紆余曲折

蝉の鳴く声と

「こっちこっち!」

今日もまた、時透くんはお昼過ぎに来てくれた。今まで私はもし他のお客さんが来たらその人にも対応できるようにと準備中の札はかけていなかったけど、最近はかけるようにしている。二人きりが良くて。お父さんに知られたら怒られそうだけど。
時透くんの手を引いて登る階段。いつもお父さんが上げているお線香がいい香りを残す仏壇の前に連れてきた。

「お母さんだよ」

お母さんがいないことは気付いていただろうけど。お母さんだよ、と言っても飾られているのはお母さんが使っていた簪だけ。先が折れちゃってるけど。

「お母さん、山で足を踏み外しちゃって」

探しに行った私が見たお母さんは、お母さんと呼べるような見た目ではなかった。今まで、山に山菜を採りに行って怪我をして帰ってきたことなんてなかったのに。でも、それがあってから山に山菜を採りに行くときはこの町の人みんな気をつけるようになった。

に似てたの?」
「うーん…、どうだろう。たまに昔のお母さんそっくりだなって言われるよ」
「似てるってことじゃん」
「でもお母さんすごく綺麗なの!お母さん、時透無一郎くんです」
「…こんにちは」

お母さんの前で時透くんを紹介する。私の大好きな人をお母さんに教えたかったし、時透くんにも知ってほしかった。後、知ってほしいことがもう一つ。繋いだままの時透くんの手を再び引っ張って隣の部屋に行く。

「こっちが私の部屋!結構頑張ってるでしょ」
「頑張ってるって……食事処の娘だよね?何の練習してるの」

机に広げられているのは、鶴の他に大量の紙飛行機。普通は多分、料理の本とか山菜図鑑とか、そういうのがあるのかもしれないけど、時透くんのように死ぬほど飛ぶ紙飛行機を飛ばしたくて練習中なのです。
机の前に座って上手くできた紙飛行機を見せた。雑、と一言返ってくる。時透くんは折り紙を一枚とって紙飛行機を作った。

「見た目が全然違う…」
「普通に折ってるだけだけど」
「普通に何でもできちゃうんだね、時と…、」
「……?」
「……無一郎くん」

いつも通りに名前を呼ぼうとしてやめた。甘露寺さんが来てくれたあの時からずっと考えていた。名前、呼びたいなって。でも炭治郎くんは時透くんって呼んでいたから、もしかしたら名前で呼んでいいのは限られた人だけ、なんて考えたり。時透くん、甘露寺さんに敬語も使っていたし。炭治郎くんが最初から名前で呼んでいたら合わせて名前で呼べたのに。

「って、呼んでも、いいですか…?」

窺うように、恐る恐る時透くんを見上げると、時透くんは瞬きを繰り返す。

「………………ダメ」
「……!………!!」

沈黙が続いた後、時透くんは一言そう告げた。
断られた。やっぱり名前で呼ぶ人は限られているんだ。今すごく、心にこう、グサリと来てしまった。胸を抑えてこの動悸をどうにかしようとしていると、時透くんの手が私の頭に触れる。

「ごめん、嘘。可愛かったから。そもそも別に許可いらないけど」
「……無一郎くん!」

また、距離が縮まった気がした。名前を呼びながら腕にぴとりと絡みついた。初めて一瞬だけど嘘を吐かれてしまった。
でも、名前を呼ぶことだけでこんなに胸がポカポカするのは、無一郎くんが私の好きな人だから。無一郎くんといると、どんな些細なことでも嬉しくなる。

「無一郎くんもね、かっこいいよ」
「前聞いたよ」
「何回でも言う!かっこいい!あと優しいのと…」


無一郎くんに体重を預けていた私の両肩をぐいと押して離される。見上げた先の無一郎くんはゆっくりと近づいてくる。何度かしているそれを察して瞼を閉じると降り注いできたそれが、くすぐったくて、でも温かくて。多分、こうされたいって、癖になっている。

「ん、」
「……」
「っ、ん…」

続けている内に、前と同じようにざらりとした感触に肩を震わせたけど、前とは違ってそれだけで終わらなかった。そのままぬるりと入ってきたそれも受け入れてしまった。見事なまでにされるがままだ。目は恥ずかしくて開けられない。漏れる自分の声が自分のものじゃないみたい。
音が厭らしくて耳を塞ぎたくなるけど、そもそもそんな力が入らない。また変な気分になってくる。

「……無一郎くん」
「……今、よく喋れたね」

半分、押し倒されているような体勢で恥ずかしさから逃れるように名前を呼んだ。止めてくれるかわからなかったけど、喋れるとは思っていなかったようでそれを一旦止めてくれた。

「あの、」
「何」
「紙飛行機飛ばしに行きませんか…?」

蝉も元気よく鳴いているくらいには、とてもいい天気だ。風もなさそうで。雰囲気ぶち壊しと言われようとも、ただたださっきから私には蝉の鳴く声と厭らしい音しか聞こえなくて、身体中が熱い。机の上の置いてある紙飛行機に手を伸ばそうとすると、パシ、と掴まれ阻まれた。

「て、天気もい」
「やだ」

ぐい、と肩を押され、そのまま畳の上に倒された。緩くだったので、痛くはない。目の前には、無一郎くんしかいない。重力に従って私の両側に降るその髪のせいで、二人しかいない世界に閉じ込められたようだった。片手は繋いだまま、指を絡ませて畳の上に縫い付けられる。近付いてくるその綺麗な瞳に映る自分が恥ずかしくて、もう一度目を閉じた。ギュ、と噤んでいた唇がこじ開けられて口内を侵食されていく。嫌じゃないけど、心臓の音もうるさい。

「舌、だして」
「、…っ」

頭がぼーっとしているわりに、すんなりということを聞いてしまう。薄く開いた視界に映る無一郎くんがやけに色っぽく見えた。無意識に言われた通りにするとすぐさま絡みとられた。口の端からだらしなく涎が垂れて頬を伝う。身体中が熱くて、恥ずかしさで涙が溢れそう。

「…は…ぁ……?」

意識が朦朧としていく中、一度離れたそれに無一郎くんを見上げた。涙で視界が滲む。肩で息をしている私を見下ろすその表情になんとも言えず、空いている方の手の甲で口元を隠して目を逸らしてしまった。

「ねえ」
「…はい」
「触りたい」

一瞬なにを言い出したのか理解できずに固まった。けれど私の胸に手が触れた瞬間、我に返り押し返してしまった。

「!!いや、」
「…嫌?」
「そ、そうではなくてその……」

不満そうにするわけでもなく、純粋に疑問を持つような眼差しを向けられる。嫌、ではない。多分。でも、これ以上はちょっと、その。どう言葉にしていいかわからなくて視線を泳がせていると、こっち見て、と言わんばかりに温かいその手に包み込まれた。

~二階か~?おー仕込み手伝え~!」
「……お、お父さん!」

ガララっと下の扉が開く音がして、いつも店に響く声が聞こえた。
その声に無一郎くんも私の上から退いて、起き上がらせてくれた。

「し、心臓が」
「?」
「心臓が爆発しそうになるので…」

下の調理場でガチャガチャやっている音がしている。無一郎くんの胸におでこをくっつけて、それだけ伝えた。嫌じゃないけど、私はきっと破裂してしまう。

「心臓は爆発しないから大丈夫だよ」

さらっと言ってのける無一郎くんの表情が、笑ってはいるもののあの柔らかい笑顔ではなく、初めて見るものだった。


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