琥珀を隠したてのひらに
これだから私は、彼のことが、堪らなくそう、「あ、煉獄さん!」
目の前に佇む煉獄さんに、話したいことがあるはずが胸の奥底から色んな思いが込み上げてきて上手く口が回らない。
まごつかせている私の言葉を煉獄さんは待ってくれていたけど、後ろから聞こえた甘露寺さんの溌剌とした声に瞳を向けた。
「来てくれたんですね!よかったわねちゃん。上がってください!」
「ああ、ありがとう」
「いえいえ〜お茶菓子用意します!」
後ろから私の両肩に手を起き、煉獄さんへ嬉々として挨拶をする。その後私の顔を覗き込むように目を合わせて目尻を下げた。
「縁側、日当たりいいし部屋の中より話し易いと思うわ」
「……、はい、ありがとうございます」
「案内よろしくね!」
仄かな甘い香りを漂わせながら、甘露寺さんは私へと耳打ちするように告げて屋敷の奥へと軽快に去っていった。心の準備もできずに上手く話すことができなかった私へ気遣ってくれたのだと後ろ姿を見つめながら察した。
甘露寺さんのおかげで硬くなっていた身体も和らぎ、深く息を吐いて心臓を落ち着かせた。
「ご案内します」
胸にあてていた手を下ろし、煉獄さんへと振り向き一言伝えると、笑みを浮かばせながら頷いてくれたのでそのまま縁側へと歩みを進めた。
「相変わらず甘い香りがするな、この屋敷は」
「そうですね、私はこの香りに慣れてきちゃったので少し勿体無いなと思います」
廊下を歩きながら、無言だった私に煉獄さんが後ろから声をかける。
最初に甘露寺さんの屋敷へ訪れた時は、わかりやすく蜂蜜の匂いがした。今は慣れてしまってよくわからないのだけれど、きっと煉獄さんのようにたまに訪れるくらいの頻度であればその香りを楽しめることができたのだろう。
「好きなのか?甘い香りが」
「はい。煉獄さんはお好きですか?」
「ああ!」
背中で聞こえる気持ちのいい返事に、心の中で知っています、と呟いた。甘ったるい香りが好き、とかそういうわけではなく、花……桜のほんのり香るような甘い匂いが杏寿郎さんと同じく彼からもするから、嫌いなわけがないと思った。
杏寿郎さんへ思い馳せながら、今はこの人へ伝えなければいけないことがあると溢れ出そうになる気持ちを抑え縁側の戸を開けた。低くなった太陽の日差しに目が眩む。片側は煉獄さんが開けてくれていて、お礼を伝えてから二人並んで腰を下ろした。
甘露寺さんの話していた通り、こうしてゆっくり外の空気を吸いながらの方が落ち着いて話せる気がした。
「煉獄さん」
「なんだ?」
「助けてくださってありがとうございました」
小風が肌を撫でて擽ったい。
微妙に距離のある煉獄さんへ伝えたかったことを口にすると、胸の中でごちゃごちゃになっていた糸も解かれていくような気がした。
これだけ話すことにこうも精神が乱されてしまうのは、相手が煉獄さんだからだ。
「君が話したいと思っていたことはそれか?」
「、はい。なので、わざわざ来ていただいて、何とまたお礼を言えば……」
平坦に返され、我に返る。私が話したかったことは、私にとっては大事なことだけれど煉獄さんにはそうでないかもしれない。むしろ、お礼を伝えるのであれば本来私から出向かないとおかしいわけで。
手紙に簡素に書いただけの自分を今更ながら恨んだ。時間がわかれば煉獄さんの元まで向かいます、くらいは綴った方が良かったのに、この時代に来てから私は未だにその場の勢いと流れだけで物事を決めてしまう。
失望させてしまっただろうか、いや、失望するまでもない人間であることはわかっているけど、煉獄さんは優しいからそんなことは絶対に私に伝えない。ただ、わざわざ煉獄さんがこの屋敷へ訪れるほどのことではなかったと思うと、萎縮してしまう。
恐る恐る煉獄さんへ顔を上げれば、目を丸くさせていた後に、艶やかな髪をさらりと靡かせながら小さく笑みを浮かばせる。
「いや、いい。傷の具合も気になっていたから、どちらにせよ様子を見に来るつもりだった」
「…………」
「傷はもう平気か?」
その優しさに、心が傷まれる。
いつもはその優しさに、温もりに浸って幸せでいたのに、私のことを心配してくれる彼の優しさは、ただただ切なくて侘しくて、痛かった。
「はい。もうすっかり、治りました」
「跡が残っているな」
包帯がとれたばかりの右腕を摩りながら呟いた。身体は、痛くも痒くもない。
胡蝶さんにも伝えられていた傷の跡に煉獄さんに気付かれ、無意識に摩っていた腕を袖で隠した。
「もう少し早く辿り着いていれば傷付くことはなかったな、すまない」
「……煉獄さんが気に病まれることじゃありません」
あの時私は、自分から逃げようとはしなかった。逃げたところであの攻撃が回避できたのかはわからないけれど、夢だと思ってしまった世界から醒めたくて逃げなかった。踏み留まった。自分から受けにいったようなものだ。
でも、この腕に残った傷跡が、夢ではないことを物語っている。
「もう夜は不用意に出歩かないように」
「はい。本当にありがとうございます」
遠くの方で蜂が飛ぶ音を耳にしながら、今日何度目かのお礼を伝えた。
私に笑顔を浮かべた後に煉獄さんは立ち上がる。
「君が平気なことがわかってよかった!俺はもう行く」
「も、もう?」
「ああ!甘露寺には茶菓子は不要だと伝えておいてくれ」
快活に告げる煉獄さんに私も立ち上がる。
話し込むつもりはなかったけれど、やっぱり煉獄さんは私の様子を見に来た、と言葉のまま、それ以外の意味は何もないことがわかる。さっきまでの杏寿郎さんと何一つ変わらない優しさに重ねて見てしまっていたからか、途方もなく虚しくなった。
「何かあればまた鴉を飛ばしてくれ。今度はもう少し詳細にな」
「……はい」
頷いた私を見てから煉獄さんはくるりと背を向け羽織を揺らしながら廊下を歩いて行く。杏寿郎さんではないことはわかってはいるのに、意識して、気付いたら思いを募らせてしまいそうになる。彼が私に惹かれることはないだろうし、彼に私のことをそう見てほしいと思っているわけでは断じてない。でも、私がここへ来た理由を考えるのであれば、彼しかないと思っている。
いつも自分の中だけに苦しい感情を抑え込んで、凛々しい姿を見せる。誰もがこの人なら大丈夫だと、そう思わせるような振る舞いをする。今だって、そうだ。
「、あのっ!」
どうしたらいいのかはわからない。でも、この時代の彼のことを知らないといけない気がした。
呼び止めた私に煉獄さんは立ち止まり、顔だけこちらへ向ける。
「……足」
「……」
「怪我、されてませんか」
歩き方が可笑しかった。縁側へ案内する時は私が前を歩いていたから気付かなかったけど、右足に負担をかけないような歩き方をしているように見えた。
「怪我というほどのものではない。今は負担をかけないように歩いているから可笑しな歩き方に見えるだろうが、心配はない」
「手当て、」
「すぐ治る。心配してくれてありがとう」
それだけ告げて、煉獄さんは廊下を曲がり、揺れる羽織も視界から消えていった。
私のことは、散々心配をかけてくれたのに、私にはそうさせてはくれないのだろうか。平気か、平気でないかの本当のところは私にはわからない。けれど、歩き方が可笑しいほどの怪我をしているのは事実だ。
立ち尽くしていた足を動かし、煉獄さんの後を追いかけた。足音に気付いた煉獄さんが振り向いたのと同時くらいに、煉獄さんの羽織を掴み引き止めた。
「貴方はいつも、そうして何もないフリをして、自分だけ傷付いてしまう」
「……心配してくれるのはありがたいが、どうってことはないぞ」
「違う、そうして自分へも言い聞かせてるだけ」
「……」
「いつもそう。大丈夫、問題ない、君が気にすることではないって、強がってばかり」
一緒に寄り添って生きていきたいのに、おんぶに抱っこだった。それで、私は杏寿郎さんと喧嘩してしまったのだ。もっと、自分のことも大事にしてほしくて。
優しくしてくれるのを否定しているわけではない。でもその優しさを、自分へも向けてほしい。
「誰を、頼って生きるんですか?私では、役不足ですか?」
心の拠り所になりたかった。いつも逞しい姿を見せる彼が唯一心安らげる場所。弱音を吐ける場所。私はそうなりたかった。彼の力になりたかった。私も彼を、幸せにしたかった。
「もっと、頼ってください」
絞り出した声に迷いはなかった。
炎のような綺麗な瞳が揺れている。その瞳に映し出される自分の懇願するような姿を見て我に返った。
本心であることには間違いはないけれど。慌てて掴んでいた羽織を放して視線を足元へ落とす。
「すみません、」
「優しいな、は」
落とされた言葉に、足元から視線を煉獄さんへと再び上げる。頬を緩めたその表情に、胸の内側が熱くなった。
「頼めるか?手当て」
「……はい」
泣きたくなってしまうほどに、彼のことが堪らなく尊い人だと思った。