信じていたい人
「鬼の匂い?ちゃんから?」もしそうだとしたらとっくに気付いてはいると思うけど、念の為の確認だった。ただ、炭治郎でも気付かなかった鬼がいることは事実だから、しないと言われても、じゃあ鬼じゃないですね、とは言えない。
「しないよ、ちゃんからは明るい匂いがする」
隣を歩く炭治郎は、目を細めて僕に笑った。が鬼であるならば、僕たちが鬼殺隊とわかっているならば警戒するはず。でもそれもないってことは、やっぱりは鬼ではないということなのか。
「あと、時透くんといた時は甘い匂いがしたなあ、好かれてるんだね」
「すき、ねえ、いいねえ」
炭治郎と手を繋いでいる禰豆子が顔を明るくさせて僕を見上げた。なんとなく、その表情が今の僕に向けられるのはそぐわない気がして顔を逸らした。
「どうしてちゃんが鬼だって思ったんだ?」
「鬼じゃなければ、僕に執着している理由なんてないでしょ」
鬼から絶体絶命の時に助けた訳でもない、ただ香り袋を渡しにいっただけだ。優しくした覚えもない。それなのに、何がよくてそんなに僕に会いたいのか、わからないんだ。だから、信じたいとは思ってもこうして潔白を証明できずにいる。
「……好きだからじゃないのか?」
「何もしてないのに、そんな都合いいこと、」
「あるよ!人が人を好きになるのに明確な理由とかはないんだよ」
「……」
あれが僕を騙そうとしている演技なわけじゃなくて、本来のものだとしたら僕はのことが好きだっていうことになる。会えば同じように脈拍は上がるし、自分でも後から冷静になれば驚くような言動になる。
「炭治郎は、人を好きになると、人ってどうなると思う?」
「え?うーん…そうだなあ、その人のことで頭がいっぱいになる、とか」
「あとは」
「ふとした時に思い出して会いたいなあってなるとか…」
「…あとは?」
「一緒にいるだけで心が安らぐ、とか!」
求めている答えのような違うような、納得できずに質問攻めにしているとそこはかとなくの声が聞こえた。炭治郎は気づいていない。人が多いから匂いが混ざっていて気付かないのか。
今はお昼時に炭治郎とがいる町を歩いていたのだ。炭治郎の鼻を借りる為に。
「……とられたくない」
「え?」
「誰か、他の男にとられたくないって思うのは?」
歩みを止めた僕が見ている先を、炭治郎も追ったんだと思う。人混みを掻き分けた先のそこにはと、年の近そうな知らない男が仲睦まじげに話している姿だった。いや、はあまりいい顔をしていないが、男の方がの腕をとって偉そうにしているように見えた。
「貰い手も見つからないんだろ?」
「うるさいなあ…」
「俺が貰ってやるけど」
「ええ、何様なの」
別に、同い年くらいの男友達なんていても何ら不思議ではないし、みたいな人間ならいない方がおかしい。みんなとよく話すとかどうとかこの前も言っていたから。でも、そこにいる二人のやりとりを見ていて、いい気はしなかった。
「祭り行くのだって断られたんだろ?時透くん、だっけ」
「それは…そうだけど」
「今年も俺が付き合ってやるからさ」
今年も、って、毎年そいつと行ってるんだ。だったら、今年だって僕なんか誘ってないでそいつと行けばいいのに。そう、思うのが普通のはずなのに。
「祭りって…、いつ?」
「……八月八日」
実際、その日が稀にある非番の日と被っていたら一緒に行けたけど。いや、どうして一緒に行くだなんて考えになるんだ。そんな考えを持つこともおかしい。
「代わろうか?俺」
「……」
「非番なんだ、その日」
何のことだ、と炭治郎の方を向けば、ニコニコと笑っていた。自分は柱であるのに、私情で階級が下の隊士に任せてもいいものなのか。今は前より鬼の出現がおさまっているとはいえ。
「それに、ちゃん狙われやすいから夜に外出歩くなら守った方がいいんじゃないか?人通り少ないところに行かれるのも危険だし」
そういえば、あの人が言っていた。花火を見るのに人が少ない穴場があるって。もしあの男がそれを知っていたとしたら、きっと連れていくだろう。そんなの、自ら食べてくださいなんて言っているようなものだ。
「お前相手にしてやれるのなんて俺くらいしか、」
「」
離れた場所にいるその男の言葉を遮って、名前を呼んだ。するとは男に嫌そうな顔をしていた顔を一変、柔らかい表情を僕に向けた。掴まれていた腕を払ってこちらへ駆け寄ってくる。
「時透くん!」
その姿に、さっきまで胸の中でグツグツしていたものが消えた。住む世界が僕とじゃ違うんだから、今こっちを不満気に見ているそいつか、もしくは別の男とこの先いることがいいはずなのに、それが嫌だった。何しろ、こうして僕が名前を呼べばこっちに駆けてくることにひどく優越感を味わってしまった。
「炭治郎くんもお久しぶりです!禰豆子ちゃんも!」
「うん、久しぶり」
「ひさしぶり!」
「時透くん、さっきの質問の答えだけど、」
律儀に二人にも挨拶する。可愛いって思うけど、最初に会った時から思っていた”可愛い”とはなんとなく違う気がする。僕に話しかける炭治郎へは視線を向ける。それと同じく僕も炭治郎を見た。
「好きになった相手にしか思わない気持ちだ!」
ああ、やっぱりそうなんだ。腑に落ちた。わからないフリをして、僕に近付く理由まで考えすぎて。
それが一番説明が付くんだ。誰かにとられたくないなんて、今初めて思った。
「な、何のお話…?」
「わかった」
「え?」
「行こう、花火見に」
僕と炭治郎のやりとりを首を傾げて見ているにこの前の返事を一転、覆した。は瞬きを繰り返して、口を半開きにしている。徐々にその目は丸く大きくなっていく。
「いいの!?」
「うん。まあ、何かあったら途中で帰るけど」
「うん!全然いいよ!ありがとう!」
「あと、」
「うん!」
「ごめん」
「…?なに、!」
さっきまであの男に掴まれていた腕と同じ箇所を掴んで引き寄せた。藤の花の香りがふわっと香ってくる。今日はちゃんと持ってるんだ。
やっぱり、が鬼なわけはない、きっと。
「え、あの…!、?」
「僕、のことが好きなんだと思う」
「へ」
もしも鬼だとしたら、その頸を切るだけ。でも、斬りたくないと思った。例え騙されていたとしても、そのくらい特別な存在になっていた。
顔はすぐ横にあって、が今どんな表情をしているのかはわからない。でも、心臓の音はよく聞こえる。それがとても心地いい。
「なかよし、なかよしねえ!」
「こら禰豆子!」
「!」
しばらくそのままでいると、はすぐ側にいた炭治郎と禰豆子の存在を思い出したかのように僕の肩をぐっと押して離れた。顔が茹ダコのようになってる。
「わ、私…」
「……」
「私も、!?」
「、」
返事なんて、もう知っているけど。が何かを言い出そうと顔を上げた時、多分誰かに押されたんだ。あの時のように支えようと思った。あの時のように支えようとしたけど、いや、支えたけど問題はそこではなかった。あまり身長も変わらないから、目の前でこっちを見上げた時に後ろから押されたら、口と口が触れ合うのなんて当然でもあった。
「ねっ禰豆子!!ダメだろそんなことしちゃ!」
「………うわあぁあ!!」
を押したのは、禰豆子だったらしい。そしてそのはというと、僕に何を言うこともなく、叫びながら逃げていってしまった。