押して押されて
「…………」「…………」
「ねえ」
「はい」
「食べ辛いんだけど」
「えっあ、そうですよねごめんなさい!」
突然現れた瞳の透き通ったその人は、机の向かいで肘をついて食事の感想を待つ私にそう告げた。
お客さんも今はもういなくて、お父さんはこの人に食事を出すなり買い出しに出かけてしまった。ちなみにお父さんがいないと食事は提供できないので、お店の前には準備中、と札を掛けてある。仲居さんも休憩に出たので、今このお店には二人しかいない。
「何してるの?」
「あ、いや…、えーと……あ、名前!知りたいなあって…」
「……」
「私はって言います!」
机から立ち上がったはいいものの、特にやることもなく、食事中の人がいる中お店の中の掃除もできないしうろちょろとしていたらそれがまた気になったらしく、怪訝な顔をされた。
「あ、怪しいものじゃないので……」
「そんなことわかってるよ。怪しかったらこの店に入ってないし、君にそれだって届けてない」
「ああ、これ…」
ゴクリ、と食べていたものを飲み込んで、私が棚の上に置いたさっきもらった巾着に視線を送った。ていうか、黙々と食べてくれているけど、美味しいかな、魚は私が味付けしてみたんですけど…。
「この辺り出るらしいから」
「出るって?」
「鬼」
「ああ、鬼…気をつけます!」
そういえばおじいちゃんも昔言っていたな。夜は鬼が出るから気をつけて、と。悪い子は食べられちゃうよって脅されたんだ。だからいい子でいなきゃいけないって。
私が体の前で拳を握ると、呆れたようにため息が一つ溢れた。
「そんなとこに置いておかないでちゃんと持っててよ、鬼避けだから。持ってなくて襲われても助けないよ」
「わかりました!」
「じゃあ、ご馳走様」
いつの間に。もう全て綺麗に平らげていたその人は席を立った。魚も綺麗に骨しか残っていない。
スタスタとお店の出入り口に向かって去ろうとするその腕をとった。いや、とろうとした。
「何」
「……」
するっとかわされてしまった。全くこっちのことなんて見ていなかったのに、どうしてわかったんだろうか。でもそんなことはこの際どうでもよくて。
「魚、どうでした?焼き魚…。焼き加減と味…」
実は、今まで私は自分が調理したものを人様に出したことがなかったのだ。全て自分が食べる時のみ。でも、初めてこの人に食べてもらいたいっていう人が現れた。こんな感覚は初めてだ。目の前のその人は様子を伺いながら尋ねる私に首を傾げながらも答えてくれた。
「美味しかったよ」
「…!!」
「食事を売るお店なんだから美味しくてあたりまえで、」
「ありがとうございます!嬉しいです!!」
「……」
さっきはかわされてしまい掴めなかったけど、今度はしっかりと片手を両手で握れた。ずい、と顔を近づけてお礼を言うとその人は一歩後ろに下がる。
「あの、私、一目惚れだと思うんです」
「……一目惚れ?」
「はい、だから…」
この人がお店に入った時のあの感覚は、絶対にそう。この人の為に腕を振るって美味しいご飯を作りたいって、そう思ったんだ。胸のこの高ぶりはこの人の手を握って、もっとうるさくなった。
「また来てくれますか?」
「……」
「今日より、美味しいご飯を作ります!全部私が作ります!」
「……」
「好きな食べ物、なんですか?普段なくても特別に作ります!」
ぐいぐいと迫る私に目の前のこの人は表情は変えずとも、顔に書いてある。突然何を言い出すんだ、と。でも、どうしてもまたこの人にここへ来て欲しくてどうにか口実を作ろうと必死だった。
後ろに下がるその人に私は離れたくなくて距離を詰めていくと、出入り口の扉に背中があたったらしくもうそれ以上下がることはなくなった。
「教えてください」
「また、来れるかわからないし」
「来てください!」
ずい、ともう下がることのできないその人へ顔を近づける。瞳が本当に綺麗。その瞳に映る私もまた自分では想像できないくらいキラキラさせていた。この人の瞳に映るからキラキラしているように見えるのだろうか。
「約束できな、」
「お願いしま、あ」
突然、ガラリと後ろの扉が開いて、視界がぐらついた。手を離していないから、その人が後ろへ倒れ込んでしまったのに巻き添えになってしまったのだ。
ぶつかる、と思って反射的に目を閉じてしまったけど、特に誰かとぶつかった衝撃はなく、むしろ抱きとめられたような感覚だった。抱きとめられた……?
「おい!何やってんだおめえ!」
「!!」
「すみませんねえうちの娘が…これだからお前ってやつは…」
手を離さなかった私を、一瞬後ろに倒れこみそうになったけどすぐに立て直した目の前の人が抱きとめてくれたのだ。ダボっとした服を着ていてよくわからなかったけど、がっしりしている。多分。他の男の人に抱かれたことなんてないからわからないけど。
扉を開けた張本人のお父さんは私を抱きとめたその人に謝って、私もそれに続いた。
「す、すみません…」
「いいけど…」
「おおい何やってんだまだ日も暮れてねえぞー!」
「ちゃんももうそんな年頃なのねえ」
「姉ちゃん結婚するの~?」
「違う!しません!!」
商店街だから致し方ないのだけれど、わらわらと賑わう中、目撃者が少ないわけがなかった。あちらこちらから一部始終を見ていた人たちから茶化される。そんなこと言ったらもうこの人来てくれなくなっちゃうじゃん……!
「ふろふき大根」
「へ」
恥ずかしさに俯いていると、降ってきた声に顔を上げた。表情は変わらない。けど、目を逸らされた。
「好きな食べ物。君が聞いてきたんでしょ」
「……!お品書きに入れます!」
透き通る瞳に映る私は、やっぱりキラキラしていた。またこの瞳の中の自分が見れるってことなのだろうか。とても嬉しい。
じゃあね、と言って人混みの中去っていくその後ろ姿を見送った。そして同時に、あることに気付いた。
「……名前聞くの忘れちゃった…」