心拍数、異常値につき
なぜか、断れない自分がいた。気配がまるでない鬼のことを聞くついでに食べに行っただけなのに、折り紙一つであんなに喜ぶとは思っていなかった。最初に会った日からそうだ。といると自分の調子を崩される。それなのに、悪い気もしない自分自身もどうかしている。
「…、」
考えながら景気の良さそうな賑やかな町を歩いていると、目の前から何かがふわりとやってくる気配がして顔を上げた。その物体はゆらゆらとこちらまで近付いてきて、身体にくしゃりと当たって地面に落ちた。
「あ!時透さん!」
見窄らしいそれを拾うと、前方からもう聞き慣れた声が聞こえてきた。手を振りながらこちらへ駆けてくる。
「何してるの」
「この前時透さんが折ってくれた紙飛行機くらい飛ばせるのが作りたいなと思ってたんですけど、なかなか上手くいきませんね」
と、いうことはこの見窄らしい紙飛行機の持ち主はだったということだ。どうしたらこんな下手くそに折れるのか逆に気になる。えへへ、と笑うに紙飛行機を返した。呑気なものだ。この町は落ち着いているけど、僕がここへ来てから隣町では行方不明者がでている。ただ、そっちも気配がなくて鬼のせいか定かではないから手探りの状態が続いている。からは藤の花の香りがしないし。あそこに置きっぱなしだな。
「馬鹿なの?」
「へ?」
「ああごめん、質問した僕も馬鹿だったね、君は馬鹿だ」
「!」
「ずっと持っててって言ったものがあるよね、なんで持ってないの?今は昼だからいいけど。それからそれ、こんな人混みで飛ばすものじゃないでしょ。現に僕にぶつかった訳だし」
畳み掛けるようにに言葉を浴びせる。やっぱり、鬼の存在を信じていない一般人に危機感を持たせるのは難しいことだとつくづく思う。
「でもほら、高く飛ばせば大丈夫かなって」
「……飛ばせてないし」
「ごもっともです…」
あの日、開けた場所で飛ばした紙飛行機は言った通り、果てしなくどこまでも飛んでいった。それを追いかけていくは犬だった。遠くまで飛んでいくそれを拾って、もう一回、なんて言うものだから正直に犬だと言えばじゃあ私が飛ばす、と飛ばしてみせたがそれほど遠くまでには飛ばなかった。それでも十分飛んでいはいたけど。最後に僕が飛ばした紙飛行機は遥か彼方へ飛んでいって消息不明だ。
頬をかきながらはバツが悪そうに笑った。そこまでして気に入ったのか、あの紙飛行機。別にいくらでも作ってあげられるけど。……いや、何でそんなことを。
「でも時透さん、ふらっと来るから私からは会えないし。だから、これが時透さんのところまで飛ばないかなあ、なんて」
鬼の尻尾を掴むために、ここ最近はこの辺りで調査をしている。町に異変がないかとか、この楽観的な人間が香り袋を持っているか確かめるついでにたまに立ち寄っていたから僕からしてみれば会おうと思えばいつでも会えた。
だからそんなことを思われているとは予想もしていなかった。ただ、やっぱりこの子は馬鹿であることには違いない。どんなに完璧な紙飛行機を作ったからってこの町から僕のところへなんて届くわけがない。
「いくら何でもそんなに飛ぶわけないでしょ」
「それはそうなんですけど…、でも、時透さんに当たりましたよ、これ」
「いや、偶然、」
「思いが込められてるからって感じがしませんか!」
「……」
まただ。その言葉に根拠なんて何もないのに、はこうして僕の心を騒つかせる。思いや願いでどうにかなったら、僕はこうして今鬼の手がかりを得るために調査なんてしていない。
「いつも思ってたんだけどさ」
「はい?」
「呼吸が乱れてる」
「へっ」
そんな、自分でも信じられないような感情を無視するように、片手での頬を包み込んだ。
人が、平常でない時なんてすぐにわかる。この町の人たちはみんな温かい。穏やかだ。そのはずなのにはいつも心拍数が平常よりも高いし、だから呼吸も乱れているのだ。普通の人からしたらわからないだろうけど。
「会うときいつも普通じゃないけど大丈夫?初めて会うけど。こういう人」
稀血だから、とかは関係なさそうだ。今まで稀血の人間にはほどほどに会ってきた。鬼を倒せば、襲われそうになっていた村人の動悸だっておさまって平常に戻る。でもの場合はいつも普通ではないのだ。何もないはずなのに。
なんで、と問う僕に、顔をどんどん赤らめていく。いつも以上に呼吸が乱れている。
「好き、なんでしょうか…」
蚊の鳴くような声で、聞き逃すかと思った。は目を合わせずに俯いた。耳まで赤い。
「何言ってんの?」
「す、すみません!」
意味がわからない。僕は呼吸が乱れている理由が知りたいだけなんだけど。そもそも質問しているのに答えが疑問形で返ってくるのだっておかしい。…ああそうだ、は馬鹿なんだった。
「あの、最初に見た時、すごく綺麗な人だなって思って。時透さ…、時透くんのこと」
「……」
「また来てくれた時すごく嬉しくて、でも次またいつ来てくれるかわからないし、もう最後かなって思ったらいつも背中を見ているのがすごく寂しくて」
脈絡もなく、一人語り始めたに触れていた手を離した。まるで理解できない。にも、と同じような心拍数でいる自分にも。
「時透くん、どこに住んでるの?」
「……」
「近いんだよね?きっと。今度行ってもいい?」
顔を赤くして、瞳からは今にも涙が溢れそうだった。でもそれは悲しい時に流れる涙には見えなくて。…じゃあ、どういう時に流れるものを、今目の前のこの子は表現しているんだ。
「…駄目だよ。来ないで」
「……」
ああ、今は悲しい時に流れるその顔をしている。わかりやすい。これが本当に犬だったら、耳も尻尾もきっと垂れている。
こっちのことなんか、知らなくていいんだ、は。口を噤んで、着物をぎゅっと握りしめているにもう一度手を伸ばした。
「いっ、……?、?」
萎れているその顔に手を伸ばした先は頬じゃなくて、おでこ。ぴしっとデコピンを喰らわせた。反動でなのか、おでこを両手で抑えたの目から、片方だけ涙が溢れた。その涙を人差し指で掬うと、瞬きのせいで逆側からもでてきた。これじゃあ掬いきれない。
「僕がこっちに来るから、はこの賑やかな町からでないこと」
「え…」
「いい?返事は?」
「また来てくれるの!」
「……様子見に」
君は特別だから。それは僕にとってじゃない。特別な血を持っているから、狙われやすいから。ちゃんと香り袋を持っているか、理由はそれのはずなのに、それしかないはずなのに。
「ありがとう!」
その笑顔に、理由なんてなくたって会いたいと思うようになってしまった僕は、どこかおかしくなってしまったのだろうか。