花灯り

目にした先の空は、見慣れているはずなのに随分懐かしく感じていた。
頭がぼんやりとしている。生温い風が吹いて瞬きを繰り返すと、後ろからカタカタと物がぶつかる音が聞こえてくる。
さつまいものお味噌汁だ。
そうだ、杏寿郎さんが帰ってくるのを、さつまいものお味噌汁を作って待っていたのだ。
ベランダから部屋へと戻り、吹きこぼれてしまっている鍋の火を止めた。ボタン一つで止められることに、何故か違和感を感じる。それから、お味噌汁を作って待っていた人は確かに杏寿郎さんのはずであるのに、何かが引っ掛かる。
蓋を持ち上げると、広がるさつまいもの甘い香り。同時に、玄関の扉の鍵がガチャ、と開けられた音。放心状態のまま、ダイニングの扉を開けた杏寿郎さんと目が合った。

「…………」
「……ただいま」


──客人か?俺は煉獄杏寿郎だ!

──俺は君のことが好きではない

──……よくある話だ。気に病むな

──優しいな、

──好きだ

──この先ずっと、俺が君のことを幸せにすると誓う

──行ってくる



姿を、声を聞いて、走馬灯のように夢だったような記憶が蘇る。
行ってくると、そう告げたまま帰ってこなかった。ずっと、帰ってくることはなかった。

「……杏寿郎、さん、っ、」
「大丈夫か、蓋、」
「杏寿郎さんっ!!」

手にしていた蓋を落とし、熱いままのそれが腕にあたった私を心配する杏寿郎さんへと駆け寄り抱きしめた。いる、ちゃんと、帰って来てくれた。杏寿郎さんはちゃんとここにいてくれている。
腕の中で泣き喚く私を杏寿郎さんはしっかり受け止めてくれる。

「おかえりなさい、おかえりなさい……!!!」
「どうした、何があった」
「どこにも、行かないでください……っ!」
「ああ、行かない」

宥めるように私の頭を優しく撫でる。今までも、何度も何度もこうしてもらったことがある。それで私は安心できていたのに、今は、どうしようもなく切なくて、痛かった。

「夢でも見ていたのか?」
「夢……」

ここのところは、泣いてばかりだ。漸く落ち着いてきた頃に、杏寿郎さんから優しい声が降り掛かる。
私が泣いていたのは、夢、だったのだろうか。

「俺はここにいる」
「……」
「さあ、食べよう!美味そうな匂いがするな。さつまいもか?」
「…………お腹、空きました」

泣き腫らしたせいか、無性にお腹が空いている。ぽそりと呟いた私に、杏寿郎さんは小さく笑った。喧嘩をしていたはずなのだけれど、そんなことはもうなかったことのように私が落とした蓋を拾う。
夢にしては、よく覚えている。


「、はい」

ぼうっとその場に立ち尽くし、私のやりかけの夕食の準備を進める杏寿郎さんに呼び掛けられ我に返る。

「腕、大丈夫か?」
「あ、これは……」
「火傷したか?」

腕に残ってしまっている跡。
蓋を落とした時は、頭が一杯で痛みも何もなかった。今も熱くはない。

「冷やした方がいい。夕食は俺が用意する」
「えっ」
「よそうだけならできる」
「……お願いします」

作るのは、と、否定しようとしたけど、もう作り終えている状態だったことを思い出す。言われたままに、特に痛くはない火傷跡を冷やすために洗面台へ向かった。
水を流すけれど、火傷が治っている感覚はしなかった。けど、それよりも私の頭から離れないのは、夢のこと。夢と呼ぶには、鮮明で、そして忘れたくなくて、夢にしたくないことだった。

「うむ!美味い!」
「……美味しいですか?」
「ああ!」
「良かった……」

ダイニングに戻って、並べられた夕食。向かい合わせに座って食べ始めた食事はなんだか味気なく感じてしまった。
杏寿郎さんは美味しいと言ってくれているから、私の問題の他ない。ずっと、考えているからだ。夢のことを。

「杏寿郎さん」
「どうした?」
「私が見ていた夢の話、してもいいですか?」
「……そうだな、君が話していて辛くないのであれば聞きたい」

いつもと同じように、同じベッドで横になる。私を隣で包み込んでくれる暖かさは変わらない。流れた私の前髪を杏寿郎さんが和らげな表情で耳にかける。

「好きじゃないって、言われました」
「俺にか?」
「はい」
「なるほど、それで泣いたのか」
「いえ、それだけではないんです」

今でも覚えている私の胸に刺さった言葉。
でも覚えているのはそれだけではない。他にも、沢山、沢山私は夢の中で幸せにしてもらった。だから、私も幸せにしたかった。
途中、涙ぐんで言葉が出なくなってしまったけれど、それでも私が全て話し終えるのを待ってくれていた。その間、ずっと優しい眼差しを向けてくれていた。

「夢の中の杏寿郎さんのことが、大好きで、ずっと側にいたいって、そう思っていたんです。……ごめんなさい」
「夢の中でも、俺は君が幸せなら構わない。君も幸せだったか?」
「はい、でも……」
「……」
「痛い」

幸せなことに変わりはない。でも、胸が痛い。
ただ、これだけは確かだった。

「それでも、忘れたくない夢でした」

杏寿郎さんにとっては、自分だけど自分ではない相手を好きになられて、夢から覚めたくないと思われていたことにいい気はしないだろう。けど嘘は吐きたくない。
小さく、けれどもはっきりと口にした私の頭に手を回され引き寄せられる。

「なら、痛い分、今度は俺が幸せにしよう」
「……またそれですね。いつもそう言いますよね」
「君を幸せにすることが俺の責務だ。俺も嬉しい」

生涯私が愛する人は煉獄杏寿郎ただ一人。そう思っていた。
でも、私が愛する人は二人いる。それでも、杏寿郎さんはそんな私さえも受け入れてくれる。私の方が幸せなことは言うまでもないことなのに。

「さあ、明日も早い。今日はもう寝よう」
「……おやすみなさい」

泣いていただけなのに、倦怠感がすごい。こんなどうしようもない自分とは今日でさよならしたいのに、この人は私を甘やかすことをやめてくれない。
明日こそは、と、渋々と瞼を閉じれば後頭部に回された手が髪を撫でる。

「ああ、おやすみ」

温かな声と手のひらに包まれながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。




──会いに来てくれてありがとう



降った幸せに二生分の愛を込めて