花灯り

曇り空の上

自身の感じたままに言葉にすることは、同じだった。彼の口から出まかせなんてものが言葉として発せられることはなく、だからこそ彼の言葉には戸惑った。
冷たく感じていた辺りの空気でさえ温かさで包み込んでくれるような、そんな穏やかな言葉だった。


「っ!」

風にそよぐ木々も丁寧に植えられた薄紅色の花も、手入れの行き届いた風景はまるで見えずに煉獄さんだけが私の視界を独占していた。硬直していた私に煉獄さんが名前を呼んで漸く我に返る。

「あ、その、えっと……」
「君には心に決めた人間がいるとはわかっている」

貰った口紅を手にしどろもどろになっていると、煉獄さんが小さく息を漏らす声が聞こえた後に変わらず穏やかな口調で話す。
煉獄さんは、私からしてみれば杏寿郎さんそのもので、生きる時代が違うだけで芯となる部分は同じだ。けれど煉獄さんは、実際に目にしたわけではないから当然かもしれないけどおそらく、全くの別人だと思っているのだろう。だからきっと、私が煉獄さんのことを好きなわけでなないと、そう考えている。
自分でもわからなかった。私の心に決めた人は、煉獄さんの言う通りの人だ。この時代の、彼ではない。でも、はっきりと頷くことはできなかった。

「俺の好意が邪魔になった時は遠慮なく言ってくれ。その時は、君の前から俺は消える」

その発言に迷いは見えなかった。哀しい表情を見せているわけでもない。それを見て、私がその一言を口にしてしまえば本当に目の前からいなくなってしまうのだろうと確信できた。

「それは嫌です」

間髪入れずに答えれば煉獄さんは一瞬肩を揺らす。
我儘だと思った。私は杏寿郎さんが好きで、この世で一番愛している人。今だって、いつになれば、何をしたら私は杏寿郎さんの元へ帰れるのだろうと考えている。
煉獄さんといればいるほど、杏寿郎さんに会いたい思いだって増す。胸が苦しくなる。でも、それだけではない感情も生まれているのは事実だった。だから消えてほしくない。いなくなってほしくない。帰りたいと思っているのに、我儘な人間だ。
手先が冷え切ったまま口紅をギュッと握り締める。

「ごめんなさい……、自分勝手で」
「君はそれでいいのか?」
「……」
「俺は君を前にすると、好かれたいと思った行動をとる」
「……それは、例えば、なんでしょう」

聞いてはみたものの、すでに好意は全面的に出されていて、手元がおぼつかず私は気が気でないのだけれど。多分今のように、いつでも私に愛を囁いてくれるのだろう。すごすごと尋ねた私に煉獄さんは一度瞬きを繰り返し、考える素振りを見せた後に私を横切り後ろの洗濯籠へと手を伸ばす。

「こういうことだな」

籠に無造作に入っていた敷布を伸ばし、バサッと音を立てて豪快に広げた。風に靡いて洗い立ての香りも広がる。
予想に反した言動に目を見張る。

「それは、私が好きでなくても多分、やってくれますよね……?」

竿に干す清々しいその横顔を見据えながら呟いた。
優しいから、本当にどこまでも優しい人だから、私が手伝って欲しいと頼めば手伝ってくれるのだろう。首を傾げる私を気にせず煉獄さんはテキパキと一つ一つを竿にかけていく。

「さあな」
「さあって、」
「もうその頃の自分の気持ちになって行動することはできないから、わからないな」

籠の中にある最後の敷布を手にする。水を吸って重たかったのに、煉獄さんがこなしてしまうと一瞬だ。
二つ向かい合わせで設置してある竿のもう片方の方へ煉獄さんが移動すると敷布のおかげで姿が見えなくなる。

「全て、君のことを想った言葉、行動になる」

バサッと音を立てて、竿に敷布をかけたのがわかった。呆然と立ち尽くしてしまっていたら、本当に瞬きする間に終わってしまった。
向かいの竿から煉獄さんはこちらまで歩み寄る。なぜか清々しい表情は消えていて、私の目の前で顎に手をあてていた。

「あの、」
「重いな」
「え、?」
「自分で口にしてそう思った。だが、事実だ」

いつだってその瞳が揺らぐことはなかった。紅葉色の瞳に映る私の方があからさまに迷いで溢れている。
私は、本来ならこの人に好かれるような人間ではない。杏寿郎さんに重ねて、この人を知った気になって、それを伝えて。だから多分、ずるい人間だと思う、私は。


「はい、」
「時間はあるか?やることが他にあるなら手伝おう」
「やることは、今日はもうないですけど……」
「なら、今から町に出ないか。曖昧なままにしていただろう」

迷う私に、煉獄さんは自分のペースを崩さない。それどころか踏み止まっている私の手を取って引いてくれようとする。
困惑している私に煉獄さんはどうだろうか、と、強要するわけでもなく返事を待ってくれている。本当は、早く結論が欲しいと思うのに。

「でも、帰ってきたばかりですよね?」
「君に時間を割きたい」

断るべきなのだろう。私には杏寿郎さんしかいないのだから。でも、この時代を生きている彼が私に初めて見せてくれた、感じてくれた好意を無下になんてできないし、歩み寄りたかったのだ。それは、杏寿郎さんを裏切ってしまうことになってしまうのだろうか。杏寿郎さんがいたら、このことを話したら、なんて言ってくれるだろうか。
一度視線を落とし俯き目を閉じた。頭の中でその姿を思い浮かべると、都合のいいことを話しているのは私の勝手な理想だろうか。

の好きにしてほしい」
「え、……」
「困らせたいわけではないんだ」

思い浮かべていた杏寿郎さんが私にかけてくれた言葉と、同じだった。私のしたいようにすればいいと、彼はそう話してくれると思った。
目尻を下げて笑うその面持ちも、頭の中の彼と重なる。それが、本当に杏寿郎さんが私に伝えてくれたようにも思えてしまって、踏み止まっていた足を一歩、前に出そうとした。

「夕食の支度もあるので、それまでで良け、」
「南南西ーッ!南南西ーーッ!!急ゲ!急ゲーーー!!!」

頭上で飛んでいた鴉が鳴いた。黒い羽根が一羽ヒラヒラと私と煉獄さんの間に舞い降りてくる。
私の返答を待っていた煉獄さんは息を吐いて口端を上げた。

「行ってくる!」
「そんな、戻ってきたばかりで立て続けに、」
「入る!柱である俺が行かない理由はない」

その瞳に、やはり迷いは見えなかった。いつも、この人なら大丈夫だとどんな不安も払拭させるような頼もしさがあって。
けれど、見せていないだけ、なのかもしれない。というよりは、きっとそうだ。だから、刀を持って人の命の為に立ちはだかる彼が、私といる時だけでも心安らぐ時間を過ごしてほしいと思う。

「お待ちしています。甘露寺さんに、美味しい甘味処があると教えていただいたんです」
「……それは楽しみだ!」

張り詰めていた空気が、その笑顔に溶けていく気がした。
私に背を向け煉獄さんは歩き出す。


「はい」

後ろ姿を見送る私にその歩みを止めた。顔だけこちらへ向けて、この世の何もかもが味方であるような、自信に満ちあふれた笑みを浮かばせる。

「必ず、帰りたいと思う理由が増えた」
「…………」
「行ってくる!」

いってらっしゃい、と私が返す間も無く、煉獄さんは一瞬でその場からいなくなってしまった。彼の去った後に木枯らしが吹き荒れる。
心も身体も熱いのは、日差しが強くなったせいだと信じたいのだけれど、深々と雪が降ってきたことに気付く。今日はずっと、曇り空だ。