花灯り

遠い記憶は今

もしも、このまま帰ることができなくなってしまったらと、考えたって仕方のないことだけど帰る方法も何もわからない今、常に脳裏に不安が纏わり付いていた。けれどそれと同時に、私が帰ってしまった時、彼は何を思うだろうと一端に物案じていた。
私のことを思ってくれているのが直に伝わるから、そして、私もそんな彼に惹かれてしまっているから、だからこそだった。

「あの、煉獄さん」

帰る方法を、わざわざ煉獄さんが探してくれなくても、と、伝えたらもの言いたげな表情で『いいのか?』と聞き返された昨日のこと。多分、煉獄さんが探しても私の帰る方法なんて誰もわかりはしないし、私の為に煉獄さんが周りの人に笑われてしまうのだって嫌だった。
それなら、明日は時間があるからまた町へ行かないかと誘われてしまって今に至るのだけれど。
好きな食べ物だとか、普段甘露寺さんの屋敷で時間が空いた時は何をしているのか、とか、沢山聞いてくれるけど私が元いた時代のことは一切煉獄さんは聞き出そうとはしない。今、ここにいる私自身のことを尋ねてくれる。

「なんだ?」

よく行くと話して連れてこられた食事処で煉獄さんを前にして、私も煉獄さんに聞きたいことがあった。私よりも先にとっくに食べ終わって出されたお茶を飲む煉獄さんへ、躊躇いながらも意を決した。

「縁談を、断っているって、聞きました」

賑やかな食事処で話す内容なのだろうかとも思うけど、騒がしい方が今の私には聞きやすかった。そもそも、周りの会話を気にしている客もそういない。
空になったお椀を置いて、控えめに煉獄さんへと視線を向けると、ぱちぱちと大きい瞳を上下させていた。

「千寿郎か」
「……はい」
「言うなと話したのに」

千寿郎も兄の言い付けを破るようになったか、と、そうは言うもののどこか愉しげに見えた。斜め上、少し遠い場所を見据えているような視線の先には千寿郎くんがいるのだろう。それから、その瞳を私へと向ける。

「それで?」
「それで、」
「まさか、『なぜ断っているか』なんて聞く訳ではないだろうな」

ほんのりと意地悪な笑みを浮かべる煉獄さんに言葉が詰まる。煉獄さんの言う通り、そっくりそのまま聞こうとしたことだった。答えは予想のつくものだとわかっていながら、煉獄さんの言葉ではっきりと聞きたいと思ってしまっている私は、もう、手遅れだろうか。
口を噤んだ私に煉獄さんは小さく息を吐く。

「俺は、自分に嘘は吐きたくない」

私は、ずるい存在なのに。
周りが知らない煉獄さんのことを、私の知っている杏寿郎さんと重ねて踏み込んでしまっただけだ。

「湿気てしまったな!そろそろ出ようか」

私が、その真っ直ぐな瞳を直視できずに俯いてしまったからだろうか。声色を明るくし、ガタッと椅子から立ち上がる煉獄さんに私も後をついていく。どこへ行くかは決まっていないけど、決まっていなくても特別居心地の悪さは感じなかった。煉獄さんも、こうして隣を歩いているだけでいいと思ってくれているのだろうか。

「あ、煉獄さーん!」

どこを行くわけでもなく、煉獄さんは町を歩きながら千寿郎くんや甘露寺さんとの昔話をする。私のことも、二人にはこうして穏やかに話したりしてくれているのかもしれない。その話に時折小さく笑いながら耳を傾けていると、前方から煉獄さんを快活に呼ぶ声が聞こえてくる。
大きく手を振って駆けてくるその人は身なりからして隊士、と言うわけではなさそうだった。年が近そうだ。綺麗な簪で髪を纏め上げている。

「今日は店は休みなのか?」
「はい!もしかしてまた来てくれる予定でした?」
「いや、そのつもりはなかった」

会話から察するに、煉獄さんがよく行くお店の人、だろうか。
甘露寺さん以外の女の人とこうして親しげに話している姿は初めて見る。人当たりのいい人だから、きっとこの人以外にも親しい人なんて沢山いるのだろうけど、どうしても胸がざわついてしまう。本来、私の存在の方がおかしな話であるのに。
目の前で繰り広げられる会話を他人事のように見据えていれば、煉獄さんと話していたその人が私へ顔を向ける。

「そちらが名前さん?」
「ああ、そうだ」
「初めまして!煉獄さん、いつもいつもうちのお店で名前さんにお土産を買っていってくれるんです」
「初めまして、そうなんですね……」
「わざわざ言わなくていいだろう」

それなりに、長い付き合いなのだということが接し方でわかる。
眉を下げて困ったように笑う煉獄さんに唇を噛み締めた。

「だって煉獄さん、全然私に目を向けてくれないんですもん。だから茶々入れたくなっちゃって」
「君にはもっと相応わしい人間がいる」
名前さんには自分で妥協してもらうってことですか?」
「……む、この言い方だとそうなってしまうな」

言い様に真剣に悩む素振りを見せる煉獄さん。
二人を見ていると、私のことを話しているはずなのにどこか疎外感を感じてしまう。この時代の人間ではないのだから、そんなの当然であるのに。
私よりも、この人との方が、煉獄さんは幸せになれるのではないかと、そう思ってしまうほどなのに、離れることができない。

「人間には、相性があるだろう」
名前さんとは抜群なんですか?」
「俺はそう思っている」
「……いいなぁ」

ちら、と横目で私を見るその人と目が合った。良いこと、なんて何もない。いつ帰ってしまうかわからない。私には愛している人がいる。だから、こんな曖昧な関係でいることは誰も幸せにはならない。
俯く私に、その人は私の手をとり紙を二枚、手のひらへ重ねた。

「なんか色々ありそうな感じがするけど、きっと幸せになれますよ」
「……」
「優待券!煉獄さんと行きたくてずっと持ってたけど私使わなくなっちゃったので、どうぞ。ちなみに今日までです」

手のひらに載せられたそれは、私が元いた時代にも杏寿郎さんとよく行っていた場所だった。観覧車があると、煉獄さんとも話していた遊楽地。
この人は、煉獄さんのことが好きだと思いきり話しているようなものだったのに、私のことは疎ましいとは思わないのだろうかと、少し疑問を持った。顔を上げてその人を見れば、呆れたように笑う。

「まあ、貴方、というよりは煉獄さんを応援したくなっちゃって。入り込む隙まるでないなー……って」

何か裏があるとか、そういうのは一切感じなかった。微かにでも疑ってしまった自分が情けない。
私だってきっと、誰かに真っ直ぐな想いを向ける煉獄さんを見ていたらきっと、潔く身を引いてしまう。それほど、直向きな人なんだ。

「ありがとうございます」
「そこは……」
「行きませんか?今から」
「いいのか?」

私にそう尋ねるということは、私にとって思い出の場所だということがバレていたのだろう。そういえば、町ではこの場所の広告もそこかしこに貼られていたのに話題に出なかったのも今思えば可笑しな話だ。周りも、煉獄さん自身のことも全く見えていなかった。

「はい。煉獄さんと行きたいです」

大切な人との、大切な場所だった。
思い出が、塗り替えられてしまうわけではない。私にとって煉獄さん自身も大切な人。曖昧な関係のままでいてはいけない。
もう、固まりきっているいるその気持ちを言葉にしなくてはいけないと、持たされた紙を一枚煉獄さんへ差し出した。