胸の中に咲く花
柱同士の手合わせの帰路、ドォン…と、空を強く鳴らす音が微かに聞こえてくる。そうだ、今日はあの町で花火が上がる日だった。鬼も討伐した。危険が及ぶことはもう当分ないだろう。だから、あの町にはもう足を運ぶ理由はなかった。心残りはないと言えば嘘になる。けれど手を差し伸べようとした僕に怯えるの表情が頭から離れなかった。
助けられたと言えど、刀を持った自分に怯える人間なんて幾度となく見てきた。なのに、それがであるだけで、こうもそこから湧き出す感情が違うだなんて、知らなかった。
一緒にいたい。ただそれだけだった。
それでも、のような、陽だまりのような子にこっちの世界は似合わなかったんだ。
「…………、」
ふと雲一つないその空を見上げると、夜道をほどよく照らす月にゆらゆらと白い物体が横切った。その物体が飛んできた方向は、紛れもない僕の屋敷からだった。
使用人、いや、僕の知るその人たちならそんなことをするはずはない。つまり、使用人以外の誰かがいる。
止めていた歩みを走らせてその場所へ向かった。思い過ごしでなければ、それを飛ばす持ち主は一人しかいなかった。
屋敷に入り、おそらく飛ばしたであろう場所にいる庭に外から向かった。
すると、まるでそこにいるのが当たり前かのように縁側に座って紙飛行機を折っているその姿が目に映った。
「……なに、人の家から紙飛行機飛ばしてるの」
僕の声に気付いたは紙飛行機を折る手を止めて顔を上げた。久しぶりに見たその表情に胸の奥が締め付けられる感覚がした。
「お、おかえりなさい」
「いや、なんでいるの」
なんとも言えない難しい表情でそう言いながらは立ち上がる。なんでがここに。
僕の質問に下駄を履いてそばまで駆け寄ってくるものだから一歩後ずさるとそれに気付いて立ち止まった。
微妙な距離感が生まれる中、は目を泳がせてから一度俯いた。
来た方法はどうであれ、理由は差し詰め謝りに来た、とか。その類いか。
意を決したようには顔を上げた。
「私、死んじゃいます」
「は…?」
「兎だから…」
謝りにきたのだろう、そう身構えていたのにの口から発せられた言葉はまるで見当違いなことだった。
死んじゃうって、その死んじゃいそうなところから僕は助けたんだけど。
心の中で物言いつつ、前にもそんなことを言っていたような場面を思い出した。寂しくて、死ぬって。
「だから、その……」
「謝りにきたのかと思ってたんだけど…」
「…………」
呆気にとられながらも平静を装って言葉を落とせば、は眉をぴくりと動かした。
その目は徐々に丸々していく。
「順番、間違えちゃった……」
眉を下げて、その瞳には涙を浮かばせながらそう呟いた。
例え謝られても、僕がここにいてが町娘である限り一緒にいれば危険だって隣り合わせだ。一緒いるところを見られたら狙われる可能性だってなくはない。最初からわかっていたことなのに熱に浮かされていたせいで判断を誤っていたんだ。一緒には、いれない。
そう思っていたのに、のそれに気持ちの張りがなくなる。いつも直感で動くから、言いたいことを先に言う。そういうところ、なんだけど。
「無一郎くん見たら、好きって気持ちでいっぱいになっちゃって、本当に好きで……この人がいなかったら寂しくて死んじゃうって、思っちゃって……」
「……」
「すみません……」
ボソボソと、また俯きながら言葉を溢した。といると、本当におかしくなるんだ。今まで知らなかった感情が沢山心の根底から芽生えてくる。
「来ないでって前に行ったよね」
突き放す様に言葉を向けた。は僕を見て瞳を揺るがす。
そんな顔していないで、穏やかで賑やかな町で笑顔を振る舞いて、あんなことなんて全部忘れて普通に生きていけばいい。
「……その代わりに、無一郎くんが町に来てくれるって言ったもん。でも、来てくれないなら、行くしかないから…」
「それは、のせいでしょ」
「うん。助けてくれたのに、本当にごめんなさい」
「……いいよ。最初から鬼の存在なんて信じてないようだったし」
謝るから顔を背けた。仕方のないことだとはわかっている。だから、別にわざわざ謝りに来なくたってよかったんだ。むしろ、こうして顔を見ているだけでまた判断が鈍りそうになるから。
「はあの町で…」
「嫌」
湿った空気が乾いた気がした。芯の通ったようなその声に顔を上げると、僕をまっすぐに見つめていた。
「離れたくないの。ちゃんと、これからは全部知っていきたい。鬼は、正直怖いけど…、でもそれ以上に離れたくないの。そばにいたいの」
「……」
「無一郎くんが、好きだから」
もう、何回も聞いているその言葉に胸の辺りが苦しくなる。こんなに突き放しているのに、鬼だって怖いはずなのに、目の前のその子はまっすぐに自分だけを見てくれている。
「もう、私のこと好きじゃなくても、私はそばにいたい。だからね……、ここで働かせてほしいの。傷付けた分、沢山働く」
「……何言ってんの…」
「顔を見たくないし声も聞きたくないんだったら、間接的でもいいの!目の前には顔見せないようにするから…だから……」
その瞳から、堪えていただろう涙を零しながら言葉を繋げていた。
「私は、無一郎くんの為に生きていたいの…」
掠れ声で紡いだに、どうしようもないほどの気持ちが溢れてくる。折角、もう会わないと勝手に決めていたものは、こうも簡単に本人を前にすると崩される。
生涯、こんなことを言ってくれる人に出会えるんだろうか。好き、というよりも、愛おしいが一番今の僕の気持ちに当てはまる気がした。