神代わり
毎年毎年、この一年もいい年になりますように、って神様に見守っていてもらうのよ、なんて母さんが話していて、神様という存在を信じているわけではないけどわざわざ否定することでもないし言われるがままに僕もお賽銭を投げて手を合わせていた。けれど、自分をその神様のいる神社へ連れて行く家族はもういない。年が明けたってやることは何らいつもの日常と変わらないだろう、そんなことをふと思いながらの店に行けば、『初詣に行こう』と提案されたのだ。すでにいつもよりめかしこんでいるようなは僕が首を横に振らないと決めつけていたらしい。瞼を上げて隣を見ると、おそらくほんのりと化粧を施しているは未だ神様に祈り続けている。
「……よし!」
「長くない?強欲なんじゃないの?」
「お祈りしたのは一つだけだよ」
祈り終わったらしく、満足げに笑うに首を傾げた。拝殿を後にしながらは一人楽しそうにしている。
「何を祈ったの?」
「ええ、秘密!」
気になって尋ねれば、一瞬考え込んだ素振りを見せた後に人差し指を口元へ持ってそう答えた。そういえば、願い事とかそういうのは口にすると叶わなくなる、とどこかで聞いたような気もする。つくづく彼女はそういう迷信じみたものに素直なのだと思った。
「あ、おみくじ引いて帰ろう!」
神社を出る前に僕の手を引いて人が集まっている方を指差した。結び処には複雑そうな表情をした人たちが自身の引いたおみくじを結んでいる。
返事も聞かずに僕を引っ張り喜々とした面持ちでおみくじを引き始めたのでその流れで僕も一緒に硬貨を入れて一つ引いてみた。
「何だった?」
はまだ自分のものは確認していないらしい。僕の手元を覗き込むように近寄られ、藤の花の香りが鼻を掠める。
糊付けされている箇所を引っ掛けて紙を開いた。
「あ、大吉!」
おみくじに書いてある文字にこの一年が左右されるなんてたまったものではないと思っているけれど、なぜか自分のことのように喜んでいるを見て悪くはないなとも思う。
「は?」
「ええっと……、凶だ!」
「……なんで嬉しそうなの」
の手元には確かに“凶”と書かれたおみくじがある。にも関わらず、おそらく同じく凶を引いて結んでいる人たちとは対極の表情を見せていた。こういうの、信じるたちではないのだろうか。それとも、都合のいいことだけ信じる性格だったのだろうか。
怪訝な顔をした僕には瞬きを繰り返した後、頬を綻ばせた。
「無一郎くんが大吉なら、私が凶でも幸せだから」
それにここの神社大凶もあるらしいし、いい方なのかも、とかふわふわしたことを話すの手元からそのおみくじを奪い取った。
のことは好きだし、も僕のことが好きなのだという思いは常日頃から十二分に伝わっている。自分のことをこんなにも思ってくれる子に会えるとは考えもしない生活をしていた。はそんな僕に降り注いだ、暖かな幸せだった。
「それは、自分に嫌なことが起こっても?」
の代わりに凶のおみくじを隙間に結びながら問いかけた。多分、がさっき祈っていたことはこういうことなのだろう。だから少し、後悔をした。当たり障りなく、この一年もいい年になりますように、と昔と変わらず祈ってしまった自分を。
「え?うーん……、そうかも!何か嫌なことがあっても無一郎くんが笑ってくれたら、嫌なこと、多分忘れちゃう」
頬をほんのり赤く染めながら笑うに僕としては複雑だった。
この子が願ってくれたから、僕は大吉が出たのかもしれない、なんて、安直だろうか。
「私が幸せにするって言ったでしょ?」
「……神頼みなんだ」
「ええっ、それは、えっと、違くて何というか、」
「嘘だよ」
女の子が男に言う台詞ではない気がするのだが、確かにそう言われたのを思い出す。揶揄うように笑えばあからさまにあたふたされたので、結び終わった手をへ差し出した。
「ありがとう」
丸い瞳に穏やかな自分の表情が映し出される。
さっき祈ることができなかった代わりに、今年ばかりは僕が彼女に起こり得る不幸を全て幸せで包み込みたい。
「うん!」
差し出した手は無視されて、頷いたにそのまま飛び付かれた。