ロストオアエイム


監督の機嫌は上々だった。
一年とそこら、一日中監督の下で指導を受けていれば否が応でもわかってくるものだ。ただし、そうして早めにミーティングが終われば沢村と降谷に受けてくれとせがまれる。いつものことではあるが。
今日は肩は休めておけとそれを流すのもいつも通り。居ても立っても居られないのか、投球練習ができない代わりにグラウンドからタイヤを引き摺って走っている沢村の声が聞こえるのもいつも通り。
部屋を出て、俺が風呂場まで歩いている間にポケットで震える携帯。これもいつも通りだ。

「…………」

一応、周りに誰もいないことを確認してから寮の壁に背を預けて鳴り止まない電話を耳をあてがった。
俺が何か言葉を発する間も無く、通話へと切り替わった音に電話の向こう側の人間は声を上げる。

「あ!出た!ミーティング終わった?」
「おー、さっきな」
「もー終わったら電話してって言ったじゃん!」
「わり、後輩に捕まってた」
「あー、沢村くん?ほんと一也に懐いてるよね」

携帯から聞こえる声が妙に大きくて周りに聞こえていないか微かに不安が過るが、周りに人気はない。聞こえるのは沢村の声だけだ。
その沢村が俺に懐いてるかどうか、は置いておいて。思わず吐いてしまいそうになった溜息をすんでのところで止めた。

「本当面白いよねあの子」

かかってくるだろうなとは思っていた。だからミーティングが終わっても俺からは電話をかけず風呂に向かっていたわけだけど。
我ながら付き合っている彼女に対して冷たいだろうかと思わないわけではないが、どうも練習終わりに自分からかける気分にはなれない。

「どうしたの?」
「え?」
「溜息ついて」
「……あー、いや、何でもねえ」

吐きそうだと、止めたはずの溜息は今しがた漏れたらしい。
明らかなテンションの違いがあるにも関わらず俺に気にせず話を続けた。

「てかさっきテレビでやってたんだけど、今イースターやってるんだって!新しいアトラクションもすごく楽しいらしいし!」

興奮気味に伝えられて、うっすらと今日の昼のことを思い出す。
菓子パンを食べながら千葉のテーマパークについて語っていた、気がする。あそこ、最後に行ったの野球を始める前とかそこらの記憶なのだが。
野球始めれば興味も時間も野球で沢山だし、そんな暇がない。そんな暇がないってことは、こいつもわかっているとは思いたいのだが。

「今度行こうよ!次オフは?」

そんな俺の願いも虚しく散った。が、全然一緒にいれてやれてないから罪悪感も募る。けれどそれで野球を二の次にできるわけでもない。その度に毎度毎度、今日もこうして同じような言葉を並べること、これもいつも通りだった。

「いや、オフあっても自主練はあるし。行ってこいよクラスの友達と。えーと、何だっけ、名前」
「……またですか」

よく一緒にいる友達、話題にも出てくるはずの友達の名前すらすぐに出てこない。捻り出そうとしたところで聞こえてきた声に言い淀んだ。

「……ごめん」
「もーいいじゃあね」

急に声色が低くなって、そのまま通話は途切れた。心苦しいとは思いつつも、しょうがねえだろ、と悪態をついてる自分もいる。
今度は自分でもわかるくらいの溜息を吐いた。

風呂に浸かりながら、部活のことも考えなきゃならない筈があいつが頭の片隅で邪魔をしてくる。邪魔って言い方は流石に悪いな。次、オフ……というより、時間の取れる日がいつだったか視界の悪い中天井を見上げながら考えた。
……彼女って、いるとこんなに縛られるものなのだろうか。
一年の頃に同じクラスだった。クラスの誰とも仲良く話そうとしなかった俺に唯一普通に話しかけてきて、仲良くなっていった。多分誰に対してもそうなんだと思う。
そんな中である日こいつから好きだって突然告白されて、仲良かったし、好きか嫌いかで言ったら好きな部類だったから首を縦に振った。
元々野球は好きらしいし、最初こそ部活の邪魔にならないようにって言っていたものの、最近では流石にそれがキツくなってきたのか頻繁に遊びに誘われるようになって、今じゃ誘われては断るの繰り返し。
断るのだって悪いとは思ってるから、いっその事誘わないでくれと願っているのだが、付き合っている以上それは普通なことで。
一先ず逆上せそうになる前に風呂から上がり、面倒臭いことは明日会うまでに朝考えようと外を歩いていれば、不意に声が聞こえてきた。

「なんで見に来てくんねーんだよー。人いっぱいいるぜ?」

沢村だった。
さっきまでタイヤを引き摺って走ってたはずの沢村がベンチで一人なんか不貞腐れたようにごちゃごちゃ呟いていた。電話か。

「めんどくさいって!ひっでー!俺ちょーー頑張ってんのに!でも御幸先輩ぜんっぜん球受けてくんないんだぜ」
「……」

いや、オイオイ。何人の悪口をこぼしてんだあいつは、聞いてんぞ俺。
と、いうか。見に来て欲しいって、誰に言ってんだ、クラスの友達、いや男友達にそんなこと言うか?普通。まあ、俺はあいつのように人が集まってくるような才能は持ち合わせてないから知ったこっちゃないのだが。

「あ、そうだ!オフの日どっか行こうぜ!いつだったか曖昧だけど……」

俺に気付かない沢村を俺もシカトするとして、オフの日を待ち遠しくしている沢村を見て、やっぱり彼女かと思いながら背を向けた。ほんの僅かに、本来の恋人とはこういうものだと見せつけられた気もしながら。

「あ!!御幸先パイ!!」
「……うるせぇな、何時だと思ってんだ」
「22時32分であります!」

付き合い方に正解なんてない。多分、俺も間違っていない。きっと。若干自分に言い聞かせるように歩いていれば呼び止められた。
いけしゃあしゃあと答える沢村に溜息一つ。

「おお早く寝ろ、彼女と話してんのもいいけど、」
「彼女?」

携帯の時計を見るなり俺に敬礼をしていた沢村が、お前何言ってんだと顔に描きながら首を傾げる。

「何、違うの。今電話してた相手」
「ああ、今の電話の相手なら幼馴染で〜」
「あー、あの連絡あまり返せてないって言ってた、」
「若菜か!!若菜なのか!!!もっかい電話かけろオラ!!!」

そう、若菜だ、若菜。顔は知らないけど妙に青道野球部内で浸透している名前。会ったこともないけど沢村の所為かみんな呼び捨てだ。

「でででででっ!!」

大方、携帯を鳴らしながら部屋を出て行った沢村の行方をつけていたのだろう。どこからか飛び出してきた倉持に技をかけられてる沢村を哀れに思いながらもその場を後にした。



向こう側