こんな日はいつも外が暗い
ここのところ、ほぼ毎日のように来てくれていたから数日会えないだけで不安になった。そもそも、もう今後会いにきてくれることはないんじゃないかって、あの日の後ろ姿を思い返した。--コンコン--
いつも通り、お昼の営業が終わってお父さんが買い出しを終えるのを待っていた。無一郎くんがいない時、この時間に自分が何をしていたか全く思い出せない。鶴ももう、千羽折り終わってしまった。
机に肘をついてぼんやりとしていると、準備中の札を表にかけたその扉に人影が映った。
「はーい、昼の営業はおわっ…」
「手紙を届けにきました」
無一郎くんなら、合図なんてせずに入ってくるから普通にお客さんだろうとその扉を開けると、町では見たことのないおじいさんが佇んでいた。
その人から手紙を受け取ると、それでは、とすぐに踵を返して立ち去って行ってしまった。
受け取った手紙の宛先はお父さんでもなく、私だった。
「……仲居さん」
扉を閉めてからその手紙の内容を確認すると、それは仲居さんからのものだった。暫く休んでいたけど身動きが取れないほどになってしまった、お見舞いに来てくれたら嬉しい、他に頼る人もいないから苦しい毎日を送っている、このままだと死んでしまうかもしれないと、地図を添えて。
「……」
無一郎くんの言う通り私は、仲居さんに食べられてしまうんだろうか。歳の離れたお姉さんのように慕っていた。食べ物の好き嫌いをしたら注意されたし、食べ方は綺麗じゃないといけないって躾けられたりもした。
一度大きく息を吸って、目を瞑った。胸に手を当てて、貰った香り袋がしっかりそこにあるのを確かめた。
仮にもし、思いたくないけど、本当だとしてもきっとこれがあれば大丈夫。
無一郎くんの考えすぎだったら、仲居さんが山奥で一人ぼっちになってしまう。
お見舞いに食事や水を持って、お父さんに手紙だけ置いて店を出た。少し、様子を見に行くだけ。夜までには帰ってこれるはず。
貰った手紙の地図は少しわかりにくくて、かなり迷ってしまった。途中ポツポツと雨が降ってきて、傘を持ってきていないことと、仲居さんに渡す傘を忘れてしまったことに気付いた。暗くなる前に帰らないと。
地図を頼りに歩いていると、小さな小屋が目に入った。もしかして、あそこかもしれない。
「ちゃん、来てくれたの」
「……大丈夫ですか!」
小屋に近付くと、いつも聞いていた優しい声が中から聞こえて安心してしまった。山の中が雨のせいで薄暗くて、少し怖くて。
「入ってもいいですか?」
「ええ、勿論。会いたかったわ。でもその前に、荷物、置いて入ってきてくれるかしら?」
「…?わかりました」
「ああ、ダメダメ持ってるものだけじゃなくて、身につけてるその香りがするのも」
持ってきたものを側に置いて扉を開けようとすると、制された。それと同時に、胸がドクリとした。
毒だって、そう言っていた。鬼は藤の花が。
「その匂い、頭が痛くなって…ごめんねえ、今もちょっとキツイのよ。香水とかが苦手で」
「……」
無一郎くんは、そんなに簡単に人が殺されるとか、言う人なんだろうか。いや、言わない人だって言うのはわかる。だからからかっていたわけでも冗談を言っていた訳でもないことは百も承知で。
「ちゃん?どうしたの?何かあった?」
「いや…」
偽物、なんだろうか。この優しい声色が。全部、嘘だったんだろうか。扉にかけていた手が震える。そっとその手を離して、置いた荷物の中にある、あるものを拾った。
「私、鶴折ってたんです、ずっと。持ってきました。やっと千羽折れたんです」
鬼であってほしくないから、自分が安心できるような言葉をくれるように声をかけてしまう。二年間もずっと、ほぼ毎日一緒にいて、騙されていただなんて思いたくない。
「鶴?」
「……、病気が、治りますように、って」
「そう、優しいわねちゃんは。じゃあそれ見せてもらってもいいかしら?匂いの元は置いてね」
簡単な話なんだ。どちらを、信じるかなんだ。仲居さんと、無一郎くん。二人とも大事な人なのに、どちらかだけしか信じることができないなんて。
どうしよう、どうすればいいかわからない。一人じゃ私、本当に何もできない人間だ。
「……」
ふと、視界に見覚えのあるものが飛び込んできた。
紙飛行機だ。あの時飛ばしたものだ。折り紙の柄がそう。飛ばした場所は全く違う場所なのに、こんなところまで風に流されて飛んできたのか、ボロボロの紙飛行機を見て思い出した。
「あの、私好きな人がいるんです」
「…はあ……?」
仲居さんとの思い出だって沢山ある。大事な思い出。でも、時間は短いけど無一郎くんとの思い出だってもう、沢山ある。まだまだこれからも増やしていきたいって思ってる。
「私、その人とまた来ます!いつになるかはわからないけど…」
「は、」
「これをくれた人だから、頭が痛くなる理由もわかるかもしれないし、私これ、何があっても外したくないんです。外したらもう会えなくなっちゃう気がして」
その前に、もうその可能性は低いのだけれど。でも、あんな中途半端に別れたままいなくなってしまうなんて、きっとないって、そう思いたい。
「ちゃん?私、身動き取れないのよ?苦しいのよ?」
「そしたら、一度戻って私以外の人を連れてきます!だから待ってて、」
「いい加減にして!早く来なさい!!!」
一瞬、何が起こったのかまるで理解ができなかった。持っていた千羽鶴はぐしゃっと弾け飛び、目の前にあった扉は貫かれていて、腕が出ている。その腕は私の首をぐっと掴んで離さない。苦しい、手が、人の肌に見えない。
「ぐっ…、っ藤の花が…、捨てなさい、どこに隠し持ってる……!」
「っ…、ぅ…」
こうされて初めて、やっと、怖いと思った。首を掴まれている手に爪が立てられている。痛い、苦しい。扉から突き抜けてきたその腕が私の体を持ち上げる。地面に足がつかない。
「鬼狩り呼ぶなんて野暮なことしようとするんじゃないわよ、ねえチャン?」
意識がだんだんと遠のいていく。扉の隙間から見えた私の名前を呼ぶそれは、私が知る仲居さんではなかった。夥しい化け物だった。
「一度殺して他の人間に取らせるか…ああでも鮮度が……、チッ出しなさい、毒を早く。出せば遺書くらい書く時間与えてやるから」
ぐっと更に首を絞められる。ああ、死ぬ、私はここで死んでしまう。目の前のことに何も理解できないまま、ぐらつく視界。頭の中は恐怖でいっぱいだった。
「!」
朦朧とした意識の中で、私を呼ぶその声だけは、鮮明に聞こえた。