兎は思い出を語る
隣で美味しそうに三色団子を頬張る姿を見て、可愛いと思いつつも一つ疑問があった。「前に、他の店なんて入らないでって言ってたよね?」
「…?ああ!」
「こういう店はいいの?」
時間が時間だった。いつも昼過ぎに行く時間もとっくに過ぎて、夜になる前に顔だけ出そうと思っていたところだった。準備中の札の前にはが掃き掃除をしていて僕の姿を見るなり顔を明るくさせた。
行きたい場所がある、と連れてこられた店が町外れにあるこの小さな茶屋だった。
「私のお店は食事処だから。茶屋は例外なんです。うん、やっぱりここのお団子美味しい!」
ペロリとこのお店の看板菓子らしい三色団子を平らげた。知らなかった、こういうの好きなんだ。多分、まだまだ知らないことは沢山あるんだろうけど。こうして知っていければいいと思っているから、わざわざ聞いたりはしない。
「はい」
「?」
「食べていいよ」
二本あった内の、まだ手をつけてない方の一つをの前へ差し出した。そんなに美味しそうに目の前で食べるものだから、分け与えたくなる。
は一瞬ぽかんとしていたけど、口をパクパクさせてから何かを決心したように動きを止めた。何してんだろ。
「いただきます!」
そう言うなり、僕の持っている三食団子を受け取らないまま一つ口に含んだ。ぐぐ、と串から団子を抜いて、頬張るその姿に呆気に取られる。
「……何してんの?」
「…え!、これはその、あーん、って、ことじゃ、」
「…まあ、それでいいけど」
「違ったの!私の早とちり!?」
ああもう、と両手で顔を抑える。前だったら多分、何してんだろうこの子は、としか思わなかっただろう。それが今となっては全く違うものになっているから、最近は自分に驚くことが多い。
「あ、雨」
そろそろ行かなきゃならないんだけど、茶屋を出るときにしとしとと雨粒が降ってきた。僕は構わないけどこの子は大丈夫なのかなと気にすれば、その手にはしっかり傘が握られていた。そういえば、の店を出る時に傘を持ってたな。雨が降りそう、とか言って。
「随分立派な傘だね」
「これ仲居さんの傘で。置いていっちゃったやつなんだ」
「人のもの勝手に使ってるの?」
「しーっ、今日だけ!だって小さいの二つより、大きいの一つの方が、二人で一つを使えるから」
口元で人差し指を立ててから、その大きな傘を開いた。高価そうな花柄の傘で、本当に勝手に使って大丈夫なのかと疑問だったけど、これしか持ってきてないのなら仕方ない。
入って、なんて僕に向かって言うものだから、が開いた傘をひょいと奪った。
「ねえ時透くん」
「何」
「前にね、嘘は吐かない、私には話すか話さないか二つしかないって言ったよね」
「…言ったね」
「話さないことってどんなこと?」
人通りの少ない道を歩く中、ついこの前言ったことを尋ねられた。意外と覚えてるんだよね、人の言ったこと。覚えてるけどきかないっていうのはしょっちゅうだったけど。香り袋とか。
「言っても無駄なこと」
「話して!」
「無駄なんだってば」
「でも知りたい」
「信じないよ」
こればっかりは、が知らない世界のことだから。話しても無駄というよりは、話したくない。自身が今直接的に危険であるわけでもないし、知らないなら知らないままの方がいい。鬼に怯えながら暮らす生活なんて生きた心地がしないだろう。
「信じるか信じないかは私が決める」
「…何かっこつけてんの。知らなくていいよは」
折角今、あの穏やかな町で暮らせているんだ。鬼の気配だってないし、藤の花の香り袋だって身に付けているから襲われることはほぼないだろう。だからこそ隣町にいるはずの鬼も討伐したいのに、なかなか思うように見つからない。
返事がしなくなったが気になって隣を見た。ちょっと冷たくしちゃったかな、と思ったけどそうでもない表情だった。
「じゃあ、代わりに私のこと教えるね!」
「じゃあって、話に脈絡がな、」
「名前は、歳は時透くんと一緒です。家は食事処で数年前から手伝うようになりました」
いつもの明るい口調で、自己紹介をはじめた。さっき自分の中で、これからそういうのは知っていければいいと思ったばかりなんだけど。
「毎年の楽しみは、花火大会!でも、花火は綺麗だけど幼なじみとしか見てないから好きな人と見れるの憧れるなあって思ってました」
「……」
「ある日突然、目の前にその人は現れました」
まるで昔話の冒頭のような話し方だった。ゆっくりと、そんな昔でもないくせに懐かしむように思い出がの口から溢れてきた。
「その人に見惚れた私は食べていきませんかって誘って。ちょっと強引だったけど…。でも、初めて自分が焼いた魚をお客さんに出して、その人は美味しいって言ってくれたの。それがすごく嬉しくて、また来てくれるかなと思ってたら、それ以来暫く来なくなっちゃって」
「……」
「とても寂しい思いをしていました。寂しくて死んじゃうところでした。それはもう兎のように目を赤くしながら」
「だから、それは別に約束してたわけじゃないし」
「でもね、同じ稽古をしているらしい男の子が連れてきてくれて。奇跡でした。でも奇跡じゃなくて、やっぱり運命だったのかなーって、都合いいけど、そう思うようにしてるの」
そう話してから、傘を持つ僕の手に自分の手を重ねた。
「それからは、私に折り紙教えてくれたり紙飛行機飛ばしに行ったり、一緒にご飯食べたり、……後、私を濡れないようにしてくれたり。その人のおかげで、曇りがかっていた私の心の中が晴れていく気がして」
重なった手に、若干力が込められる。小さい手なのに、包み込まれてるような感覚だった。
顔を上げたと視線が交わる。
「それが私の好きな人で大事な人なんだけど、名前は時透無一郎くんっていうの!」
「……」
「時透くんといると、どんな天気でも晴れちゃう気がして」
前に言っていた。晴れ男だとかどうとか。けど、逆なんだ。僕からしてみれば、から色んな感情を教えてもらった。変わった子から、好きな子へと気持ちが変わった。だから、といると心の中が晴れていくのはこっちの方だ。
「あ、ほら、晴れた!」
一層大きな声を出したかと思えば、手を離して大きい傘から出た。丁度、町の景色が一望できるような場所で、雨上がりの町が夕日に照らされていて幻想的だった。その景色を見て感動しているを見ていると、急に振り返った。
「ねえ、時透くんも思い出話しない?」
「しない」
こちらへ戻ってきて、目を輝かせて僕を見上げたに顔を背けた。そんな目で見られたところで長ったらしく過去の話なんて語らないよ。僕に話してほしいから急に自分から語り始めたのか、意外と策略家なのか。
もう町もすぐそこだし、時間もそこそこだし、ここで今日は別れようとした。何事もなく。それなのに。
「…えへへ。こっち向いてくれた」
いまだに傘を持つ僕の袖をくい、と引っ張られたかと思えば、頬に柔らかい感触がした。その犯人は照れ臭そうに口元を抑えている。
何、してんだろう。
「!」
周りには誰もいない。けれど、幻想的な町から隠れるように傘の中へを引き寄せて、日の光が射してこない中での唇に自分の唇を重ねた。
そっと離すと、恥ずかしいのかは俯いた。けど、こっちはそれだけじゃ足りなくて、の頬を包み込んで唇を塞いだ。癖になったんだろうか、一回や二回じゃ全然足りない。もっと欲しくなる。
その柔らかい感触を堪能するように、頬を包み込んでいた手は髪の毛に絡ませるように後ろに回して、夢中で何度も口付けた。