やらなきゃいけないこと
あれ以来、もう随分と会っていない。時間に換算するとそうでもないかもしれないけど、会いたい人に会えない時間をずっと過ごすのは私には堪えた。それでも、それは自分の蒔いた種なんだ。無一郎くんからすれば、私のような人間なんてもう会いたくないに決まっている。「いたそう、ねえ」
眩い炎天下の中、外の掃き掃除をしていた私の着物をぎゅ、と掴んで顔を覗き込んだのは、禰豆子ちゃんだった。眉を下げて私を見つめる。痛そう、と。
「ちゃーん!」
私を呼ぶ声に顔を上げると、久しぶりに見た、その服。明朗快活な声を町に響かせながら、禰豆子ちゃんに掴まれている私の元へ炭治郎くんは歩みを進めた。
「……炭治郎、くん」
「久しぶり!そろそろ花火大会の日だよね?」
「花火大会……」
「……?どうし、」
「うわあああん!!」
持っている箒を放り投げて、私は炭治郎くんへ膝を崩して縋りついた。花火大会だって、折角予定をあけてくれたのに、もうそれも叶わない。懐から香る藤の花の香りが余計に寂しさを著しくさせるのだ。
「どうしたの!禰豆子が何かしたのか!?ごめん!」
私が泣き出したことで周りから怪訝な目を向けられているであろう炭治郎くんが私に謝る。違う、そうじゃないんだ。謝りたいのはこっちなんだ。縋り付く私に禰豆子ちゃんの手が私の頭を撫でた。きっと、無一郎くんがいる場所にはこんなに優しい人たちが沢山いるんだ。その人たちが命をかけて鬼と戦っているのに、私はその優しさを踏みにじった。いつまでも泣き止まない私に炭治郎くんは一先ずお店に入ろうと私を促した。
扉には準備中の札をかけて、泣きながらお茶を出した。いくらか落ち着いた私はこの前あったことをしゃくりながら話した。
「ああ、そうだったんだ。うん、俺たちは鬼と戦う組織にいるんだ。それが鬼殺隊」
「鬼殺隊…」
どこかで聞き覚えがある。確か、無一郎くんと炭治郎くんが一緒に来ていた時、そう言っていた。
「時透くんは、その中でも九人しかいない一番上の強さの隊士なんだよ」
「柱って、言ってた…」
「そうそう、俺も時透くんくらい早く強くなりたいと思ってるんだ。な、禰豆子!」
うんうん、と笑顔で大きく頷く禰豆子ちゃん。こんな人たちが、いつもあの殺伐とした世界の中で戦っているなんて、にわかに信じ難かった。だけど、こうして信じられないでいたから、私は無一郎くんを傷付けた。それは紛れもない事実で。
「私、守ってくれたのに、怖がっちゃった……」
無一郎くんの言うことを信じなかったのに、無一郎くんは私のことを心配して、駆けつけてくれて、助けてくれたのに。大馬鹿野郎だ。
「鬼を斬ってもさ、俺たちは感謝されることが全てじゃないんだ」
「え……」
窓から涼風が吹き抜ける。炭治郎くんは禰豆子ちゃんがその長い髪を靡かせて折り紙で遊ぶのを優しい眼差しで見つめながらそう呟いた。
「鬼は元々人間だったから、身内が鬼にされた時とかは罵倒されることだってある。殺してほしくなんてないから」
酷い、と言いかけた言葉を飲み込んだ。多分、仲居さんが私の中で鬼かどうかわからないまま頸を斬られていたら、罵倒とは言わないまでもなんでそんなことをって、言ってしまうと思ったから。実際、その姿になるまで信じることができないままだった。
「そもそもこんな刀を持ってる人間が一番怪しいんじゃないか、とかね。鬼の存在さえ信じられないところに鬼と戦う剣士が突然現れたら、助けても驚かれることだって沢山あるよ」
眉を下げて笑う炭治郎くんに、気の利いた言葉なんて思いつかなかった。むしろ、何も知らない私が安易に踏み入れていい場所ではないことだと感じ取れてしまった。
「だから、隊士でしかも幾度も鬼を狩ってきたような人なら慣れてることだと思う」
「……」
「でも、慣れてるからって傷付かないとは限らない。知り合いなら、尚更」
一段、声色が低くなった。優しい物言いなのは変わらないけれど、どこか空気が重くなる。
炭治郎くんはきっと、私を慰めるわけでこの話をしたんじゃない。
今まできっと、私のような反応をしてしまう人を仕方ないことだからと、その気持ちを納得させてきたんだろう。それしか、その気持ちを鎮める方法なんてないから。誰も、悪くなんてないからって。
「俺は時透くんじゃないからわからないけどね」
「絶対、私、傷付けた」
「……うん」
だって、無一郎くんは私のことを好きでいてくれたから。そんな人に、自分のことを信じてもらえなくて、それでも助けに来たのに怯えられるって。例えば私が無一郎くんに話を信じてもらえなかったとしたら、それだけでも胸が張り裂けそうなほど痛くなるのに。
「絶対、痛い思いを、させた…」
痛いのは私なんかじゃない。無一郎くんの方だ。こんな馬鹿な私、今はもうとっくに見限られているかもしれない。話なんて聞いてくれないかもしれない。時間の無駄だって。顔も見たくないって。守ってくれた人に対して、合わせる顔がない。合わせる顔がない…?いや、私は…。
「そう思うなら、ちゃんはどうしなきゃいけない?」
「……」
自分がしてしまったことを呟く私に、炭治郎くんは優しく強くそう尋ねた。私が、しなきゃいけないこと。それは、私の気持ちなんて関係なくて、やらなきゃいけないこと。拳をぎゅ、と握り締めて顔を上げた。
「炭治郎くん」
「うん」
「お願いがあるの」
そう言うと、炭治郎くんは私に柔らかい表情を見せて微笑んだ。
「時透くん言ってたよ。ちゃんのことは、守りたい人だって」