花灯り

春の日のこと

静岡の河津桜は綺麗に咲き誇っていたけれど、このお屋敷の桜が咲くのはもう少し後らしい。一本だけ植えられた桜が見える縁側で花見をするのだと千寿郎くんは朗らかに話す。
幾日かぶりに戻ってきた屋敷では、甘露寺さんのお屋敷のように女中の方々こそいないものの千寿郎くんがテキパキとこなしてしまう。これで合間に稽古もしているのだから、もっと家のことは私に任せて欲しいと思っているのにいえいえ、と首を横に振る。

「千寿郎くん、色々作れるんだね」
「ほとんど蜜璃さんに教えてもらったものです」
「そうなんだ。でもすごいよ」

甘露寺さんの屋敷にいた時も作っていた無数のスイートポテト。量はあの時よりは幾らか少ないけれど今日もそれを、今度は千寿郎くんと作っていた。予定通りだと、今日煉獄さんは任務から帰ってくるはずだったから。
甘い香りが厨房に充満し、そろそろ出来上がりの頃合いだということを知らせる。
厨房から見える穏やかな空に、煉獄さんの帰りもそろそろだろうかとそわそわとしてしまう。

「いい匂いだな」
「はい、とても、!?」

今の今まで、というよりは煉獄さんが任務へと出向いてからずっとではあるけれど、本人のことを考えている最中の登場に露骨に驚いてしまった。
ふわりと香った柔らかい匂いに心臓の動きが早まる。

「今帰った!」
「兄上、おかえりなさい!」
「おかえりなさい」
「ただいま」

胸に手をあてる私を他所に、煉獄さんは駆け寄る千寿郎くんの頭を大きな手で撫でる。千寿郎くんは、私といる時は随分と落ち着いている子に見えるけど煉獄さんの前だと年相応で少し安心する。その微笑ましい光景に私も幾らか落ち着きを取り戻し、改めて煉獄さんと目を合わせると、頬に傷がついていることに気付く。煉獄さんは気付いていないのだろうか。

「煉獄さん、頬」
「頬?ああ、これか」

一度千寿郎くんを放し、スッと線の入った頬に手をあてる。気付いていない、ということはなかったようで。

「手当てされてこなかったのですか?」

隠、という事後処理部隊がいることは知っている。戦いの中で傷を負ったら隠か、もしくは藤の家で医者を呼んでもらって治療すると聞いたのだけれど、近くに藤の家もなく隠の到着も遅かったとかだろうか。煉獄さんへと歩み寄り私に、煉獄さんは頬から手を放し、口角を上げた。

「早く会いたかった」
「……」
「それに、この程度は放っておいても治るからな」
「……血、出てるので、手当てさせてください」

頬を覆っていた指の腹には血がついている。その手を握りながら呟いた。
恥ずかしくて、顔は合わせられない。

「ありがとう。頼む」

きっと今、私が大好きな優しい笑顔を向けてくれているのだと思うけど、視線は足元から動かせない。代わりに手のひらを両手でギュッと包み込んだ。

さん、お願いします。焼きあがったら後でスイートポテト、お茶と一緒にお持ちしますね」
「あ、うん!ありがとう」

やっぱり、千寿郎くんは私相手だと大人びているような気がしてしまう。気を遣われているというか。最初にこの時代へ来たばかりの頃、魂が抜け落ちた人間のようだったせいもある気がするけれど。
スイートポテトの焼き上がりは千寿郎くんに任せ、煉獄さんを手当てする為場所を変えた。

「とても嬉しいのですが、心配になるので手当てはしっかりされてきてくださいね」
「この程度で手当てを呼ぶのも忍びないだろう。帰ればこうして俺にはもいる」
「……」

包帯や塗り薬が一式置いてある部屋へ入り、箱の中から効き目は抜群だけどかなり染みるらしいと千寿郎くんが話していた薬の蓋をパカ、と開ける。部屋の中央に座る煉獄さんの向かいに私も座る。その折に言い返せず、手が止まってしまった私に煉獄さんは小さく笑った。

「手当て、してくれないのか?」
「最初からそれが目的だったんですか」
「いいや、一番は早く会いたかったという理由に変わりはなっ、……」
「買いかぶりすぎです」

指の腹にのせた塗り薬を煉獄さんの頬へと撫でるように染み込ませた。本当に染みるらしく、一瞬眉間に皺を寄せていた。それに正直に笑みを零してしまえば、面白くなさそうな顔をされる。

「買いかぶってなどいない」
「いいえ、私は煉獄さんのように沢山の人の役に立てるわけでもないですし、背負うものの大きさが違いすぎます」
「君の言う『沢山の人の役に立てる』のが俺なら、そんな俺を支えてくれる君だって沢山の人の役に立ってることにだるだろう」

わかっていた。私が何を言ったって煉獄さんは肯定してくれる。自分の存在意義を見出してくれる。胸の内側から身体中に暖かいのがじんわりと広がっていく。

「っ……」
「会いたかったんだ、本当に」

薬を塗り終えた手を降ろそうとする前に、手首を掴まれ、そのまま煉獄さんの方へと引っ張られた。もう片方の手は背中に回され、身体が密着する。耳元で低く囁かれた言葉に、私もそっと大きくて逞しい背中へと手を回した。

「私も、会いたかったです」

少し苦しいくらいなのに、暖かくて心地いい。お互いの心音だけが響く中で、そっと顔を持ち上げられた。近付いてくる熱い眼差しに瞳を閉じればふわりと重なる唇。会えなかった時間を埋めるように何度も角度を変えて口付けられる。どちらからでもなく舌がぶつかって、熱いそれに夢中になっていた。

「……止まらなくなりそうだ」
「ん、はい、」

自分でもいつから煉獄さんの首に両腕を回していたのか定かではない。離れた煉獄さんが苦し紛れに呟き、私も頷いた。

「いいか?」
「えっ今は、ちょっと、」
「今なわけあるまい」
「……からかってませんか……」
「すまない、つい」

顔に熱を走らせながら、口を尖らせる私に煉獄さんの手がもう一度私の頬を覆う。暖かくて優しい手に、ずっと、もっと触れられていたい。
キュ、と煉獄さんの服を掴んで額を胸元へ預けた。好きだったのはきっと最初から。好きではないと言われたことを今でも根に持つくらいだ。でも、こうして二人でいるとその思いがもっと溢れてくる。どこまで私は、この人に染められていってしまうのだろうと熱くなる。

「兄上、さん。茶菓子の準備ができました」

瞳を瞑れば、同時に襖の向こうから聞こえてきた千寿郎くんの声に我に返り、漂ってきた香りにみんなで縁側に出ようと三人で並んだ。
夜はまだ肌寒いけど、太陽さえ出ていればもう日中は暖かい。

「お庭の桜、蕾が見えてきましたね」
「ああ、もう時期咲くだろうな」
「とっても綺麗なんですよ」
「うん、みんなで見たいな」

腰掛けた先に見える一本に木はまだ物寂しい。これから少しずつ薄紅色の花を咲かせていくのだろうと思うと楽しみだ。桜だけでなくて、こうしてみんなで桜を見ながら談笑する時間も。
ふと、煉獄さんを横目で見て思う。本当に、桜が似合いそうな人だな、と。そんなこと、元の時代にいた時には思ったことは今までなかった。
真っ直ぐでいつでも熱くて実直な人、それこそ燃ゆる炎の印象が強かった。

「どうした?」
「あ、いえ……」

私の視線に気付いた煉獄さんと瞳が交わる。その瞳はやっぱり熱っぽい。私がそう見えてしまっているだけなのかもしれないけれど。
私が知らなかった一面はまだまだきっと沢山ある。全部知っていくのにどれほど時間がかかるだろうか。でも、ゆっくりでも少しづつでもいいから、もっと煉獄さんのことを知っていきたい。帰りたい為ではなくて、純粋に、この人のことがたまらなく愛しいからだった。