紆余曲折

知らなくていいこと

いつからそこにいたんですか、なんて言葉も出ずに固まっている私を横目で見てその人は炭治郎くんの向かいに座った。禰豆子ちゃんがその長いサラサラな髪で遊ぼうとしている。

「美味しいお店があるからって待ち合わせてたんだよ、ここのお店のふろふき大根、時透くんが頼んだからだったんだね!」
「頼んでないよ、聞かれたから答えただけ」
「時透…」

待ち合わせた、と言っても炭治郎くんはもう食べ終えてしまっているけど。その辺は気にしないのかな。そして名前。私がこの前聞きそびれてしまったこの人の名前、時透さん、というのか。

「本当にお品書きに入れたんだね。何でもかんでも直感で動くのやめたほうがいいよ、そういう短絡的な考えは後々後悔することがほとんどだから。今だって炭治郎に言われてなければここに僕は来てないし」
「あの」
「たまたま需要と供給が一致して人気になったみたいだけど本来ならお店で提供する料理ってもっと吟味しないと食材も時間も無駄に…」
「素敵な名前ですね!」
「…………」

禰豆子ちゃんに髪を弄られながらぶつぶつと毒舌っぷりを発揮していたけど、そんなことよりもこの人の名前を知れたのがとても嬉しかった。まるで自分の話を聞いていないと判断したのか、今日は普通に食べに来たんだけど、と切り出された。

「すぐにご用意致します!」

ここ数日ではお客さんに対して一番声高らかな返事だったと思う。時透さんでなければ、二階で寝ているお父さんを叩き起こしてふろふき大根定食を作ってもらっているところだったけど、今回は自分で全て作った。といってもほぼよそうだけだけど。でもふろふき大根だけは私が毎日仕込んでいるので私が作った定食といっても過言ではない。

「お待たせしました!」

自慢の、うちでも人気となったふろふき大根定食を時透さんの前へ出した。
炭治郎くんは既に何度か食べてくれていて、美味しいと言ってくれているのになんだかドキドキしてしまう。

「いただきます」
「召し上がれ!」

そんな私と時透さんを微笑ましく見ている炭治郎くん。本当に感謝です。炭治郎くんがいなかったらこうして時透さんに会うことだって出来なかった。
大根を口に運ぶ時透さんの感想を待っていると、眉間にシワを寄せてこちらを見やった。

「だからさ」
「はい!」
「食べにくいって前も言ったよね」
「あ、ごめんなさい!」

ついつい、すぐに感想が欲しくて、そして目の前にいることが嬉しくてじっと見てしまっていた。確かに食べるところを誰かにずっと見られているのなんて気分がよくない。

「一目惚れされたって言うのはちゃんのことだったんだね」
「!なぜそれを」
「時透くんが言ってたから。可愛い子に一目惚れされたって」

ずっとニコニコと穏やかに話す炭治郎くん。私は炭治郎くんに、会いたい人がいる、とだけ伝えていたのだ。まさか一目惚れしたと口走ったことを話されていたなんて。穴があったら入りたい。のだけれど、今、炭治郎くんはなんて?

「可愛い…?」
「うん。ね、時透くん。あ、こら禰豆子、食事中に邪魔しない」
「ちょうちょー…」

炭治郎くんに怒られて、禰豆子ちゃんは名残惜しそうに時透さんの髪から手を離した。禰豆子ちゃんがぷく、と膨れるその目線の先の人を見れば相変わらず無表情で、淡々と食事をしている。特に何か言葉を付け足したり、炭治郎くんの言ったことを否定するつもりもないとみた。

「か、可愛いですか、私」
「うん、そうじゃない」
「……!!」

さらりと、肯定された。なんとなく、女の子全員に同じく可愛いなんて言うような人には見えないから、それがまたとても嬉しい。今日は嬉しいことが重なる日だ。こんなに素敵な日でいいのだろうか。

「時透くん、俺たちは先に帰るね」

隣に座っていた炭治郎くんはがた、と立ち上がり私にご馳走様でした、とお金を手渡した。ゆっくり話しなよ、と。まさか、気を利かせてくれているのか。炭治郎くん、貴方って人はどこまで優しい人なの、気遣いのできる人なの、これが世の長男というやつなの。

「炭治郎、今日一人?」
「いや、善逸と伊之助も一緒だから心強いよ」
「いっしょ、いっしょ!」
「ああ、ごめんごめん禰豆子も一緒だな!」

炭治郎くんにくっつく禰豆子ちゃん、可愛い…でなくて。よくわからない会話もさておき炭治郎くんがお店を出るのをお見送りした。禰豆子ちゃんと手を繋いで歩いていく後ろ姿は本当に微笑ましい。
炭治郎くんが時間をくれたので、お言葉に甘えてお話がしたいな、と時透さんの方を振り向けば、時透さんはある一点を見つめていた。…あ、あれだ。

「ちゃんと持っててって言ったよね。何でここに置いたままなの」
「いやいや、持ってますよちゃんと!店番してる時だけここに置いてるんです、汚れたら嫌なので」
「ならいいけど」
「これ藤の花の匂いですよね、うっ吸い込みすぎた…」

すん、と棚の上に置いた香り袋に手を伸ばして匂いを嗅いだ。吸い込みすぎて鼻がツンとしてしまった。とても香りが強いけど、でもやはりとてもいい匂いがする。藤の花って、今の季節はないはずだけど、何か特別な加工がされているのかな。

「鬼って、藤の花の香りが苦手なんですか?」
「そう」
「じゃあ、大事に持ってます!」

本当にわかっているのかこいつ、と顔をされたけど気にしない。よくわからないけど、折角貰ったんだ。魔除けみたいなものなのだろう。時透さんにはそういうのに取り憑かれやすい人っていうのがわかるのかもしれない。きっとそうだ。肌身離さず持っていよう。

「時透さんと炭治郎くんは、普段何をしてるんですか?」
「鍛錬」
「鍛錬?何の?」
「剣術」
「……へえ、すごい」

私とは無縁の世界だ。知らない世界が沢山あるんだなあ。こう、竹刀を持っていつも稽古をしているのかな。身体がしっかりしているはずだ。かっこいい。

「今でもそういうのあるんですね」
「どういうこと?」
「ほら、一昔前までは刀を振るうお侍さんが町にも沢山いたらしいけど、今は刀は持てないから。それでもそういう稽古をしているのが珍しいなと思いまして」
「……」
「刀持った人が普通に彷徨いてるって、恐ろしい世の中ですよね…。平和な時代に生まれてよかったです!」
「…そうだね」

そんな時代に生きていたら、私はいつ命を落としても不思議でない気がする。町で短気な人とぶつかって斬りかかられるとか、可能性は無くはない。

「それに、この時代に生まれたから時透さんにも会えましたし!」
「……」

それまで、ずっと黙々とご飯を食べていた時透さんの手が止まった。ふい、と顔を上げてちゃっかり目の前に座る私と目を合わせる。綺麗なその瞳は幾らか瞬きを繰り返した。

「そんなこと、初めて言われた」
「…え!時透さんみたいな人と会えるなんて、人生でなかなかないと思います!絶対、周りの方々言わないだけで思ってると思います!出会えてよかった、って」
「……君まだそんなこと言える歳じゃないでしょ」
「14です!時透さんは?」
「もうちょっと落ち着いた方がいいと思うよ。なんか同い年なことが恥ずかしい」
「わあ!同い年なんですね!あ、あと」
「まだ何かあるの」
「名前!」

もう綺麗に全て食べ終えてくれた時透さんはお箸を置いている。すぐにお店を出てもいいのに、めんどくさそうにだけれど話に付き合ってくれる。
時透さんって、多分苗字だよね。名前が知りたい。
好奇心で前のめりになる私に時透くんは自分の名前を漸く口にしてくれた。

「時透無一郎」
「……素敵な名前!」
「…近い」


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