花灯り

誰かの願い

鬼殺隊に入ることだけが全てではないと、彼は話していた。だったら、私が彼にできることは何になるのだろうかと考えても答えはでなかった。元の時代へ帰りたいと思うのに、それがわからずに変わり映えのない毎日を送っている。……否、それは語弊がある。

「それで、能を観に行かないか?」

煉獄さんが帰ってきたあの日、早速、と約束通りに甘露寺さんが教えてくれた甘味処へと二人で入った。どうにも私は平常心でいることはできないと危惧して千寿郎くんも誘ったのだけれど、俺は家のことがあるのと、稽古を続けます、と笑顔で去って行ってしまった。もしかしなくとも、気を遣われていた。美味い美味いと口にしながら目の前で甘味を食べる煉獄さんに、私はその味がやけに甘く感じた。
柱に休暇というものは基本的にはない。煉獄さんのところへいた時も煉獄さんが屋敷にいることは少なかった。だから、甘味処へと立ち寄った日以来にこうして誘われた。

「今から、ですか?」
「ああ、君さえ良ければ」

また後日、なんて曖昧な約束ができないことは理解している。時間があるならば今なのだろう。屋敷の窓を拭いていた私に煉獄さんは愉しげに千寿郎くんとの稽古の模様を話しかけていた後、そう告げたのだ。
振り向いた先の煉獄さんはいつも通りの凛々しい瞳で私を見据えている。人を好きになった時も、彼は変わらず真っ直ぐだ。私以外の人を好きになった彼のことを私は知らないけれど、きっと誰を好きになろうとも包み隠さず自分の思いに正直に生きるのだろう。煉獄さんでなければ、私はこの誘いに頷くことなんてなかったと思う。別人であるとわかっていても、その思いを否定したくなかった。存外、我儘な人間だ。

「普段、こうしてどなたかと出掛けるんですか?」

丁度公演をしている、と伝えられるままに煉獄さんの隣を歩いてその場所へ向かう。千寿郎くんとは勿論出掛けることはあるのだろうけど、面倒見がいいからきっと、例えば後輩を連れて町を出る、なんてことはありそうだと思った。

「隊士以外では君が初めてだ」
「…………」
「……嬉しそうだな」
「はい」

やっぱり、同じだ。杏寿郎さんだって、一年目の新人が元気がないから相撲を一緒に観に行く、と休みの日に出掛けたことがあった。煉獄さんも落ち込んだりした隊士一人一人を気に掛けていたのだろう。私は、隊士でもなんでもないのだけれど、きっと彼の中でそういう隔たりはない。

「それは、君は俺のことが好きだと捉えていいのか?」
「え、」

ぼんやりとしていた思考を元に戻して慌てて煉獄さんを見上げる。
無意識に笑みが溢れてしまったのは、彼が面倒見の良い人であることが改めてわかったからで。ただよくよく考えてみれば、隊士以外で、なんて言われて嬉しそうにされていたらそういう意味で捉えるだろう、普通は。私が、彼を好きになることはあるのだろうか。わかりきった問いだ。

「えっと……、」
「冗談だ」

泳がせていた視線を、再び煉獄さんへと戻した。くしゃりと崩す笑顔が心臓に悪い。もうすぐだ、と道の先を見据えた煉獄さんに胸が痛くなった。
もうすぐ着くことは私も知っている。もう何度か訪れた町には慣れてきた。店が立ち並ぶ大通りや、少しその道から外れると空手か剣道か何かの道場があることも知っている。こんなに慣れてしまうつもりはなかったのに、いつまで私は、こうして誰かに守られながら何気ない毎日を送っているのだろう。
久しぶりに見た能楽は、流石の古くからの伝統芸能で、隣に杏寿郎さんがいた頃となんら変わりはない時間だった。その時間だけは、見ているものが一緒だったおかげか、元の時代に戻れたような気がした。だから、つい、やってしまったのだ。

「また観に行きたいですね」
「……、」
「……あ、す、すみませ、」

自分が大正時代にいることも忘れて魅入っていた私は、隣にいるのが杏寿郎さんだとも思い込んでしまっていた。席を立って外へと出る間、人の流れに沿いながら歩く隣の彼の手を取ってしまった。それもなんともお気楽なことを発しながら。だらしなく頬も緩んでしまっていた気もする。彼の目がそれを物語っている。我に返り、謝りながらギュッと掴んでしまった手を離そうとした。

「君から繋いでおいて離れるのは無しだ」

無意識に繋いでしまった手は、離れることを許されなかった。私が緩めた手を煉獄さんは握り返す。ゴツゴツとした大きくて、それでいて温かい手のひらから熱が伝わる。手のひらだけでなく、全身に熱が広がってしまう気がする。

「そんな風に笑うんだな」

せめて、きっと火照っているであろう顔が冷めないかと外に出て成り行きで町を歩いている。そんな折に隣から呟くように聞こえたのは、独り言だろうか。繋いだままの手に少しだけ力が加えられて、控えめに煉獄さんを見上げると、眉を下げて口端を上げていた。

「俺にも見せてくれると嬉しい」

ああ、この人は、気付いているのだと悟った。今私が彼に見せた表情は、言葉は、自分に向けられたものではないと。私は煉獄さんに、そんな表情をさせたいわけではない。でも、自分でもどうしたらいいのかわからない。気持ちも、行動も。
この人が、私ではない誰かを好きになれば、彼の思う通りになったと思う。こんなできた人に好きだと告げられて、首を横に振る人なんていないと、私は思っている。あくまでも彼は、この時代の煉獄杏寿郎であって、私の知る人ではない。何度も何度も自分に言い聞かせているのに、重ねてしまう。重ねてしまうから、彼が幸せになってほしいと願ってしまう。

「前にも話したが、俺はを困らせたいわけではないんだ」

黙ってしまった私に、煉獄さんは口を開いた。それは、私も同じだった。
煉獄さんに悲しい目にあってほしいわけじゃない。でも、私はそもそも、この時代の人間ではない。私は煉獄さんが思いを寄せるに値するような人間ではない。

「暗くなってしまったな!美味しいものを食べに行こうか」

よく世話になっている店がある、と煉獄さんは私の手をそっと離し、微笑みかけた。寒くなってしまった手のひらが寂しい。そんなことを思うなんて、迷っているわりにもう答えは出てしまっているのだ。けど、わかっていてもそんな自分に納得ができない。

「料亭ですか?敷居が高いところはちょっと……」
「いいや、皆ともよく行っていた場所だ」

いつまで自分の気持ちに嘘を吐き続けるのだろうか、何をしたら元の時代に戻れるのだろうか、考えてもわからない。でも、そんなこと彼には関係ない。彼が私を困らせたいわけではないと話していて、それは私も同じなのだから、この時間だけはと、せめて明るく取り繕った。
入ったお店では、煉獄さんの話していた通り敷居は高くはなかったけれど、杏寿郎さんにもよく連れて行ってもらっていた老舗とよく似ていた。好き好んで選ぶ店も似ている、というか同じなのだろう。
杏寿郎さんと重ねてしまう自分が嫌だった。彼の為になりたいと思う。それは、重ねているからという前提の他ないのだけれど、彼にとっては失礼極まりない話だ。



日が落ちる前に、屋敷まで送ってくれた煉獄さんにお礼を言って私が背を向ける前に呼び止められる。落ち着いた声色に私の心臓は穏やかではなくなる。彼がいつもより低い声を出すときは、決まって心臓に悪いことを言い出す。

「話してくれないか?」
「……?」
「ずっと声に出してないことがあるだろう」

今日の私の様子に、そう感じ取ってくれたのだろう。薄暗くなった辺りの中で煉獄さんは薄っすらと笑みを浮かばせる。彼自身は、今日私を誘ってくれたけれど、楽しかったのだろうか、私は彼に楽しんでもらうことができたのだろうか。

「私……、」

目は、合わせられなかった。煉獄さんのことは、好きだ。嫌いになんてなるわけはないし、むしろ、好きにならない理由がない。彼が私のことを知らないと告げた時にひどく心臓が痛んだ時からそんなこと、もうわかりきっていた。でもそれは、違うんだ。

「帰りたい、です」

乾き切った地面がポツポツと濡れていく。どんなにも振り絞っても声は震える。
私が、この時代に来なければ、彼は私ではない人を選んで、私も杏寿郎さんと暮らしていた。それで、それが一番良かったのだ。

「元の時代に、帰りたい……っ、」
「……」
「杏寿郎さんに、会いたい、」

その時、煉獄さんは何を思っていただろうか。ただ、私の頭を包み込むように優しい手付きで撫でてくれていたことだけは覚えていた。