花灯り

心中未満

自分がどうしようもなく惨めになって、滑稽で、不恰好で。
それでもそんな私をあの人は、自分だってよくしていた人間に話を信じてもらえないことに胸が痛んでいない、なんてことはない筈なのに、辛いはずなのに。そんな素振りは一寸も見せずにもう泣くな、傷が開く、と宥めてくれていた。
よくあることだと話していた。けれど、よくあることだからといって慣れているとは限らない。
いつだってそうだ。私の知らないところで、一人で何かに耐えて、忍んで、私に揺らぐ瞳は見せたりはしなかった。こんなところまで、彼と杏寿郎さんは同じであることに胸が締め付けられると同時に、彼のことが堪らなく、……。

「あら。目、覚めてたのですね」

薬剤の匂いが仄かに香るこの屋敷に運ばれてきたときのことは、鮮明には覚えていない。子供のように泣きじゃくり、徐々に意識がぼんやりとしてきて、そのまま気を失った。我ながらここまで情けなく哀れな人間であったことに蔑んだ。
目が覚めた時には煉獄さんはいるはずもなく、私は見知らぬ屋敷のベッドの上で寝かされていた。すぐそこの窓は開いていて、涼風が白いカーテンを揺らしている。

「……手当て、してくださった方ですか?」
「ええ。胡蝶しのぶと申します」
「ありがとうございます。です」

藤色の瞳、穏やかな声色。蝶の髪飾りに艶やかな羽織を風に靡かせながらこちらまで胡蝶さんは歩いてくる。ベッドのすぐそばの椅子に腰掛けながら名前を伝えられたので私もお礼を口にしながら名乗った。
起き上がっていた私の腕を胡蝶さんはそっと手に取り包帯が巻かれている箇所を優しく撫でる。

「腕の傷だけは、少し深かったので跡が残ってしまうかもしれません」
「……生きているだけで、十分です」
「そう言っていただけてよかった」

物柔らかな表情を向けられ、少し緊張していた気持ちが和らぐ。
羽織の下は煉獄さんと甘露寺さんと同じ服であることから、刀は今は身につけてはいないけれどこの人もきっと鬼と戦う人間なのだろう。
胡蝶さんは私の手を放し口元に人差し指をあてた。

「それにしても、煉獄さんに貴方のような人がいたとは、驚きました」
「……」
「急に血だらけの貴方を連れてきて、この方は誰なのかと聞けば煉獄さん、未来から来た人間だと仰って」

私がここへ運ばれてきた時のことを、視線を斜め上にし思い出しながら胡蝶さんは話す。目が覚める前にあったやり取りを聞かされ、改めて、煉獄さんは私の話を信じてくれていたのだと身に沁みてわかる。誤魔化すことさえせずに、真っ直ぐに私の話を捉え、疑うことさえせずに信じて、そのまま人に告げる。

「本当なのですか?」

目を丸くさせていた胡蝶さんは怪訝な面持ちを浮かべる。私も、嘘であり夢だと何度も思った。思いたかった。

「はい」
「……信じ難い話ですね」

これが、通常の反応だ。私だって見知らぬ人がそんなことを話していれば同じ反応をするだろう。
口を閉ざし、視線を手元へ落とした。血に塗れていた手も綺麗になっている。けれど、薄汚いと思ってしまうのは、私の心のせいだ。

「何にせよ、貴方が無事でよかったです。煉獄さんにお礼は言いましたか?」
「…………」

指摘されてやっと気付いた。間一髪のところ、命を助けてもらったというのに私は謝ってばかりで感謝の意を一つも述べていなかった。
反応がなく固まってしまった私に察したのか、胡蝶さんの手がふわりと私の頬を包み込む。微かに花の匂いが香った。

「傷が治ったら、ちゃんと言わないと駄目ですよ」

くすりと仄かに笑みを零し、私から手を放し胡蝶さんは背を向け淑やかに部屋を後にした。
煉獄さんには、会いたい。会って話がしたいと思っていた。けれど合わせる顔がないとも感じていた。胡蝶さんの羽織が舞って廊下の奥へ消えていくのを目にした後、小さく息を吐いた。

煉獄さんが私を助けてくれた直後に話していた通り傷はそこまで深くなく、切られた足ももう生活に差し支えはなく歩ける程度に回復していた。
胡蝶さんの屋敷、蝶屋敷と呼ばれる場所に数日お世話になった後、甘露寺さんの屋敷へと戻った。

ちゃあぁあん無事でよかったわああ!!」

まずは、お礼が言いたかった。けれど煉獄さんは屋敷にいないことがほとんどで、急に押し掛けてもきっといつ戻ってくるかわからない、と千寿郎くんを困らせてしまうのが目に見える。毎日足を運ぶほど回復はしておらず、どうしようかと数日頭を悩ませていた時に甘露寺さんは声高らかに帰ってきた。
ドタドタと廊下を駆けてくる音が聞こえ、パン、と開かれた襖の音がしてすぐに私は甘露寺さんに飛び付かれた。

「うわぁあん生きててよかったわぁあ」
「あ、あの、どうして知って、」

知り合って日は経っていないのに、えぐえぐと嗚咽する甘露寺さんに人の良さを感じつつ、なぜ甘露寺さんが私が鬼に襲われそうになったことを知っているのだろうと疑問が湧いた。
私を押し倒す勢いでのしかかっていた甘露寺さんは一度体制を整え私の前に座り直した。

「手紙が来たのよ。煉獄さんから」
「手紙、」
「そう。鴉が届けてくれるの」

目に涙を浮かべて潤ませながら、甘露寺さんは心底安堵したような笑顔を浮かべる。鴉が手紙を届ける、と、また私には理解し難い事案であることだけれど、以前、煉獄さんが窓のすぐ側に立ち、文を出していたと話していたのを思い出す。あの時は、手紙を配達する人が屋敷まで来てくれたのだとかのどかなことを考えていたけれど、そうではなく甘露寺さんへ手紙を飛ばしていたのだと漸く理解できた。

が鬼に襲われた。精神的にも参っているだろうから気にしてやってくれ、って」

傷は治りかけ、身体は回復している。けれど甘露寺さんの言葉を聞いて、心臓が杭で打ち付けられるような痛みに襲われ下唇を噛み締めた。苦しかった。どうしてそうやって、自分のことは放って人のことばかり考えるのか。それが彼の良さであることは十二分に理解している。だから、私は話したかった。

「私は大丈夫です。ありがとうございます。あの、煉獄さんに手紙を私も出したいのですが、鴉を飛ばしていただくことはできますか?」
「……ええ、いいわよ!」

私も甘露寺さんへ座り直し背筋をまっすぐ伸ばして伝えた。二つ返事で了承してくれた甘露寺さんは私に紙と筆を用意してくれたので、伝えたいことを書き綴った。
と言っても、お礼ではない。直接話したかったら、いつ帰ってきますか、なんて。後から考えれば、まるで恋人の帰りを待つようだと笑ってしまうのだけれど、早く会いたかった。
甘露寺さんが飛ばしてくれた鴉は数日で戻ってきて、その足に括られた手紙には私が送った手紙への返事が綴られていた。

「いつ帰ってくるって?」
「……今日」
「え?」
「日付、今日です」

縁側で手紙に目を通す私へ甘露寺さんが声をかける。
初めて見るはずなのに見慣れた達筆な文字。そこには私の質問の答えが綴られていたのだけれど、待ち望んでいた日と今日の日付は同じだった。遠ければ遠いほど、手紙が届くのにも時差はあるのだろうけど、まさか今日だとは思っておらず、だとしたら今すぐにでも出ないと、夕方にはもうまた煉獄さんは屋敷を出てしまうだろうか。

「私、行ってきます!」
「うん、気を付けてね、夜遅かったら無理に帰って来なくて大丈夫よ」
「はい、ありがとうございます!」

急がないと、機会を逃してしまい次いつ会えるのかまたわからなくなってしまう。手早く荷物を纏めた後に、甘露寺さんへと頭を下げて足早に屋敷の廊下を駆け抜け扉を開けた。

「っ、!」
「大丈夫か」

やけに軽かった扉。けれどそんなことには気にも止めず勢いのままに前へ一歩進めば顔面に何かがぶつかる。前のめりになっていた身体が誰かに衝突したおかげで足がよろけ、ぐらぐらとふらついた。そんな私を支えるように目の前のその人は私の腕を掴んで足取りを落ち着かせた。

「……、煉獄、さん」
「元気そうで何よりだ!」

顔を上げた先では、日の光を背景に煉獄さんは溌剌としていつもの影も暗さもない表情を私へ向けていた。
鼻を抑えながら瞬きを繰り返す私に、口の端を上げて笑う。

「何を驚いている。君が会いたいと言うから来た」
「…………」
「話があったんじゃないのか?」
「……どうして煉獄さんが、わざわざ」
「君は怪我人だろう」

いつ帰って来られますか、と、私が手紙に綴ったのはそれだけだった。
話がしたいとも、会いたいとも、一切文字にはしていない。そんな要件だけの簡素な手紙の意図を汲み取って、私が怪我人であるからって、わざわざこうして疲れた顔色も見せずに足を運んでくれたのだと思うと、声も出せずにぐっと何かが込み上げてくることに耐え、その場に立ち尽くしてしまった。