明くる朝迄に
今日は月一で訪れるお店の定休日だった。今までお店の定休日で何をしていたかというと友達と山菜を採りにいったり双六で遊んだり……といかにもな休みの過ごし方だった。だからこうして、普遍的な私の日常が徐々に徐々に変わっていくことは、好きな人への世界に近付いているようで心を弾ませていた。
「あ、ちゃんじゃない!」
じめじめとした空気の中、屋敷までの道のりを歩いていると前方から朗らかな声が聞こえてきた。
薄紅色の髪を靡かせてこちらまで駆け寄ってくる姿に同性ながら胸がとくりとしてしまった。見惚れてしまう。
「甘露寺さん、こんにちは」
「こんにちは、今日はお店お休みなの?」
「はい!なので遊びに来ました」
無一郎くんが鬼殺隊であることを知ってから、屋敷に向かうのはこれで二度目。けれど前回のような重苦しい雰囲気はなく、私は意気揚々とお弁当を持って歩みを進めていたのだ。
甘露寺さんはそっかあ、と頬を綻ばせる。
「昨日無一郎くんがご機嫌だったのはちゃんに会えるからだったのね」
「え、本当ですか!」
「うんうん、私、そういうのわかるのよ!」
にこりとする甘露寺さんに私もにこりとしてしまう。いや、にやけている、の方が正しいかもしれない。
こんなだらしない顔のまま無一郎くんに会うことなんてできないので一度深呼吸。けれども甘露寺さんは私を喜ばすことをやめなかった。
「無一郎くん、ちゃんと会ってから本当に変わったと思うの」
「……」
「感情を表に出している感じ、本当に見ていてキュンとしちゃう!あ、二人にね!私は無一郎くんとちゃんのことを応援してるから!」
慌てて訂正する甘露寺さん。最初は、この人と仲良くなれたらいいなと思うだけだったけど、こうして私と出会ったことで無一郎くんの中で何かが変わっているのであればそれはとても嬉しいし、私だけが今までの日常に変化が訪れているわけではないんだなって、そう実感できる。
甘露寺さんは私はもう行くわね、とこれから任務なのか私に背を向けて駆けて行った。あんなに可愛らしい人が鬼と戦っているなんて、信じ難い。
「何、その顔は」
「え」
無一郎くんのお屋敷について、待ち受けていた無一郎くんに開口一番に言われた一言。無一郎くんは私の顔を見るなり眉を顰めた。私のだらしない顔はここに来るまでに直せていなかったらしい。
「来る途中甘露寺さんに会ってね、ちょっと話して」
「ふーん、何を?」
「ん、んー……、色々!」
素直に話したことを言える度胸がない私は口籠もった後にヘラりと笑って誤魔化した。まあいいけど、と無一郎くんは私を屋敷へ上がらせる。お弁当を持ってくることは知らせていたので昼食をとっていない。
太陽は時々雲に隠れるけれど、涼しい縁側へ腰を下ろしお弁当の蓋を開けた。途中、使用人の方がお茶をどうぞ、と持ってきてくれたので有難く頂いた。
「ねえ、無一郎くん」
「何」
「私も敬語使った方がいいのかな」
「……どういうこと?」
怪訝な表情を浮かばせてお箸を止める無一郎くん。ここへ来ると、つくづく無一郎くんが鬼殺隊にて上の立場であるのかが痛感させられる。だからと言って私が気にすることではないとは思うけど、今ふと使用人さんを見て敬語を使っていたあの頃のことを思い出した。
「時透さん」
「……」
「懐かしいね。あ、懐かしいですね」
前に炭治郎くんに教えてもらってここへ来た時は、途中隊士の方に『霞柱の……?』と言われたことがある。今度霞柱、と私も呼んでいいだろうか。
一人で楽しんでいる私に無一郎くんは勝手にしたら、と止めていたお箸を進めてふろふき大根を口に含んだ。
「といると普通の暮らしをしているような気がするんだ」
お弁当を食べ終えて、最近町で善逸くんが女の子に声をかけまくって困らせていたこととか、禰豆子ちゃんが迷子になって捜索していたらお店の隅で寝ていただけとか、近況をつらつらと報告をしていた。
私ばかりお喋りを続けていたので我に返り、無一郎くんの話も聞きたいと問えば、無一郎くんが口を開いた。
「が話すことって、本当にどうでもいいことばかりでさ」
「う、」
「でもそれが心地いいと思ってる」
隠れていた太陽が姿を現して日差しが照りつく。
私は、無一郎くんの世界へ浸れることが心地よかった。それは、無一郎くんも同じことを思ってくれていたようで。
けれどそれは同時に、無一郎くんが普段どれほど殺伐とした世界で過ごしているのかを物語っていた。思わず私は無造作に置かれた無一郎くんの手を握る。
「私、もっと無一郎くんのこと知りたい」
「……」
「私はどうでもいいことしか話すことはないけど……、その代わり、沢山教えて。……話せることは」
多分、話したくないこととかもあるだろうから、小声で付け足した。無一郎くんは私に触れられていない方の手で頬に触れる。そっと近づく無一郎くんに合わせて目を瞑ると優しいそれが降り注ぐ。何度もしているのに、いつまで経ってもこれだけで胸がどくどくと脈打ってしまうのだ。
「あ、」
深く甘く、いやらしい音を立てていた途中、目尻に冷たいものがぽたりとあたった感覚がして呟いた。雨だ。
太陽はすっかりと隠れていて、縁側を大きな雨粒が濡らし色を変えていく。突然の豪雨に急いで立ち上がり戸を閉めた。
一気にあたりが暗くなる。
「止むのかな」
「泊まってけば」
「え、いいの?」
「悪いことは何もないけど」
どうせ空き部屋は沢山あるし、と。確かにこの広大なお屋敷を全て使っているとは考え難い。お言葉に甘えて今日は泊まっていくことにし、使用人の方に悪いので夕ご飯手伝いますと申し出ればお客様ですから、と断られてしまった。あまりこうしておもてなしをされることがないからふわふわとしてしまう。
夕ご飯も食べ終えて、折角なので沢山話がしたいとあれやこれやとまた私が話していれば、使用人さんは帰るようでお布団敷いておきましたので、と声をかけられた。ずっとここで暮らしているわけではないらしい。
「」
「あ、うんそれで甘露寺さんが食べ尽くしちゃって……、」
私が紡いだ言葉は無一郎くんの唇によって塞がれた。昼間よりも周りの物音が少なくて、胸の鼓動が聞こえてしまっていそうだ。
「僕ものことが知りたいんだけど」
雰囲気と声色で、知りたい、の意味はわかった。むしろ、泊まっていけば、の時からなんとなく察していた。
「嫌だったらしないけど」
「……嫌じゃない」
嫌ではないのだ。決して。ただ、恥ずかしいという思いは人並みにある。
目を合わせられず、伏せたまま小さくそう呟けば、ああそう言えば、と無一郎くんは何かを思い出したかのように声をあげた。
「前に、心臓が爆発するとか言ってたね」
「……」
「試そうか」
艶めかしい笑みを浮かべる無一郎くんに、私はすでに耐えられそうもないのだけれど、それはそれで本望かもしれないと身を委ねた。
それに、私ももっと、この人のことが知りたいのだ。