花灯り

曖昧な未来

いつ、帰ってきてくれるか、無事であるか、そんな保証はどこにもなかった。

「そっか……」

煉獄さんが帰ってきたらきっと、私の元に来てくれるのだということはもう分かりきっていた。どうしよう、どう接したらいいのだろうと迷う傍でその帰りを心待ちにしている自分がいたけれど、煉獄さんは数日経った今日も帰って来なかった。
もしかしたら重傷を負って、私には黙って屋敷で療養しているのかと思って煉獄家へ赴いてみたけれど、私の姿を見た千寿郎くんには首を横に振られてしまった。
大事になっていないといいけれど、そればかりはわからない。

「いつも、兄上が任務に出る時、俺も最悪の事態を考えます」

屋敷の入り口で立ち竦んでいる私に千寿郎くんが呟いた。
人は、そんなに簡単に最悪の事態になってしまうものなのかと胸が締め付けられる。本当にここは、私が知っている大正時代なのだろうか。考えたって誰も答えは教えてくれない、意味がない。わからないけれど、でも、私が知らない世界であっても、あの人がいなくなってしまうのは、嫌だ。

さん」
「……うん」
「良かったら、町へ出ませんか?気分転換に」

思わず、俯いていた視線を上げて千寿郎くんへと目を向けた。下がった眉に煉獄さんよりも幾らか柔らかく感じる瞳が私を捉える。
私と同じく、不安で押し潰されそうな筈であるのに、強い子だと思った。性格は、似ても似つかないと思っていたけれど、人のことを思いやれる優しい子なのは煉獄さんの弟であることを物語っている。

「うん、ありがとう」

年の離れた男の子に、気を遣わせてしまった。
頷いた私に千寿郎くんは少し待っててください、と一度屋敷へと戻って行った。
煉獄さんに誘われた時は随分迷ったのに、えらい違いだ、なんて心の中で自嘲した。
屋敷の塀に背中を預けて空を見上げる。今日は雲ひとつない青空が広がっているのに、心の奥に靄がかかっているように感じるのは、彼がいないからだ。手紙を出したら、また煉獄さんは返してくれるだろうか。多分、返してくれる。でも、それが任務の邪魔になってしまったらどうしようと迷ってもいた。
大事になっていなくても、もしかしたら戦っている途中鬼が逃げ出して、一夜で終わらないことだってあるのだろう。

さん……、さん」
「!」
「お待たせしました、大丈夫ですか……?」

まだ帰って来ない理由を、最大限前向きに考えても戦いが長引いているだとか、別の鬼が現れたとか、あまりいいことではない。無事に帰ってくること以外、いいことである筈がないのだ。
想像できる余地に没頭していると、名前を呼ばれていたことに気づくのが遅れてしまった。心配そうに私を見据える千寿郎くんに笑い返した。

さん、兄上と何かありましたか?」

町への道すがら、わざと煉獄さんの話はしないように心がけてみたのだけれど、できる会話なんて限られていた。そんな折に、隣から心揺さぶられる質問が投げかけられる。
何か、は、私としてはあったのだけれど、どうして千寿郎くんはそう思ったのだろうか。

「どうして?」
「なんとなく、何かあったような感じに見えたので」

横目で見た千寿郎くんの瞳は疑いの眼差しというものではなく、純粋無垢なものだった。小さい子……といっても千寿郎くんはそれほど子供ではないけれど、人の変化に敏感なことが伺える。

「……うん、ちょっとだけあった」
「ちょっとだけ?」
「うん。ねえ、煉獄さんって、どんな人かな」

彼のことだから、自分の気持ちは私が相手でなくとも包み隠さず伝えるだろう。だから千寿郎くんが知らないのも今だけだ。ただ、私から言うべきことではないので話題を変えた。尋ねた私に千寿郎くんは目をぱちぱちとさせながらも、今日一番に嬉々とした表情を見せる。

「兄上は、自慢の兄です!小さい頃は父上に稽古をつけてもらっていましたが、柱になったのはほぼ兄上自身の力です。帰ってきたら、俺の稽古にも付き合ってくれて。蜜璃さんだけではなく、兄上を慕う隊士も多いと聞いています」
「……そっか」

ただ、私はそれを聞いて、素直に一緒に嬉々とすることはできなかった。何気無く聞いた質問に、煉獄さん自身のことではあるけれど、鬼殺隊での彼のことを話すとは思っていなかったからだ。彼らにとっては、当たり前である筈なのに。私が思う平穏で、幸せな世界ではない。

「俺もいつか、……兄上のような柱になりたいって、思っています」

『なれるよ』『なれるように頑張ろう』なんて、気の利いた言葉は出てこなかった。私が口出しできる代物ではないと思った。
彼らの幸せは、人のために、自分の命を顧みずに鬼に立ち向かうことがそうなのだろうか。否、それは彼らの使命であって、そのために命を落とすことが賞賛されるべきことだなんて、私は信じたくない。

「あら、千寿郎くん」

微妙な空気になってしまった千寿郎くんと栄えている町へ入ると、途中穏やかな声が彼を呼んだ。
そっちへ顔を向けると、身なりの整った綺麗な女性だった。

「こんにちは」
「こんにちは。もしかして、貴方がちゃん?」
「はい、そうです……?」

小股で私たちの元へ歩み寄り、その女性は私を見るなり名前を言い当てた。千寿郎くんと知り合いみたいだから、煉獄さんとも知り合いなのだろう。私のことを話されているのだろうか。控えめに会釈をすると、その人は私の口元を見て朗らかに笑う。

「その口紅、杏寿郎くんから貰ったものよね?うちのなのよ。似合ってるわね」
「え、あ、そうなんですか、ありがとうございます」

片手を頬に当て、嬉しそうに煉獄さんが選んでいた時のことを話すその人に私が恥ずかしくなってくる。

「今度は二人でいらっしゃいね」
「今度、」
「あ、千寿郎くんが仲間外れになっちゃうわね」
「いえ、二人の仲が良いのは僕も嬉しいです」

冗談交じりに話すその人へ千寿郎くんが優しく返す。二人のやり取りが耳に通り過ぎて行った。
『今度』は、あるのだろうか、なんて不安が頭に過ぎってしまったのだ。

ちゃん」
「、はい」

今も、煉獄さんは帰ってこないまま。
虚ろになっている私へ声をかけるその人に我に返る。目を合わせれば、穏やかで切なげに目尻を下げる表情を私へ見せた。

「一緒にいてあげてね」

この人は、彼らというよりは、彼らの両親との交流が深かったのだろう。だからその言葉が何を意味するのかは、すぐに理解できた。
千寿郎くんも、眉をいつも以上に下げている。
ただ、私はそういう存在になれるのだろうか。私は、何も知らないし何もできない。できることがない。

さん、今日は付き合っていただきありがとうございます」
「ううん、こちらこそありがとう」

時刻は昼下がり、町は今から繁盛していくという頃だろう。買い出しを済ませた千寿郎くんが改まってお礼を言うものだからいやいやと私もお礼を述べた。
千寿郎くんも不安なことに変わりはないのに。
だから、私にできることはないのだろうかと買い出しに付き合いながら考えていた。一緒にいるだけで良いなんてことは、絶対にない。それから、多分、私が何かをしないと私は元いた時代に帰れない気がしていた。その“何か”がずっとわからないままなのだけれど、さっき千寿郎くんが話していたことに少なからず影響を受けていた。
千寿郎くんだって、家のことをしながら寝る間を惜しんで刀を振っている。

「千寿郎!!」
「!、兄上!」

町を出る間際、聞き慣れた声、聞きたかった声に足を止める。私よりも先に反応して駆けていく千寿郎くんの後ろ姿を追っていると、その先にいた煉獄さんが千寿郎くんのことをしかと受け止めていた。

「二人で出掛けていたんだな」
「はい。兄上、ご無事で安心しました」
「ああ、俺はなんともないが重症な隊士が多くてな」

煉獄さんは、話す通り大きな怪我はなさそうで千寿郎くんの頭を大きな手で包み込んでいる。
千寿郎くんに続くように私も煉獄さんへと歩み寄った。

「おかえりなさい。……看病ですか?」
「いや。看取っていた」

この人が無事で良かった。何事もなくて良かった。
けれど、数日帰って来なかった理由は、共に戦った隊士の最期を看取る為だった。
儚げに笑みを浮かべる彼へ半端に歩み寄った足を止めた。無意識に視線は彼の腰に携えられた刀へと移動する。

「あの、私……」
「…………」
「私も、……」
さん……?」

何もしない、できないままでは駄目だ。でも、私にできることなのだろうか。あの禍々しい生き物を前にして、震えを止めて立ち向かうことなんてできるのだろうか。それよりも前に、想像を絶する鍛錬だって待ち受けているのだろう。耐え忍ぶことができるのだろうか。平和な世界で生きてきた私が、今更そんなことができるのか、自信なんてなかった。でも、このままでは何も変わらない。

「鬼殺隊に、はい、…… 入り、」

入って鬼と戦います、そう言葉にすることだけでも声が震えてしまっていた。口に出してしまえば、それが確定してしまうからだ。本当は怖い。怖いけど、彼らのことを理解したい。現状を変えたい。随分と曖昧な理由だけど、そうする他なかった。

「一緒にたたか、っ」

それを言葉にする前に、俯いていた視線の先に影が降り、肩にそっと暖かい手が触れた。見上げた先には、いつになく和らげな表情を私へ見せる煉獄さんがいた。

「気持ちは嬉しい。だが、鬼殺隊に入ることだけが全てではない。鬼殺隊に入らずとも志は同じだ」
「……でも、」
「そもそも、君が死んだらどうする。待っている人がいるのだろう」

そんな言葉、自分にだって当てはまることなのに。私にとっての『待っている人』は、貴方にとってどういう存在なのか、わかっているくせに。
貴方がそれをいうのは、卑怯だ。