花灯り

勝手に足枷にしていた

一緒に町へ出向いた日以来、煉獄さんの姿を見なくなった。
自分でも折り合いのつかない曖昧な感情を持ち合わせたまま会いに行くなんて勝手かと思ったけれど、彼にいなくなってほしいと思っているわけではない。だから、そんな、言い訳とも思える理由かもしれないけど煉獄さんの屋敷へと訪れた。
けれど、屋敷の入り口で千寿郎くんは首を横に振った。

「帰ってきてないのです」
「……そっか」

詳しく聞けば、任務もないし担当地区の巡回も終わる時間であるにも関わらず帰って来ることが稀だそうで。
一人で無茶をしてしまうような人だから、誰にも何も言わず一人で何かを背負ってしまっているのではないかと不安が頭に過る。もし、最悪の事態になっていたらどうしようかと怖かった。いなくなってしまうのは、嫌だ。



不意に、穏やかな風に乗って私を呼ぶ声が後ろから聞こえる。その声に振り向けば、今の今まで会いたいと思っていた人が、何らいつもと変わらない姿で側まで羽織を揺らしながら歩いてきた。最悪の事態を考えていたのに、その様子に思わず目を丸くする。

「どうした。用事があったか?」
「……だって、帰って来ないから……、」
「ああ、港で話を色々と聞いていてな」

あの日、煉獄さんの前で帰りたいなんて嗚咽していたくらいだ。煉獄さんが私に見限ってしまっても全く不思議な話ではない。好きだと伝えてくれた人に対して酷いことをしてしまった自覚はある。だから、私が今、煉獄さんに会いに来た、という用事は彼にとって迷惑でしかないだろうかと胸が痛くなる。

「港……?」
「君がいた時代の名称や地名について、聞いて回っていた」

恐る恐る、私を見下ろす煉獄さんへ顔を上げて尋ねたら、その返答に心臓がどくりと震えた。誰も知っている人間はいなかった、と続ける煉獄さんの声が耳を通り抜けていく。
知っている人なんて、いるわけがない。いるわけがないのに、僅かな可能性でもあればと、探してくれていたのだろうか。私が『帰りたい』なんて言ってしまったから。沢山、そんな可笑しな話あるわけないと、笑われたりしたんじゃないだろうか。

「代わりには及ばないが、土産があるぞ」
「なんで」
「普段港へは俺は行かないからな。折角だ、」
「そうじゃなくて」

私の前に買ってきたと思われる包みを差し出す煉獄さんの言葉を遮った。
帰りたいと言ったのは確かに私だから、煉獄さんのしていることは間違ってなんていない。むしろ、煉獄杏寿郎はこういう人間なのだとわかっていたはずなのに。

「そうじゃ、なくて……」
「…………」
「……、」
「あ、あの」

胸の奥がぐつぐつとして、いっぱいになって、上手く言いたいことが言葉にできない。なんて伝えることが正解なのかもわからない。
ぐっと唇を噛み締める私とそれを待つ煉獄さんの間に、やり取りを見ていた千寿郎くんが声を上げた。

「お茶、お出しするのでよかったら中へ」

あまりいい空気ではないと、察してくれたのだろう。控えめにそう告げた千寿郎くんは煉獄さんからお土産を受け取って中へと招き入れる。
縁側の窓を開け、少しお待ちくださいと言われた通りに気まずくなりながらも煉獄さんと並んで座る。視線の先には、初めてこの屋敷へと踏み入れた時に見た優美な庭。その景色に幾らか気持ちを落ち着かせ、ゆらりと吹く風に髪を靡かせる煉獄さんへ漸く口にした。

「どうして、私のことを?」
「港へ行って聞いて回ったことか?」
「はい」
「愛している人間が悩んでいるんだ。力になりたいと思うのは当然だ」

やっぱりそうだ。
煉獄さんは、私のことを見限っていたりはしなかった。自分よりも人のことを意識せずに優先するような人だから、当たり前だ。
煉獄さんに力になってもらえるのは嬉しい。でも、それと同時に遣る瀬無い思いも込み上げる。

「……帰っても、いいんですか?」

私は、どうしたいのだろう。帰りたいと思っているはずなのに、そのことを煉獄さんに後押しされてしまっている現実に違和感を覚えている。私が帰ったら、煉獄さんは、どうなってしまうのだろう。私とは別の人を見つけて、幸せな未来を築いていくのだろうか。そうであってほしいと願ったばかりなのに、自分の発言に一貫性がなくて心底嫌になる。
俯きながら呟いた私に、返事がない。ちらりと横目で見ると、煉獄さんはじ、と私を見据えていた。それからふわりと眉を下げて笑う。

「正直に話すと、帰したくはない。でも、君は帰りたいのだろう」

本当は、帰したくないと思っているのに、帰る方法なんて誰もきっとわからないのに、それでもこの人は、自分がどう思われようと私の為に動いてくれる。私は、貴方がそこまでするような人間ではないのに、ただ遥か遠い場所、貴方であって貴方でない人と過ごしていただけの人間なだけであるのに。
煉獄さんの紅葉色の瞳に、言葉が出ない私の姿が映る。それから額に指が伸びてきて、とん、と押され僅かに後ろへ頭が揺れた。

「ただし、諦めたわけではない。俺が君を好きでいることは自由だ」
「……」
「君には俺を好きになってもらうつもりでいる。であれば、帰る必要もないだろう」

こんなにも直向きに思いを告げられて、揺れ動かない人なんているのだろうか。私でなくたって、きっと煉獄さんのことを思う人は沢山いる。神様の悪戯で私はここへ来て、奇跡のようなことが起きて、煉獄さんに良く思われているけれど。
じっと見ている私に煉獄さんはふっと息を吐いて笑う。

「今のは言い返すところだぞ」
「あ、えっと、今の、」
「帰る必要もないというのは冗談だ。帰る間だけでも、俺のことを視野に入れてくれると嬉しい」

柔らかい笑みを私へ浮かべてから、煉獄さんは庭、いや、もっとどこか遠くを見つめるよう前へ視線を向ける。

「難しいとは思うがな」

その瞳の先には、彼の望んでいるものがあるのかもしれない。でも、それは近くにはなくて。自分から手を伸ばすこともしなかったのかもしれない。
もしかしたら、いつ命を落としてしまうかわからないから、そうして無意識に他人と接するのを避けてきたのではないのだろうか。だとしたら、彼にとって私はそれさえ放っておけるほどの存在になろうとしているわけで。

「いつか帰ってしまうかもしれないのに、煉獄さんは、怖くないのですか」

それほどの存在にもしなろうとしているのであれば、生涯付き纏う問題がある。例えば、何かがあって私はこの時代から突然いなくなってしまうかもしれない。だから、そんな不明瞭な存在、煉獄さんの中で大きくしてはいけないと、思っている。

「君は、君が愛している人間に今君と同じことを言われたらどうする?」
「……え、私ですか」
「ああ、そうだ」
「……怖い、かもしれないけど、でも、他の人は考えられません」

杏寿郎さんが、もし、突然いなくなってしまうことがわかっていても、それでも私は離れたくない。例え杏寿郎さん自身が俺とは違う道を歩んだ方がいいなんて私に告げても、そんなことは絶対に嫌だ。その考えは揺るがない。
はっきり口にした私に、煉獄さんはそう言うと思っていたと言わんばかりの笑顔を私へ向けた。

「同じだな」

わかっていて私へ尋ねたのだろう。ずるい人だ。なのに、私はいつまでもいつまでも踏み出せないでいる。踏み出してはいけないものだと思っている。だって、心に決めた人がいるのだから。
煉獄さんに頷けず、キュッと口を閉ざすと千寿郎くんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。和菓子の甘い香りに少しだけ気持ちが落ち着く。煉獄さんも一緒に食べるのかと思いきや、何かを千寿郎くんに耳打ちされて、席を立ってしまった。すぐ戻ると告げる煉獄さんの後ろ姿を眺めていると、千寿郎くんが私にお茶を差し出しながら、私へは伝えるなと口止めされていたらしいことを教えてくれた。

「藤の家の方との縁談を勧められていて、断っているんです、兄上」
「……縁談、」
「はい。鬼殺の家系では珍しいことではありません。むしろ、遅い方かもしれませんね。ですが、さんがいるから」

黙っていてほしいと千寿郎くんに話したのだから当然だけど、初耳だった。いつからその縁談は話が進んでいたのだろう。否、私がいるから断っているというのは今の話であって、過去も断り続けていたのかもしれない。

さん」
「……うん」
さんは、兄上のことが好きですか?」

煉獄さんは、置いていかれてしまう家族の寂しさを、知っているから。自分の幸せを差し置いて、家族のことを考えて。でも、煉獄さんは今、私へ手を伸ばしてくれている。
並々注がれたお茶の入った湯呑みを両手で握り締めた。

「うん、好き」
「良かった」
「でも……」

初めてはっきりと言葉にした。声に出した。
心に決めた人は、杏寿郎さんただ一人だった。一人しかいなかった。それが、揺れ動いてしまっている。
どうしたらいいのかわからない。好きだから、幸せになってほしいと思う。でもそれは、きっと私のことを待ってくれている人を裏切ってしまうことになる。
言葉が続かない私に、千寿郎くんは私の名前を呼んで煉獄さんと同じ瞳を私へ向けた。

「未来の兄は、……その、」
「……」
「今の、苦しんでいるさんの重荷になってしまうような人なのでしょうか」

ずっと、考えていた。でも、私が都合よく想像しているだけかと頭から振り払っていた。それでもそれ以外の言葉は私が思う杏寿郎さんからは出てこなくて。
出した答えは正解かどうかはわからない。誰にもわかることはない。ただ、煉獄さんのことが好きだという思いは確かなものだった。