お昼も終わるそこそこの時間。お客さんもまばらになってきた時だった。開いたままの出入り口、下がる暖簾の向こうからふらっと入ってきたその人はとても印象的な人だった。
「……」
「……」
その人を一目見た瞬間、時が止まったような感覚だった。周りが何も見えなくて、その人だけが私の視界を独占する。
髪は長く、結わずにそのまま流していて毛先だけ色素が抜けているようだった。私よりも幾らか高い身長だけれど、服のサイズが合っていない。もう2回りくらい大きい人が着ていて丁度いいサイズな気がする。
何も言わずに私の目の前まで歩を進めてピタリと止まる。透き通った瞳に吸い込まれそう。
「君のことかな」
「え?」
見惚れていた、というのが正しい表現だろう。その人しか映らなかった世界からいつもの世界に戻る。発せられた言葉に我に返った私はお客様かと思って案内しようと思ったけど、どうやら違うようだった。
「稀血がいるっていうからこれを渡しに来た」
ぼやっとしていた私にその人は懐からお守りのような巾着を取り出した。そしてそれを私の目の前にはい、と突きつける。何だかお花のようないい匂いがする。
「持ってた方がいいよ」
「え?え??」
「それだけ」
差し出されたそれを戸惑って受け取らないでいると、その人は私の手を掴んでその巾着を握らせて、くるりと綺麗な髪をなびかせて暖簾の下をくぐって店を出て行ってしまった。このやり取りを見ていたお店の中のお客さんが不思議そうな顔をしている。いや、私も不思議です。マレチって言ってた…?一体これは何なのか。ドクドクと収まらない心臓の音を振り切るように私も暖簾の下を潜ってお店を出た。
「ま、待ってください!」
ガヤガヤと賑わう町の中、背中に”滅”の一文字を背負うその人を見つけるのは簡単だった。後を追って声をかけるけど止まってくれない、見向きもしてくれない。ダボついたその服の端を摘んだ。
「あの、お返しします!」
「……いや、ダメだよ持ってなきゃ」
「いえ、見ず知らずの方から何かを貰うなんてできません」
無理やり持たされた巾着を返そうとするけど、腕がピクリとも動かない。その人は私をジト目で見てため息を吐いた。
「説明しても信じないでしょ、だから…」
ぐぅ…
「……」
遮るように音が聞こえた。私ではない。周りに人はいるけど、これは周りにいる人の距離で聞こえるものではない。だとすると、その音を鳴らした主は一人しかいないのだ。現に、この人は自ら口を閉ざしている。他人の音だったら気にせず話しているだろう。恐る恐る、私はその人に訪ねてみた。
「……お腹、空いてます…?」
「……」
「……」
「…………空いてる」
ポソっと、目を逸らして零したその言葉に私は頬を緩ませた。
「では、これをもらったかわりです!食べて行ってください!」
「……」
「ね!」
観念したかのようなその人を半ば無理やり、お店へ連れ込むことに成功した。
よくわからないものを貰ったお礼、というのは正直なところ建前だ。この人のことをもっと知りたい、って思ってしまった私の私利私欲の為であることは誰にも言わない、私だけの秘密。